3.森の巡回/後篇
“仕事”というのは、一言で言ってしまえば、“森の魔法使い”パメラの弟子の、巡回の護衛というものだった。
「少し町から離れた地域だから森の中の狩小屋に逗留する必要があるんだけど、さすがに私も年でちょっときついのさ。かと言って、弟子だけで行かせようにもまだまだひよっ子だからねえ……」
はあ、とパメラは溜息を吐く。
「警備隊も、何日も人を借りてられるほど余裕があるわけでも、いざという時にそこまで頼れるかっていうのも少し微妙で、腕の立つ傭兵を探してたところだったんだよ」
溜息交じりに話す魔法使いに、なるほど、とイグナーツは頷いた。
「その巡回というのは、どういうものなんですか? 危険が伴うようなことが?」
イグナーツの質問に、パメラは少し考えるような表情になる。
「だいたいはそれほど危険はないはずだ。ただ……行ってみないとなんとも言えない。そもそも、何も起こってないことを確認するための巡回さ」
「そうですか」
「森の北側の3箇所を回らなきゃならないんだ。魔物の危険はさほどでもないし、一応、何かあった時の手伝いは頼んであるんだけど、さすがに弟子ひとりだけで放り出すのは心配だったってところだよ」
肩を竦めるパメラにもう一度頷いて、イグナーツは横に座るカルミナに顔を向けた。
「カルミナ、どうだ?」
「わたしは構わないが」
「……では、引き受けましょう。1ヶ月もだらだら過ごしていたら、身体もなまりそうですしね」
カルミナの同意を得て、イグナーツはすぐに快諾した。その間、にこにこと横で話を聞くだけだったアントニアを観察していたが、カルミナにはどう見てもただの気のいい上流階級の婦人としか見えず……あの男は、いったい何なのだろうと考えていた。
「ありがたい。一応、3日後くらいを考えてるけど調整は利くから、都合が悪かったら言っておくれ」
そのまま日程と報酬の話を詰めて、出発する日の朝に弟子を向かわせるところまで決めた後は、イグナーツもようやく打ち解けて話せるようになっていた。もともと人好きのする人間であるし、こういう婦人たちの受けもいい男だから、彼に任せておけばだいたい間違いはないのだ。
アントニアからあれこれと質問を受ける形で、イグナーツはこれまでにこなした仕事など様々な話を披露して、日が沈むころにようやく茶会はお開きとなったのだった。
約束の日の朝、魔法使いの長衣を身につけた、まだ10代と思しき少年が宿を訪ねてきた。
「“森の魔法使い”パメラの弟子、ヴィルムです」
魔法使いらしいすこしひょろりとした、線の細そうな印象の少年だ。
「イグナーツとカルミナだ。これから5日間、よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
にこやかに握手を交わして幾分かほっとしたのか、ヴィルムは「ではさっそく行きましょうか」と微かに笑顔を浮かべた。
もしものための魔道具と野営用の荷物を積んだロバを連れて、森の中を徒歩で進んでいく。
「最初の場所は、たぶん今日の夕方くらいに着くと思います。そこと次のもうひとつはそんなに問題はないと思うんですけど、最後のひとつがここのところ少し不安定らしくて、師匠も心配してるんです」
「不安定って?」
イグナーツが尋ねると、ヴィルムは少し考えるように眉を寄せた。
「どう説明したらいいのかな……魔法が不安定というか……」
「そもそも、これから巡回するというのは、いったいどういう場所なんだ?」
口籠るヴィルムに、さらにカルミナが質問を投げると、ああ、それならと頷いて、説明を始めた。
「この森には、どうもいろいろ厄介なものがあるみたいで、定期的に確認しないといけないことになってるんです」
「厄介なもの?」
「はい。前王国時代に作られたものらしいんですが、まだ使える魔法設備とか……」
「へえ? 魔法設備って、たしか魔道具の大掛かりなやつだっけ?」
イグナーツが聞きかじりの記憶を口にすると、ヴィルムが頷いた。
「そんなところです。
本当はきれいに壊せればいいんですけど、壊すにもいろいろ手間がかかるしちょっとやそっとの力じゃ壊せないしで、こうやって巡回して変なことになったりしてないか確認するので手一杯なんですよ」
