序章 [両目を瞑れば 見えるもの]
初投稿です。次回投稿まで時間がかかるかもしれませんがご了承ください。
この小説では、個の認識、正しさと信じることの違い、といったテーマをイメージの軸にして作りました。読んでいただければ幸いです。
神の正義の世界が、最後の審判ののちに開かれると聞いたことがある。
もしそうなら、神の正義が、我々人間の正義と同じであるか、早いうちに調べた方がいいと私は思う。
たとえ、私がどれだけ清純に、信心深く、慈しみの心を洗練したとしても、神様が、それを間違いだなんて言うかもしれない。
もしそうなったら、最後の審判で、救われない側になってしまう。
神に捧げるべき私の肉体の潔白と、心からの信仰は、根底から否定されてまうのかもしれない……。
焼け焦げた自動車の歪んだボンネットに寝転んでみると、満月が雲の隙間から顔を出したのが見える。
ガラス玉を月の光に透かしてみる。
指を動かして少し回すと、玉の中に切り離された、だいだい色のねじれたリボンのような錦がくるくると回る。
きれいだけど、真ん中に穴が開けてあるのが珠に傷、穴に通してあった糸は捨ててしまった。紐を通さないほうが好きだ。ガラス玉ってのは転がしてこそ可愛い。
壊れた車やらが散乱した道路の奥から、装甲車が向かってくる。
これで最後。正真正銘、神のもとに行く。それが私の最後。
目を閉じて思い出してみる。知るべきでない事を知らなかった時のことを。
これが私のしてきたこと。知るべきでないことを知ろうとした、私の闘いの物語。
Bead(s) 序章
正暦245年7月28日 北アフリカ アレキサンドリア有機循環型基地ウォスパイト
「恒知識連盟軍第52機動甲兵中隊各員、更新された任務を各自確認せよ。」
伝統的な音声案内が流れる。基地のロビーは、先まで賑やかだったが、その知らせによって、急に静かになった。機密と、対投射攻撃対策で、基地施設のほとんどは地下にあり、ほとんど基地内で自給自足できる、いわゆる自己完結型とか有機循環型なんて呼ばれる類いのこの基地では、憩いの場なんてロビーくらい。
私の属する部隊の兵士たちが、くつろぐのをやめて任務情報を確認している。
とはいえ、誰一人として手を動かしてはいない。
代わりに時々何かを呟いている。
かつてはセキュリティのために静脈認証とかをしなくちゃいけなかったそうだけど、近年実装された神経直結式デバイスはなかなか便利なものだ。まぁ昔のデバイスは使ったことが無いから、そんな比較は想像の中だけど。
その、神経直結式とかいうセキュリティは、脳の反応を利用している。脳の機能のかなりの部分は無意識的に行われているが、その無意識的な反応のありかたには、個々に異なる反応パターンがある。それを計測することで、本人かどうか確認できるらしい。訓練兵から、やっとのこと正規兵になった私が知っているのは、そのくらいの事だ。
そして、私たちはが、いちいち呟かなくてはならないのは、神経に直結していても、考えていることまで計測はできないとのことで、意識的に何かを入力しようと思ったら、体の何かを動かして、その意識を表現する必要がある。ということになるようだ。
私は視界上にフキだしのように現れた[任務連絡]とある青色の表示に視点を動かす。その青いフキだしの上には[重要]と[更新]と小さなタブが出ている。[任務連絡]の字の上に視点を1秒半くらい合わせ続けると、そのフキだしが大きくなり、任務の詳細が表示される。
任務の詳細は、動画として各員に送られている。まるで目の前に張り付いているようなフキだし型の枠の中で、動画ファイルが再生されている。
「第52機動甲兵中隊に任務の更新情報を伝える。
今月25日に通達した任務の詳細が確定しました。変更点を含め確認します。サハラ砂漠エリアD4での…………」
ちょうど聞き取りやすいくらいの、高いとも低いとも言えない女性の声が割りと淡々と、棒読み気味に説明している。その声と映像は再生している本人しか見えないし聞こえない。これが、視覚聴覚への直接送信によるセキュリティっていうものらしい。とはいっても今、私がいる第52機動甲兵中隊の第1整備室では、中にいる全員が、このレベルの機密なら聞ける権限があるはずだ。本人のみ聞こえる意義は、この場に限っては薄い。
任務の内容はかなり不確定要素の多いものだった。機密レベルの高い作戦が同エリアで行われる予定となっていて、先にエリア付近を調査するというものだ。つまり下見。我々機動甲兵は主力部隊ではない訳だが、ここまで知らせないとは、なんだか私たちは、信用すらされてないのかとも感じてしまう。
