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#3

  工場に戻ったネウロを迎えたのはリヒターだった。彼は怪我したネウロを見ると慌てた。

「うお、おおい、大丈夫なのかよそれ」

「……大した事はない」

「んでもそれ、後でちゃんと手当てした方が」

「分かってる。………それより、工場長はどこへ?」

  自分の事はさて置いて、ネウロはリヒターにそう訊ねた。

「んー?あぁ仕事だよ。上の階で作業中。何か大変な依頼が入ったみたいで」

「………依頼?」

「グランドールの軍隊から………な。大砲を作れって」

「軍隊?そんなものがあるのか?」

「まぁ、そうだな。規模は旧帝国軍とそう変わらない」

「………………そうなのか」

  ネウロの中をふとした恐怖が通り過ぎた。帝国は戦争終結後すぐに軍隊を解体した。現在残るのは自警団の様な小規模な組織が各町にあるのみ。王族が易々とグランドールに滅ぼされかけたのも、それが一因にあると思われる。

  タイミングが悪かった。それとも、グランドールは最初からそのチャンスを伺っていたのか。

  何にせよ、グランドールはただこの街を支配するだけで満足していない事は確かだ。旧帝国軍と同じ規模の組織を立てて、何をしようとしているのか………。

  そもそも、彼は何者なのか。

  何より恐ろしいのは、それらの情報が帝国へ伝わっていないという事だ。グランドールは既に帝国を潰すだけの力を、一人で有している。彼の指示一つで国は潰れるだろう。今それに対抗する力を持たない帝国は為す術がない。

  グランドールの目的が、この国の支配なのだとしたら。

  ………そこで、ネウロは思考を止めた。自分の脇腹を誰かに小突かれたからだ。視線を向けると、シェスカの顔があった。

「どうしたの?……怖い顔してる」

「え?あ、あぁ、いや、何でもない」

  ただ内情を知るだけのつもりで受けた依頼。だが、ただ事では済まなそうだという事を、薄々感じ始めていた。

  何にせよ調べるべき事は明確になった。それらは主にカミーユ・グランドールの人物像。自分を狙っている相手。接触のチャンスはある。場合によっては、戦う事だってあり得る。

  ネウロは覚悟を決めた。そして、今更気付いた事態の大きさに、何とも言えぬ笑みを浮かべた。


  *****


 ー王宮区 王の間ー

「…………仕留め損ねた?お前が?」

「仕留めるどころじゃあ無いですよ……危うく俺の方が死ぬとこだ」

  ジェイドは、肩を竦めてカミーユにそう言った。やや軽い口調ではあるが、その奥には敬意が込められている。

「……で?何か情報は得られたのか」

「そーっスねェ……銃の使い手で、近距離戦にも長けてる。後は………女連れっしたぁ」

「…………は?」

「依頼人っつってましたけど。ほら、この子っスよ」

  と、ジェイドはカミーユの近くまで歩いて行って、写真を差し出した。渡して、すぐに元の位置に下がる。

「……見た感じ工業区の子っスかねェ、そういや部下の何人かが見覚えがあるって言ってましたよ?……前は違う男が連れてたって言いますけどねぇ……」

「……どうせ殺したんだろ?そいつは」

「知りませんよぉ、部下のやる事なんてねェ……。あいつらの遊び一々気にしてちゃあやってけねェっスから」

  肩を竦めるジェイドに、カミーユは冷たい目線を向けた。だがジェイドはそんな事は気にもせず、続ける。

「隙を見て人質にしたら、俺を放り出して助けに行きましたよ?………まぁ、使えるかもしれませんねェ」

  と、ふとジェイドは横に目を移す。

「……んで?なぁんでお前がいる?ユリーヤ」

「悪かったな、いて」

  ユリーヤと呼ばれた女は不機嫌そうにそう言った。かなりの長身で、身長百七十センチあるジェイドよりも少し高い。年齢は35歳のジェイドよりも四つ上の三十九歳。その経験の差は雰囲気に滲み出ていた。腰に提げた刀が、それをより一層引き立てている。

「俺が呼んだんだよ、ジェイド。お前の情報や目撃情報からして、奴は工業区を拠点としてるに違いない。……話は大体聞いていたな、ユリーヤ。この娘の所在を洗い出せ。出来るな」