「王都の魔術師団に任せたりはしないのか?」
「ばあちゃん……師匠が、師団になんか任せたら、何されるかわからないって」
「ああ……なるほどなあ」
イグナーツは自分が知っている魔術師団の魔法使いを考えて、苦笑を浮かべた。
魔術師団に任せれば、たしかにある程度は安全かもしれない。だが、それ以上に魔法使いたちの好奇心に晒されて余計なことが起こるかもしれない。
先日のパメラの話では、“森の魔法使い”というのはこのあたりの安全を一番に考えるようだから、それは歓迎できないのだろう。
カルミナも、たしかにこのあたりは魔力がよく集まるようだなと考えながら、ぼんやりと話を聞いていた。
「それで、この森にある、そういう魔法設備みたいなものが変に稼働したり、誰かに悪用されたりしていないかを定期的に見て回っているんですよ」
「へえ」
「あと数年のうちに代替わりもしなきゃならないのもあって、そろそろ俺がやれってことになったんです」
肩を竦めるヴィルムに、「なるほど、じゃあしっかり務めを果たさないとな」とイグナーツは笑った。
ひとつめとふたつめは、つつがなく確認できた。
木々に埋もれかけ、びっしりと蔦の巻き付いた建物の隙間から中へと入り込み、目当てのものに何も起きていないことはすぐに確認できたのだ。
けれど町を出て3日目、3箇所めの目的地に近づくにつれ、ヴィルムの表情は険しくなっていった。
「……魔力が?」
「どうした?」
「おかしいです。変だ。こんな魔力を感じるなんて。もしかしたら穴が開いたのかも」
「穴?」
イグナーツはもちろん、カルミナにも“変な魔力”など感じられなかった。しかし、ヴィルムがそう言うならたしかに魔力があるのだろう。走り出す彼の後を追って、訳も分からないながら、イグナーツとカルミナも走り出した。
辿り着いた3番目の巡回先で、これまでと同じように蔦を切り裂いてできた隙間から中へと滑り込むと、これまで感じたこともないような気配が濃く漂っていた。
「まずいな」
ヴィルムはますます表情を険しくする。
「俺たちはどうすればいい?」
イグナーツに尋ねられて、はっとしたようにヴィルムは振り向いた。
「魔神が出てきている可能性が高いと思います」
「魔神? 神話に出てくる、あの魔神か?」
驚くイグナーツの言葉を「そうです」とヴィルムは肯定する。
「けど、神話ほどすごい魔神じゃありませんから、安心してください」
「ああ……」
イグナーツはごくりと唾を飲み込んだ。
「剣は効くのか?」
目を眇めるようにして奥を見つめながらカルミナが尋ねると、ヴィルムは少し残念そうな顔になる。
「魔剣でもなければ、たぶん、あんまり」
「そうか……」
考え込むカルミナをちらりと見てから、ヴィルムは簡単に指示を出した。
「けど、まずは、イグナーツさんとカルミナさんで魔神の牽制をお願いします。俺はその間に穴を塞ぎますから……穴さえ塞げば、魔神は倒せますし」
「わかった」
「イグナーツ、わたしが付与をかけるから、その間はお前がひとりでやれ」
「任せろ」
問題の部屋へたどり着くと、中には人間ほどの大きさの、青銅色の肌に長い尾を持った人型の魔神がいた。ヴィルムが安心したように、「部屋の結界は生きてたか、よかった」と呟く。
「たぶん、魔法を使って来ると思います。それと、床の線を崩さなければ、こいつはこの部屋から出られないはずです」
ヴィルムはそれだけを告げると、集中と詠唱を開始した。
「カルミナ、お前、こいつがどんな奴か知ってるか?」
「知るわけがない。魔神なんて初めてだ」
「やっぱそうか」
それじゃしかたない、斬ってみるかと、イグナーツが大剣を振り上げた。
それに合わせたかのように大剣にぼうっとほの明るい魔法の光がともる。カルミナの魔力付与の魔法だ。斬られた魔神が苦悶の声を上げる。
「よし、効いた」
だが、これならいけそうだと笑みを浮かべるイグナーツの目の前で、彼を嘲笑うかのように魔神の傷がみるみるうちに塞がってしまった。
「おいおい、それはない」
呆れたように溢して、イグナーツはもう一度と斬りかかるが、何合斬ってもやはりすぐに塞がってしまう。