大体任務は隠密性を必要とする偵察や調査が主で、訓練兵のころもそんな訓練ばかりだった。
任務開始は、今日の祈りの刻の後。これはよくあることというか、だいたいそうだ。祈りの刻は正確に何時じゃなきゃいけないものでもなくて、その日の予定で決まってくる。今日は17:00からで終わりは17:20。
祈りの間にには、中隊の実働部隊の面々がそろっていた。
「よぉ新入り。」
鍛えぬかれか雰囲気はあるが、背丈的には中肉中背な男が話しかけてきた。
「どうせ私の名前くらい知ってるんでしょ?ジェド。」
まったく面倒なやつだ、こいつ。
私はそう思いながら適当に反応してやる。こいつはいちおう先輩ではあるけど、腐れ縁とでも言える関係だ。そもそも私たち機動甲兵の面子は皆、物心ついたときから英才教育と厳しい訓練を積む。だから皆顔と名前くらいは知っているどころじゃないほどにもなっている。
「部隊に入ってきた新入りに対してかける言葉はこれに決まってるだろ?」
「……ふーん、そう。」
面倒臭い。祈りの刻は静粛にするべきだというのに。
そして、祈りの刻が始まった。さすがにジェドのやつも、始まれば静かに正座して、手首に通してある数珠を外し、それを握りしめながら両手を胸の前で固めに握り合わせる。
私も同じくして、そして目をゆっくり閉じた。
…………。
「我らに武運とご加護がありますように。」
私は小さな声でそう唱える。
…………。
静寂、そして暖かさ。
部屋の暖房でもない、体の内側が感じる暖かさだ。
その暖かさの中に音ではない声が聞こえてくる。
本当に音などない。この部屋はほぼ静寂に包まれている。
祈りを捧げる小さな声が、部隊の実働部隊全員集まると少しばかりの音にはなるが、そんなものは本当に小さい。
けど私は確か感じている。それは。信心は確かな力となり、私たちを守る力となっていることを感じさせるのだ。
私は神の恩寵を確かに感じながら目を開けた。
さて、任務の時間か。
私は部隊の面々とともに祈りの間を後にする。
廊下を足早に少し歩くと、私たちの控え室があるが、いたって地味なものだ。男女それぞれの更衣室の分岐点的な使い道くらいなら見出だせそうだ。
女性更衣室には私以外に二人の隊員がいた。班長のアヴローラともうひとり、えーっと、彼女はなんという名前だったか。
名前くらいの情報なら隊員内での情報共有は簡単だったな、名前などプロフィールを見ればいいだけのことだ。
私は、視界の上の方にある深緑の[情報表示モード]とある表示に目線を合わせる。1秒半ほど目線をそのままにると、その表示の色が明るい緑色に変わる。
それから彼女に目線を向ける。彼女はロッカーと向い合わせで、私に背を向けている位置だ。顔が見えないためか、[認識不可]とエラー表示のフキだしが出てきた。
顔が見えないな…… 私は、彼女と同じ列のロッカーの前に立ち、彼女の横顔をこっそり覗き込む。彼女は着替えを終えて、装甲服を装備するためのインナーを着ている。肌にぴったりしていて、体格がよく分かる。機動甲兵としては華奢過ぎるように見える。肩くらいの長さの黒髪はしなやかで、その黒髪を後ろで1つにまとめようと両手を持ち上げている。そんな彼女は何歳だろうか、ずいぶんと若そうに見える。もしかしたら二十歳よりも下か、少なくとも私より何歳か若いだろう。それでもって私よりも前から正規兵なはずだ。私と同期ではないから、それだけは確実だ。若さというか幼さすらある、華奢な彼女は儚げにも見える……。
不意に彼女が私の方を向いた。怪訝な目でこちらを見ている。
「私の顔に何かついていますか?イルザ・シェーンベルグさん」
「え……、あ、いや」
儚げな姿に見とれていて不意を突かれて動揺してしまった。
慌てて目的を忘れるところだった、彼女の名前を確認する。
こっちを向いてくれたお陰で、今度は認識できた。
阿澄蓮花、ずいぶんと分かりにくい名前だ、違う文化圏に由来があるのかもしれない。
「レンカ……さん? あ……特に何でもない。」
「そうですか。」
彼女は、そういうと更衣室を出ていった。
「ふぅ……」
思わずため息が出てしまった。
彼女とは話したことがあまりないからなぁ。
蓮花か、覚えておかないと。
しかし、人の名前というのは面白いものだ、文化と歴史を受け継いでいる。かつては世界には膨大な数の政権があって、それぞれ違った文化を持っていたそうだ。私の知る政権なんて、二大勢力の1つ、私たち恒知識連盟と、それと敵対しているリベルタリア・アライアンス。しかし、あっちの連合はそれでもこちらよりは大きくもなく、既に世界の大半は恒知識連盟の勢力下ということだ。でも、人の名前だけは種類豊富で、かつての乱立した文化の名残と言える。