「その後は?」

「襲おうが何しようが構わん。ただコイツは消せ。間違いなく危険だ」

「………そう断言するのは何故です」

  ユリーヤは冷静な声で訊いた。カミーユはネウロの顔写真を指で挟んで見せる。

「割れたよ、素性が。榊ネウロ、二十五歳。東洋人の家系だが生まれは帝国」

  カミーユはトントンと段を降りて来て、二人の間に立った。

「18歳で帝国軍に入隊、終戦直前の位は大佐。……戦績は中々のものの様だ」

「……元軍人……なるほど、道理で」

  ジェイドは一人頷いた。カミーユはちらりと横目でそちらを見てから続ける。

「現在は便利屋。現帝都を拠点としてる様だ」

「…………それが?どう危険なんです」

  ユリーヤは首を傾げて問う。カミーユはニ、と笑って答える。

「仕事内容は。小さな探し物や届け物、護衛に殺しに、何だってする。…………今回の依頼は“この街の情報を集め、依頼主に報告する事”…………だからますますここから出す訳には行かねェ」

  カミーユは二人の間を通り過ぎて、クルッとターンする。そして腕を広げて、訴えかける様に言う。

「俺は!………この憎たらしい国を支配したいんだよ!だからこそこの街を俺の要塞に仕立て上げた。情報も外に出ない、人々はただ俺に従順で、俺の野望の準備をしてくれる!………なのに、だ。それをぶち壊そうとしてる奴がいる。実に許せない」

  ハァ、と腕を下ろして首を振る。そしてもう一度二人の間を通り過ぎて元の位置に戻る。ジェイド達に背を向けたまま、彼は呟く様に言った。

「……………おまけに、便利屋。依頼次第でどうとも動く。これは大変な脅威だよ。………現に奴は既にいくつかの組織を依頼で潰してるんだ。たった一人で、だ。……分かるか?危険だ。限りなく。だから消さなきゃならない」

  振り返ったカミーユは笑っていた。その表情に、二人はゾッとした。

「………お前らは、手伝ってくれるよな?」

  のしかかる威圧感。それは二人に選択肢を一つしか与えない。

「……………はい」

「勿論………」

「…………そう言ってくれると信じてたよ」

  カミーユは肩を竦める。そして椅子に座って足を組んだ。

「………だからユリーヤ。今度はお前だ」

「……………はい」

  無意識に、鞘に掛かっていた手に力が入った。

「……………もし」

「!」

「…………………もし、お前がしくじったら、俺がやる」

「…………!」

  ユリーヤはしばらくその意味を考えた。だが帝王の真意は分からなかった。彼女はカミーユがこの街を支配する前からファミリーにいる。だが、未だこの男の事は分からない。

「いいな」

「…………はい」

「行け」

  カミーユがそう言って、ユリーヤはやっと束縛から解放された様な気分になった。ジェイドも同じだった。二人ともカミーユに背を向けて、静かに去って行った。

  二人が去った後、カミーユに声が掛けられた。

「…………信じるんですねぇ、俺の事」

  軽い男の声。さっきの雰囲気をものともしていない様な。

「………………お前の事は気に食わない」

「あれれぇ、怒ってんスか」

「黙れ、正式なファミリーでもない奴が」

  カミーユは柱の陰を睨み付けた。だが声はただ笑う。

「あっははは、でもあんたは俺のお陰で今の情報も手に入れたんだ」

「……………!」

「さすがに、今回の依頼内容までは知れないでしょー……俺くらいじゃなきゃあ」

「……貴様……馬鹿にするのもいい加減に………!」

「あーはいはい、んじゃ俺は消えますよ」

  と、柱から出て来た影は、扉を開けて出て行った。静かになった王の間。カミーユはしばらく扉を睨み付けて、そして椅子の背もたれに体を預け、目を瞑った。

  巡る思考。嫌な所でそれが止まる。彼は眉を顰めながら目を開けた。

「……………嗚呼」

  肘掛に右肘を付いて俯く。ちらりと横目で外を見た。遠くに工業区の煙が見える。カミーユにはそれが狼煙の様にも見えた。


  *****


「………おはようネウロ」

「……あぁ」

  工場の入り口の前。身支度を整えたシェスカが、ネウロの前にやって来た。まだ日も高くない早朝。工業区では少ない静かな時間である。

「今日は早いのね」

「お前こそな。………俺はただずっとここにいただけだ」

「……え?………まさか、寝てないの?」

「眠れなかった」

「あ……もしかして傷が」

「そうじゃない。……ちょっと気になる事があっただけだ」

「………ふーん、無理はしないでね?」

「分かってる」

  とは言いつつ、寝てられるか、とネウロは内心思った。自分は命を狙われている。彼女達に危険が及ぶ可能性だって十分にある。……それに、グランドールの動向。

「………リヒター達は?」

「あの人達はねぇ、お寝坊さんだから。いつも一番は私よ」

  と、シェスカは工場へ入って行く。その姿を目で追い、ネウロは問う。

「………何をするんだ?」

「稼働準備。夜の間に壊れちゃってないかとか……電線が鼠にやられちゃってないかとか………」

  と、振り向いてシェスカはそう答えた。一回の設備をぐるりと見てから、二階に上がって行く。ネウロもその後を追う。小慣れた動作でシェスカは二階の機械も見終え、戻って来る。

