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彼の契約した幼い魔女。

“奇跡”だとか“運命”だとか、そんな大層なものではない。

単純に、たまたま│召喚よばれたときに手が空いていたのが主な理由なだけだ。

相手が膨大な魔力を持ち、尚且つ監査が行われたことのない魔女だったからでもある。


だから彼女の前に、強い魔力を持つ別の魔女・魔術師に召喚されていた場合、たぶん出逢うことなく幼い魔女は他の審問官に処刑されていただろう。


『かぞくになって、ひつじさん!』


『羊ではなく、山羊だ』


庇護者を失い、痩せ細った貧相な赤毛の子猿は、強力な力を持つ大悪魔を召喚出来たことを喜ぶよりも、誰かから言葉を返されたことに無邪気に喜んでいた。




◆◇◆◇




イニジィエルに、使い魔としての仕事はあまりない。


「……ん」


小さく呻いて目を覚ましたイニジィエルは、何度も洗って草臥れた様子のカーテンから薄らと光が漏れているのを見て、胸に抱き込んでいた子猿を揺すり起こす。

イニジィエルの大きな手では壊してしまいそうな程に小さい、むき出しの肩は寝ているためかひどく温かい。


「起きろ」


数回揺すれば、むずがるような声を出しつつも素直に幼い魔女は起き上がった。

幼い魔女がのろのろと動いている間にイニジィエルは服を着、素早く部屋を後にする。

家の裏にある井戸から、水を汲み上げるためだ。


「あーっ!水くみ、今日はわたしがしたかったのに~」


「おはよう」


主人の言葉を遮るという、使い魔にあるまじき暴挙に出るイニジィエルだが、それに関して幼い魔女が怒ったことはない。

まさに子猿といっていい甲高い声で告げる文句は、いつだってイニジィエルが首を傾げるようなことばかりだった。


「おはよっ!これはわたしが持ってくからね!」


「断る。これは重いから、俺が運ぶ」


水が入った壺をよろめきながら運ぶため、あっさりとイニジィエルに奪われて何か文句をいっているが、まったく彼は堪えた様子を見せない。

さすがの大悪魔も、猿語はわからないのだ。


「じゃあ、戸締まりはきちんとしてね!いってきます」


日持ちだけが取り柄の堅いパンと、昨夜の残りのスープでの朝食を終え、簡単に掃除と洗濯も済ませた幼い魔女は自慢気な態度で切り傷に効くぬり薬や咳止め薬などの薬を籠に入れて出掛けていった。

町の雑貨屋に、薬を卸すためだ。

その間、イニジィエルに与えられた命令は何もなく、いわれたように戸締まりだけをして子どものように留守番をしなければならない。

いい変えれば、自由時間であった。


『イニジィエル様、今よろしいですか』


外に重ね掛けした結界の外側の空気が揺らぎ、テレパシーでの問い掛けにイニジィエルは『是』と応え、戸締まりしたてのドアを開ける。


「イニジィエル様におかれましては…」

「御託はいい」


上位者に対する挨拶を本人にあっさり遮ぎられると、姿を現した部下は溜息を吐いた。


「規則なんですがね、この常套句は」


苦言を呈しながらも、手を差し出す上官に書類を渡す部下は慣れたものである。


イニジィエルにしてみては、長々しいだけの挨拶は面倒なばかりだ。

そういった考え方が中央の文官たちに『武官は脳みそまで筋肉で出来ていて、優雅さに欠けている』と陰口を叩かれる要因であるのだが、イニジィエルには知ったことではなかった。

渡された書類を斜め読みし、次々に必要な箇所にサインをしてやっつけたイニジィエルに部下は文句はいわないながらも眉間に皺を寄せて確認をし、ひとつ頷くと端を揃えて大事に脇に抱える。


