異端審問官に問えない魔女。
「やっぱり強くて頼りになるわね、主席審問官様は」
「うん」
同じく審問官であり、主席と次席と違いがあるもののやはり同じく上級審問官付き補佐官である先輩にして友人であるミカと、帰宅前のお茶を楽しんでいた。
話題はいつも通りというべきか、自分たちの上官の話である。
「うちのユニ様も、もちろんお強いわよ?でも、主席審問官様は別格ね。今はもう現場に出ることはないようだけど、長官様は更にお強いらしいし…」
愛称がミカという彼女は、ルルティカの一番最初に出来た友人だ。
地上からこの《天の国》に保護されて来た人間の少女で、そういった意味でも先輩にあたる。
覚束ないルルティカに呆れることなく、様々なことを教えてくれる彼女のおかげで、自分の上官以外は名前で呼んではいけないことをはじめて知った。
「でも、ルルちゃんも強いよね!主席審問官様直々に勧誘されただけじゃなくて、即戦力になれて…うらやましいなぁ」
ミカは、優しく親しみやすいだけではなく、とても明るい性格をしている。
どれほど明るいかといえば、自身が《天の国》に保護された経緯を『魔術師のイケニエにされ掛けたと思ったら、地上の異端審問に掛けられて両足と右手の骨を砕かれたと思ったら、また魔術師にイケニエにされた』と、大笑いしながら語るくらいに明るい。
いや、剛胆だ。
そして、嫉妬はしてもそれを認める潔さも持っている。
「あたしも頑張ろ!それで、ルルちゃんみたいにユニ様に頼られるんだ!」
「そんな…私は……」
続けるべき言葉を口を噤むことで止め、自分の醜い気持ちを隠す自分の狡さが、とてもルルティカは大嫌いだった。
違うのだ、ミカが想像しているように自分は上官に認められているわけではなく、ただ憐れんでそばに置いてくれているだけなのだ。
そのことを、キラキラした目をしたミカに告げることは出来ずに、ルルティカは曖昧に笑った。
◇◆◇◆
ミカと別れた後、ルルティカは家に帰るでもなく、ブラブラと行く当てもなく歩いていた。
こんなもやもやする気持ちを、家に持ち帰るのが嫌だったのだ。
燻る思いは、ミカという少女に全幅の信頼を寄せられないでいるつらさから来ている。
彼女の良さは短い付き合いながらも理解しているが、何故あんなに良くしてくれるのかがわからないでいるからだ。
何せ、ミカに勝っているのは魔力だけで、他に彼女の利になるものは何も持ち合わせてはいない。
何もない自分のそばにいて、得られるものはないとルルティカは何の疑問もなくそう思っていたのだ。
そんな後ろ向きに考えるのは彼女の過去から考えると無理はなく、ミカのように割り切れるほどの気持ちに余裕もない。
そして、些細ではあるが、ミカもまたルルティカを心のどこかで拒絶したいのかと感じさせる出来事があった。
友人のミカという呼び名は、愛称だ。
愛称というのはつまり、本来の名は別にある。
親しく思ってくれているのであれば、教えてくれても良さそうなのに、明るい彼女には珍しく『聞いても面白くない』と、曖昧に濁すだけで教えてはくれない。
教えて貰えない理由はきっと、ルルティカが魔女だからだと、そう考えている。
魔女が│呪いを掛けるのに必要なものの一つとして対象の名前が重要なのは有名であった。
ルルティカは│呪いなど使ったことはないが、そんなことは普通の人間たちは知らなかったし、わざわざ聞かれないうちからミカにいうことも出来ない。
むしろ、聞かれてもいないのに弁解すれば、逆に怪しく感じられそうだ。
だからこそ、口を出せずにいた。
そぞろ歩いていたルルティカは、小高い丘にある公園に辿り着く。
夕焼けが赤く染め上げる公園は子どもたちが帰った後だからか、どことなく寂しげである。
そんな公園に足を踏み入れ、周囲を覆う柵に背伸びして身を乗り出したルルティカの視線の先には遠くの方で白く輝く大樹が見えた。
《天の国》にやって来てから少しして、上官が忙しい合間を縫って案内をしてくれたことがある。
家から職場までの道筋だけではなく、薬草や綺麗な花々が咲く森や買い出しに行ける近所の商店街や若い娘の好みそうな喫茶店や雑貨屋、見晴らしの良い公園などを教えてもらった。
ここは《天の国》のはずだが、地上と変わりのない町並みが広がっていて、ひどく安堵したのが印象に残っている。
そして最後に、公園のこの場所で輝く大樹を見たのだ。
あのとき、ルルティカは現実的な町並みとは違い、幻想的な光景に目を奪われて吐息を漏らした後、あれが何かと問い掛けた。
しかし…横で同じように大樹を見ていた上官は。
「何をしている!!」
背後からの詰問に、驚いてバランスを崩し掛ける。
しかし、何の気なしに遠くに見える大樹に伸ばしていた手を掴まれ、素早く胴に回された腕が軽々とルルティカを持ち上げてくれたため、柵から転げ落ちるなどということにはならなかった。
そのことにひとまず一安心したルルティカだったが、相手は返事がないことに苛立った気配を隠しもしない。
「何をしているのかと、聞いている」
拘束のつもりだろうか、ルルティカの両足は既に地に着いているのに手を掴むのも胴に回された腕も緩むことはない。
普段であれば敵対する相手に向けられる低く厳しい詰問口調が自分の上から降って来るのを不思議な思いで聞いていた。
頭に突き刺さる鋭い視線が外れ、しばらく黙る上官。
チラッとあからさまにならない程度に見上げれば、上官の視線はルルティカが先程向けていた方角へと向いていた。
上官に呼び掛ければ、彼は先程の声を連想させる厳しさを宿した瞳で、静かに部下を見下ろす。
「何だ」
「あの、あそこで光っている大樹は何ですか?」
強い瞳が一瞬、泳いだ。
「………関係ないものだ」
だいぶ間を開けてから、上官はそれだけいって顔を背けた。
質問に答えることはなく、胴からは腕は外されたものの、手はいまだに拘束された状態である。
顔を背けられたルルティカは、自身は俯いて表情を隠す。
彼女は今、笑っている。
ただ、その笑みはあまりにも暗く、自嘲の色合いが濃かった。
もう、ルルティカはあの大樹が何なのか聞かなくても知っている。
周囲を高い塀で覆われ、出入口は門番が常に立っているぐらいに厳重に守られているあの大樹は、《天の国》において大切なものであった。
門を通ることが出来る者も限定されているその大樹は、天使が生まれる樹であるのだ。
勇猛果敢で恐れるものなど何もなさそうな上官でも、取るに足らない自分があの大樹に悪さをすると思っているのだろうと思うと、ルルティカは可笑しいのと悲しいのとで笑ってしまう。
そんなこと、出来やしないのに、悪い意味だが上官は過大評価をしていると、ルルティカは思った。
ルルティカは、今は異端審問官である。
しかし、かつてただの魔女であったルルティカが今の上官の差し出した手に手を重ねたのは、異端審問官である彼の役に立ちたいからだった。
今もその思いに変わりはないのに、ルルティカは穏やかで変化のないずっと前に壊れてしまった、たった二人きりの小さな世界がひどく恋しかった。