さて、私もそろそろ着替えなくては。今回で3回目の出撃だ。
私は装備用のインナーに着替えると、癖のあり、ゆるやかにうねっている髪を赤い刺繍の入ったターバンで無造作に押さえつける。
着替えを終えて、機動甲兵中隊のガレージに入った。私たちの部隊の面子が揃うと、ちょうど警戒にあたっていた、同じ中隊の他の部隊が帰還した。見たところ負傷者はいないようで、目立った損傷すらもない。どうやら平和な警戒任務だったようだ。私の任務も平和なことを願いたいものだ。警戒態勢を続けているとはいえ、私は実戦を体験したことはない。実戦なんてよっぽどの機会がなければ起きないのが実情だ。だから兵士すら平和に馴れてしまう。
だとしたら先に控えている大規模作戦ってなんだろうか。軍事機密になんか関わらない方がいいか、まだ、私はただの一兵士に過ぎない。
「おいっ!」
いきなり私の背中が揺れる。ジェドのやつか。
ジェドも甲兵用の黒いインナーを着ている。
「なに?」
「お前ってたまに深く考え込んでる時があるよな。」
「そう?」
まぁあれこれ考えるのは嫌いでもないか。
「どうかした?」
「少し気になることがあってな。」
「今回の任務のこと?」
「いや、 まぁ、任務のことでもあるんだが、問題は目的の方だ。」
「……目的?」
ジェドのやつは、いつも能天気そうにしてるくせに、時々不思議と神経質な感じの表情もする。
「今回の任務の目的は、機密レベルの高い大規模作戦の為に偵察するということでしょ?それがどうかした?」
「ちょっと不思議だと思ってな。」
ジェドはそのまま続ける。
「機密レベルが高いって話だが、大規模作戦って言うんなら、ここ の主力の戦車大隊を使うはずだろ?」
「まぁ、そうだね、甲兵中隊も、あらかた斥候に使ってるみたいだし」
「俺らの方が戦車大隊の下っぱよりかはアクセス権限が上のはず。だとしたら、あいつらも任務の詳細は無知ってことになるよな。」
「……そうね、でも彼らはハードウェアなんだし、存外知らされてないんじゃない?」
そうは言ってみたが、こんなにも少ない情報で何ができるのだろうか。
機密保持の観点からいえば、捕虜となる可能性を踏まえて、情報を絞るのはいつもの事だけど、今回ばかりは必要最小限どころじゃない。それとも、戦車なんて、送られてきた情報通りに砲弾を打ち込むだけの、ただの動く砲台だからということか。
「ねぇジェド、あんまり疑問を向け過ぎないようにした方がいいんじゃない? 私は昔からのよしみで、あんたの事は多少なりとは解ってるつもりだけど、他の誰もが解ってくれるって訳じゃないでしょ?」
「お、イルザ?それは心配してくれてるって捉えていいのかな?」
「厄介事は御免なだけ、たまには真面目に答えなさいよ。」
こいつはいちいち突っかかるような事を言うから調子が狂う。
「誰かの信心を傷つけることはやめた方がいい、機密だって、情報を持っていたら、その分敵に拷問される事になると考えれば、兵士一人一人を守ることにもなる……」
「イルザ、俺は大丈夫さ、何も今のこのあり方を否定している訳でもない、加護から抜け出しなんてしないさ。」
「……」
「少なくとも、俺はお前の背中を守るからな。」
「……」
そんなことを真顔で言われてもいまいち言葉が浮かばない。
まったく調子の狂う。前を向くと中隊長がちょうど来たようだ。
「イルザ、中隊長がおいでなすったみたいだな。」
「見ればわかるから。」
「総員、傾注!」
アヴローラが掛け声をかける。
ちょうど私の属するこのΑ班の班長が、中隊兵の代表ということか。
そう思うと、A班ってのはまあまあ期待されてる班ということかな。
「楽にしたまえ。」
中隊長からの作戦説明が始まったみたいだ。
「今まで今作戦の詳細は重要機密扱いだったが、今ここで詳細を説明する。」
「なぜ機密だったのか、それはこの作戦をもって、反体制武装勢力、カル・ハダシュトを殲滅するからである」
皆少し驚いたような顔をしている。事実、平和なにらみ合いは終わることになったわけだ。
「機動甲兵A班からD班までを偵察、E班からG班には主力戦車部隊の護衛についてもらう。」
「各班長には既に任務の詳細を知らせてある 各班毎に詳細を共有するように 以上だ。」
全員が各自の班毎に分かれて動き出す。
前を歩くアヴローラが振り返った
「多輪装甲輸送車で移動するから、装備を済ませて。装備は標準ねっ。」
「了解、アヴローラ。」「了解!」
班員達がみな返事をかえしている。
アヴローラは私の属するA班の班長だけど、堅苦しい言葉が嫌いなようで、皆に名前で呼ばせている。