二三、言葉を交わした後、互いに納得するとやるべきことは帰還のみとなり、部下の口も軽くなった。


「ところでイニジィエル様。随分と、纏う香りが変わりましたね」


淡い金色の緩やかにうねる髪が、首を傾げるとふわりと揺れる。

儚げな容姿に見合った仕草だが、いっている言葉といい、相手が同性だと思うだけでイニジィエルの脳裏に浮かぶ言葉は一つだけだった。


「気色悪い」

「違いますよ。嫌な気配がなくなったといいたいのです」


嫌そうな顔をすれば、部下は憮然とした表情ですぐさま返してきた。

同性の匂いを嗅ぐ趣味はないらしい。


今はヒト型を取っている部下だが、本性は獣である。

香水や白粉などの化粧品だけではなく、悪意ある感情の残滓と他人の体臭や体液の残り香でも鼻につくらしく、以前は書類運搬作業は別の者がやっていたくらいだ。

それが今、自慢の角で突き刺す素振りも見せず、平然としているのだから、相当な変化なのだろう。


「今までで一番、穏やかな気配ですよ。微かにする石鹸の香りも、以前よりずっと素朴でいいですね。手作りでしょうか?レシピが知りたいです」


確かに、イニジィエルは幼い魔女と契約をしているが、命令されるどころか仕事らしいことをしていないのだから、無理はない。

彼女の中でどうなっているのか、まるでママゴトの母親役を喜々と子どものような調子でいる。

つまり、今回の留守番といい、重労働な水汲みをやらせないことといい、イニジィエルがこの場合は子ども役なのだ。

外見は青年だというのにも関わらず、である。

イニジィエルは、二つの意味でゲンナリした。


「お前は、妙なものにハマっているのか?」


片方は当事者がいないためどうしうもないので、もう一方の“ゲンナリ”について問い掛ける。

口外に『そんな可愛らしい趣味を持つ玉ではないだろ』と、失礼なことをいいつつ。


「…失礼ですね。私ではなく、預かっている娘にどうかと思ったのです。リハビリがてら、ついでに日常で使えるものであれば、より気合いが入るでしょうし」


部下もまた、明らかに今口にした『失礼』とは別の意味でもイニジィエルに文句をいいたげである。

イニジィエルとしては、手作りを楽しむよりも、日常で使えるものを作ることに重点を置く娘が気になったのだが。


「俺は知らんぞ」


「作り置き分ですか。それとも無関心で、作っているところを見ていないだけかもしれないですが…。一ついただければ、レシピは調べられるので譲っていただけますか?」


「作り置きは、使っているのが最後だ」


「そうですか…。また、作ったときにでも教えていた」

「材料が手に入らない。買えなくてな」

「……」


部下はマジマジと上官を見詰めるが、彼が冗談をいっているようには到底見えず、至って真面目な顔でこちらを見返してくる。


「イニジィエル様ともあろう方が、材料を買う金もないとは…」


部下は、上官の悲壮感も何もない表情を見て溜息を吐いた。


「主人の命令がないから、仕方がない。勝手に動くのは、契約に反する」


「えぇ…まあ、そうですね」


イニジィエルだって、使えるものなら自分の持ち得るものを使いたい。


未だかつてないことだが、イニジィエルの幼い魔女は純粋な魔力量が彼よりも多い珍しい主人であった。

だから、今までの主人相手のようにイニジィエルに有利な契約を結んでいるわけではなく、命令であれば断ることが理論上不可能である。

例えば、『石鹸を作る材料を準備して』といわれれば、原動力に魔女から魔力をもらいつつも金品など他の対価なしで用意することが出来るのだ。


ママゴトの母親役が、無から有…この場合は有料のものを金もないのに望むわけはないのだが。


溜息混じりにいうイニジィエルに、部下はやや腑に落ちない風に肯定する。

今までにない上官の反応に驚いているのだが、相手がそれに気付く前に表情は繕われていた。


「契約は兎も角、変わった魔女ですね。普通、魔女であれば使い魔に命令しそうなものですのに。イニジィエル様の力なら、この家も新築同様に、衣食もそこらの王侯貴族と同等のものが準備出来ようものなのに、無欲といいますか…」


契約した魔女から魔力をもらう代わりに、願いを叶える。

使い魔というものは、本来はそういうものだ。


力が強ければ強い程、大きな願いを使い魔は正確に叶えることが出来る。

しかし、主人であるはずの魔女と使い魔の力の差があればある程、契約の拘束力が落ち、まともに命令を聞かないものだ。


「“無欲”か…。まったく願いがないわけではないがな」


幼い魔女のささやかな願いが、まったくの“無欲”と呼ぶのかは、イニジィエルはわからないと呟く。

尤も、部下の答えは呟きが聞こえなかったため返ってこず、イニジィエル自身も特に望んではいなかった。


「そのような方でしたら、もう監視の必要はないのではありませんか?」


部下の言葉はそれだけだったが、意図的に削られた言葉は想像に難くない。

イニジィエルもわかってはいたが、そこにはわざわざ触れずに答えた。


「監視は続行する」


上官の言葉に部下は、大袈裟に肩を竦めた。

このやり取りだけは、イニジィエルの主人が何人代わっても何度も繰り返されてきたものだ。

だからこの部下は、“処置なし”と諦めてさえいる。

…あの幼い魔女が主人だから特別と、そういうわけでは決してないのだ。


結界の際まで部下を見送ったイニジィエルは、そのまますぐに戻らずに足元を見た。

目眩ましと獣避け、悪しきものを追い払う│まじないが施された木の杭が、雨風に晒されて草臥れた様子ながらも健気に立っていた。


“呪い”というものは、何も魔女だけのものではない。

魔力など関係ない、昔ながらの気休め適度の“呪い”が各地にあるのだ。

この木の杭もまた、拙い絵と独特な形の文字を組み合わせた古めかしい“呪い”の一つであった。

本来であれば、なんの効果もないはずの“呪い”だが、拙い手には強力な魔力が込められ、他の丁寧な手には強い願いが込められていて、“気休め”とは到底思えないレベルのものに仕上がっている。


イニジィエルは呪いの前に片膝を着いて、斜めになった板に手を添えた。

そこには、単純で純粋で何よりも強力な呪いが込められているのだ。


『あの子を護れますように』


小さな魔女の強大な魔力があって発動した呪いに込められていたのは、母から娘に向けられる遠い昔から続く単純で純粋な願いだった。


それを知るから、イニジィエルは止めどなく考える。


あげるとするなら、恵みを取りに彼の魔女と共に山に入るか寝るときに使う湯たんぽ代わりくらいしか使われない自分が。


魔力、権力、財力、物欲、自己顕示欲もないが、無欲ではない彼の幼い魔女。

イニジィエルがどんなに強大な力を持つ大悪魔であっても叶えるのが難しい願いを持つ幼子。

いまはきっと、この世界のどこにもいない、幼い魔女の母である庇護者の願いを叶えるにはどうすればいいのか。


彼は自分の魔女が戻るまで、止めどなく考え続けていた。

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