「いたちごっこかよ」
舌打ちをしながらも斬り続けるイグナーツの背後から、ようやく「穴を塞ぎました」とヴィルムの声が上がった。
「もう普通に倒せるはずです」
「了解」
数歩下がり、距離を取ったヴィルムが立て続けに防御と強化の魔法を唱えていくのを確認して、カルミナも魔神の背後へと回り、斬りつけた。
魔神の尾や爪の一撃をうまく躱しつつ、ふたり掛かりで追い詰めていく。ヴィルムがそれを魔法で援護し……突然、魔神が聞き慣れない言葉を紡ぎ、その手が禍々しい光を帯びた。
「避けろ、カルミナ!」
その声に慌てて身体を捻るが一拍遅れ、魔神の手にカルミナの首が掴まれた。
「あ……」
「おい、カルミナ!」
イグナーツの呼びかけが微かに聞こえたのを最後に、意識が暗転した。
森の中で土を掘り返す。
真っ白な霧が木々の隙間を満たした凍てつく寒さの中、必死で掘り返す。穴を掘るための道具などない。ただひたすらに手と剣を使って土を崩し、掻き出していく作業を繰り返していた。
そうやって何時もかけてようやく必要な大きさの穴を掘り終えると、傍らに横たえていた身体を、もう一度だけ抱き締める。
すっかり冷えて固くなってしまった、私の、半身を。
産まれた時から、いや、産まれる前からずっと一緒だった。そして、これからも一緒だと思っていた。
黒く染めていた髪を一房切り落として、せめてこれだけでも共にあれと一緒に埋めた。いつか自分も必ずそこへ行くから待っていてくれと、最後に口付けた。唇はすでに冷たく、固くなっていて……かすかな血の味と、甘い香りだけを感じて……だけど、それ以外は何も、不思議と何も感じなかった。
──自分はただの人形だ。“父”に忠実にあれと、役目だけを果たせと、そう作られた人形だ。
無駄なことはするなと言われた。私の手に余るとわかっていて、何故そんなことをするのかと。
けれど、それでも、これだけはどうしてもと、1年だけの猶予を貰ったのだ。
私の半身のために。
……カルミナが、私を見ている。
私と同じ顔で、じっと、ガラス玉のように透明な、何も映していない、虚ろな目で。
「私は、忘れていないから」
だから待っていて。
もう少しだから。
時間はまだ半分あるから。
大丈夫だから。
必ず果たすから。
ぱちりと目を開けて、最初に視界に飛び込んだ顔を見て、反射的に短剣を振りかざして……「落ち着け、もう大丈夫だから」と腕を抑えられた。
心臓が激しく鼓動を打ち、掴まれた腕はぴくりとも動かせず……ああ、やはり自分では足りないのかと思い知らされる。
「魔神は、心の隙間を突くような魔法を使ったりするんです。
すみません、俺が、力不足だったから……」
若い魔法使いの弟子が、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……もう大丈夫だ。少し混乱しただけだ」
カルミナが深く息を吐くと、イグナーツはようやく腕を放した。
それでは、あれは魔神が見せたものだったのか。やけに生々しく感じたのは、まだ新しい記憶だったからなのか。半ば呆然としながらカルミナは、さっきまで見ていたもののことを考えていた。
「大丈夫か?」
イグナーツが心配そうに、座り込んだままのカルミナの顔を覗き込んだ。一瞬、背筋が粟立つのを抑えて、小さく頷く。
「大丈夫だ」
まだ少しだけ動悸が残っていたようだ。どくどくと脈打つ心臓をどうにか落ち着かせようと、もう一度深く息を吐く。
あと半年でどうしたらこいつを、と考えて……今まで感じたことのないざわつきを感じて、カルミナはなぜか不安に襲われた。
「……それで、魔神はどうしたんだ」
顔を伏せたまま問うと、イグナーツはあっさりと「倒した」と背後の床を示した。
「なかなか呆気なかったよ。とどめを刺したら、溶けちまった」
「そうか」
何かの染みのようなものが残った床をちらりと見て、カルミナは頷いた。
その様子に、ようやくひと息つけたのか、ヴィルムも「ともかく、ここが最後です」と床へと目を向けた。
「これで当分なんとかなると思います。ありがとうございます。
とは言っても、あとでもう一度後始末に来ないといけませんが」
ヴィルムはふたりにぺこりとお辞儀をした。