「よーし、オッケイ、異常なし!……っと、どうしたの?」

「…………あれ」

  ネウロの視線は一つのものに釘付けになった。それは大きな大砲。まだ製作途中である。

「……あぁ、グランドールに頼まれた大砲よ」

「……………かなり大きいな」

「そうね。………あんまりいい気はしないわ」

「何故断らない?」

  ネウロがそう訊くと、シェスカは大仰に答えた。

「断れるわけないじゃない!そんな事したら私達はお終いよ」

  そう言われて、リヒターの言葉を思い出した。……帝王の気を少しでも損ねれば、消される。

  そうした恐怖で、グランドールは完全にこの街を支配しているのだ………。……………ネウロはそう感じた。

「………解き放たれたいか?」

「え?」

「………………いや」

  ネウロは踵を返して階段を降りる。無駄な事か。他人の為に、自ら動く事はしない。動くのは依頼だけだ。彼女達と自分の間には、友情も何もない。

「………い……って言ったら」

「………!」

  小さな声に、ネウロは振り返った。

  二階の階段の端で、シェスカが手を握り締めて立っていた。

「………解放して欲しいって言ったら………ネウロはそうしてくれる?」

「………………っ……」

  すがる様なその表情に、ネウロは言葉を詰まらせた。彼女は望んでいるのだ。この監獄から解き放たれる事を。

「私はずっとこの街で育った。グランドールが来たのは十三の時。………大きくなったら、他の街に出て色んな技術を見て学ぶのが私の夢だった。………だけど」

  シェスカはそこで言葉を切った。俯いて、消え入りそうな小さな声で続けた。

「……今はそれも叶わない。ずっと閉じ込められてるの。この街に」

「……高くつくぞ」

「……!」

  ネウロの言葉に、ハッとシェスカは顔を上げた。

「ただ、本当に俺一人にどうこう出来る問題なのかは、分からないがな」

  ネウロはシェスカに背を向ける。と、そこへ丁度リヒターがやって来た。

「………おはー……ってあれれ、何でネウロまで」

「……悪かったな」

「え、別にそういう意味じゃねェし…」

「お前、もう少し早起きしろ」

「えー………何だよ急に」

  リヒターの横を通り過ぎ、ネウロは工場を出た。と、そこでセフィリオの姿を見つけた。

「おお、早いな。出掛けるのか?」

「………ちょっと情報収集に」

「そうか。気を付けろよ」

「あぁ」

  ネウロが出て行った後、リヒターは二階にいるシェスカを見上げて、呼び掛けた。

「………シェスカ」

「!………な、なあに」

  ネウロの方を見続けていたシェスカは、ハッと我に返ってリヒターを見た。そして、階段を降りてくる。

「……………何話してたんだ?ネウロと」

「…………えっと」

  シェスカはリヒターから目を逸らしてから、答えた。

「…………何にも」

「………?」

「何にも。下らない話よ。ただの世間話」

  そう、下らない。こんな世界、一人の人間に変えられる訳がない。出会ったばかりの人に、自分は一体何を期待していたのだろう。この街が乗っ取られたその日から、分かっていたハズだった。誰も、止められない。あの、“帝王”は。

「……そうかよ。あんまつまんない話聞かせてやるなよな」

「わ、分かってるわよ!」

  シェスカはそう怒鳴り返す。リヒターはさして気にも留めず、ふいと自分の作業場へ行ってしまった。

  その姿を見送り、シェスカはため息を吐いた。あぁ見えてリヒターは意外と鋭い。何かあった事くらい、様子からすぐに察しは付いただろう。……それとも、全部外で聞いてたのかもしれない。

「……………馬鹿」

  そう小さく呟いて、彼女は次第に集まって来た作業員達の元へ行った。


  *****


  バイクで街を一周した。工業区から、住宅区、娯楽地区、商業区。あと行っていないのは中心の王宮区。

  だが、行く気にはなれなかった。他の区ほど、気軽に行ける様な場所ではないだろう。

  ネウロは帝都だった頃のレヴナンには来た事がない。街のつくりはそのままだろうが、状況が全く違う。

  今のこの街を見て、以前の帝都の様子など思い起こせるはずもなかった。

「………解放……ね」

  仮にグランドールを殺ったとして、果たして解放されるものなのだろうか。逆に、今彼がいるからこそ、この街はバランスを保っている様にも思えた。街を統べる“帝王”がいなくなれば、街はきっとバラバラになる。グランドール・ファミリーは一人じゃない。傘下の者が多くいる。あのジェイドも、そして他の区にいる幹部も。それ以外にも多く。