さて、落ち着いていかないとないけないな。これから機動甲服や各装備とシンクロしないといけない。あまりに精神状態が乱れているとシンクロしにくい時もあるから気を付けないといけない。
換装室に入ると、既に装備は揃えられていた。
バックアップは頼もしい。換装室には換装席がいくつか並んでいて、同じ班員たちの席もこの中にある。
まずヘルメットを被ると、視界は完全にスクリーン越しになった。
スクリーンの上の方には[肉眼認識モード]と出ていて、右下の表示には各装備の接続状態が全て[否接続]と黄色で表示されている。スクリーン越しの視界は、あまり好きじゃないが仕方ない。
さてと。他の装備は換装席にくっついていて、そこに座れば、あとは少しの操作で装備できる。
「調子はどうかな?」
私の担当整備員だ。白髪混じりな髪をしたおじさんだが、一目置かれる技師だそうだ。
「特に異常はありません。」
「そうかい、ならシンクロを開始するぞ。準備はいいな。」
「はい。」
スクリーンに[シンクロモードに移行]と表示される。
同時にいつものセキュリティが出てくる。[脳拡張野推定使用率80%の接続を許可しますか。接続先:第52AMI イルザ・シェーンベルグ専用装備 標準型]
「イルザ・シェーンベルグ、接続を承認。シンクロ開始。」
[承認]のフキだしに目線を合わせながらそう唱える。
……暗闇…………
どちらが上だったか、いや、上だというのは?
床も天上もなく、それどころか自らの手足すら見えないのだから、上とか下とかは無縁な暗闇だ。
私は止まっているのか、ぐるぐると回っているのか、暗闇では全く分からない。そもそも私は目を開けているか、閉じているのかさえも不確かだ……
朝日が昇るのを1秒になるよう早送りでもしたかのように、目の前の暗闇は消えていった。
[接続完了]
2秒ほどフキだしが標準され、シンクロが滞りなく完了したことを報告してきた。
「なかなか慣れないものですね。」
「そうですかい、なにか違和感などはありますかな?」
立ち上がり、軽く手足を動かしてみる。
私の体は機動甲服に覆われている、というかこの服もすべて含めて私の体のように感じると言ってもいい感覚だ。シンクロはうまくいってるようだ。
「万全です。」
皆装備を終えたようだ、換装室の発着口の手前にには、多輪装甲輸送車が止まっている。
班員がその後ろにある扉から乗り込んで行くのが見える。待たせてもいけない、すぐに乗り込むか。
輸送車の中は広いとは言えないが、その足はまぁまぁ速く、乗り心地も案外悪くない。サスペンションは優秀で、悪路でも機動甲服よりもずっと速く動ける。ただし、隠密性の面では優秀とはいえない。
だから私たち機動甲兵が存在する。つまり、この車で行けるのは、敵に発見される可能性が低い範囲内のみということだ。
「さぁ、詳細を説明しましょうか。」
アヴローラが音声で説明を始めた。さっき基地内通信で詳細を送ってきたのに、わざわざ話して説明するのは彼女の好みだと思うが、確認という面では十分意味があると思う。
「私たちは戦車の本隊の左前方の偵察を担当するわ。配置は……、詳細データの方が分かりやすいかな、でも、今回は左側、12時から8時方向を特に警戒して。」
「面倒だとは思うけど、通信は指向光学通信を徹底するようにしてね、わかった?」
「目的地よ、降りましょうか。」
ここからは歩いていくしかないようだ。
最後尾の席に座る私は、立ち上がりながら音声出力をオフにし、
「了解」といってから左掌をアヴローラに向けた。私の声が狭い部屋で反響しているような音に聞こえる。出力をオフにしていることが体感的に分かるようにするためだ。私の音声データを元に構成された音の代用品が、脳内に音として入力されているに過ぎない。実際には、私を含め、誰も声を出してはいない。
すると、アヴローラも同じようにこちらに掌を向けて返事する。
[まだ大丈夫]とメッセージとして送られてきた。
外に出ると、目の前は、ただ砂丘がうねる砂漠で、前には私たち以外の人影はない。
後ろには指向光学通信の中継ロボットが、砂漠の熱気ではるか後ろにゆらいでいるのが見える。
中継を繰り返し後方の戦車本隊まで情態が届く仕組みになっているのだ。この方が個々の通信距離は短い上、発信する方向も狭くなるため、敵に察知される可能性はかなり低くなる仕組みだそうだ。
班全員は、一切話すことなく、決められた配置に2人1組となって散開していく。
先に見つけた者が勝つ、このあまりに静かな索敵戦が始まったのだ。
私は相棒であるジェドとともに、静かな砂漠をただ無言に歩きだした。