  ………何にしろ、“一人の人間”が与える影響はさほど大きくはないのだ。一時は波紋を呼んでも、また元の様に戻る。こんな大きく根付いた組織は、どんな意味であれ、一人では変えられない。

  ネウロはバイクを止めた。もうミオーネの工場も近い。だからこそ止めた。

「…………………?」

  何か、変だ。煙が上がっている。普段の様な煙ではない。黒煙。そして、機械音に混じって時折聞こえてくるそれは。

「……………まさか!」

  ネウロはハッとなってバイクを走らせた。間違いない。爆音だ。襲撃されている。何者かに。目的は?……分かっている、どうせ自分だ。なら相手はグランドールかその傘下の者達。………不運だ。よりによって自分の出掛けている間に。

  不意に脳裏にシェスカの顔が浮かんだ。次にリヒター。その表情は憂鬱そうで。………逆らえないと嘆く顔。

  まさか、今も無抵抗を貫いてるんじゃないだろうな。

  そんな事を心配した。頭の芯が痺れる様な感じがした。ザワザワと心が揺れた。

  工場が見えた。燃えてはいない。だが火薬の臭いがする。爆発があった様だ。……建物が金属製なのが幸いだったか。

  何度もの発砲音。近くまで来て、ネウロはバイクから飛び降りた。そして駆け出す。

  中に入れば、人の声がした。叫び声、呻き声、悲鳴。男の声ばかりがする。ネウロは視線を巡らせる。粉塵の舞う中、二種類の人間が動き回っている。

  作業着の男達、それと、そうでない男達。どちらも銃を手にしている。リヒターや工場長、シェスカの姿は見当たらない。

「………応戦……してんのかよ」

  一つ心配が消え、もう一つ新たに心配が増える。

  彼らはどこに。奥の方か。

  ネウロは足を踏み出した。そして、思いっきり地面を蹴った。跳躍したネウロは空中から狙いを定め、複数人の敵を撃った。それに気付いた作業員達が、着地したネウロに言う。

「あんた………!良かった、無事だったか」

「俺はどうもない。……こっちの被害は?」

「俺達の大事な工場が壊されちまったよー。ったく」

「!…………っ」

  思いの外余裕そうで、驚いた。

「……死人は?」

「こっちはまだだ」

「……………そうか」

  なら状況は優勢。ここの作業員達もなかなかやれる様だ。ネウロは感心した。自分が心配するまでも無かったか。

  気を付けろよ、とだけ声を掛け、ネウロは二階へと向かう。リヒター達は一階にいない様だ。

「あいつだ!いたぞ!」

「殺せ殺せ!」

「!」

  ネウロに気付いた敵が叫ぶ。……やっぱり。思った通りだった。

「おいネウロ!」

「!………リヒター…!」

  機材の陰からリヒターが呼んでいた。ネウロは素早くそっちに移る。カカカンと銃弾が機材で跳ね返った。

  うひゃー、と首を縮めてから、リヒターはネウロに言った。

「…………タイミングが悪かったな」

「俺の心配はするな。……お前達が無事で良かった」

「へっ、まぁ製品の試し撃ちくらいはしてるからな」

「なるほどな。……武器は元より多くあるわけだしな」

「そーなんだよ。けどいくつか奪われた」

「………そんな事より、あいつらは何だ」

「“ケストレル”だよ。お前を探してる」

「……………この区のチームか」

「お前が最初にちょっかい掛けたトコね」

「………………………そうだったな」

「あれ?今一瞬忘れてた?」

「うるさい。……工場長とシェスカは?」

「宿舎の方に避難してる」

「………そうか、良かった」

  ネウロがそう言うと、リヒターは頭を掻いて言う。

「あー……一応な」

「?」

「あっち見て来てくれねェかな」

「………どうしてだ、こっちも大変……」

「ユリーヤの姿がない」

「……………?………!」

「お前の情報はきっともう帝王の元に十分届いてるはずだ。既に幹部を退けてるお前の元に………下っ端だけで寄越すはずがない」

「………なら、ボスだけ一人で行動してると?」

「そうとしか考えられねェだろ。……こんな狭い工場で、女一人見つけられないはずがない。本当に来てないってなら話は別だが…………」

「…………分かった。行こう」

「良かった、助かる。何もなければ戻って来てくれ」

「了解」

  ネウロは機材の陰から飛び出す。それと同時に外で待ち構えていた敵を撃ち抜いた。二階の柵に手を掛けて、そのまま飛び降りた。

「!………おい!」

  リヒターが慌てて叫ぶが、ネウロはクルクルと回転して着地し、ついでに下にいた敵を蹴り倒した。そしてそのまま駆け抜けて行った。

「…………最早、超人じゃねェかよ」

  一人残ったリヒターは唖然としてそう呟き、そして自身も応戦を再開した。

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