2.隊商の護衛/前篇
すでに全員が揃っていた。
今回の仕事は隊商の護衛だ。経路の説明や割り当ては既に聞いているし、あとの仕事はいつもと同じ、何かに襲われたらそいつを切り捨てればいい。とても単純な仕事で、あとは出発を待つだけだ。
「カルミナ」
「なんだ」
馬に跨ったままぼんやりと、何台も連なる隊商の大きな箱馬車を眺めているところに、不意に背後から声をかけられた。
振り向けばそこにはいつの間にかイグナーツがいた。容易く背後を取られたことに若干イラついて、カルミナはつい不機嫌な声を出してしまう。
「少し確認してみたんだが、フリーマールからフローブルクまでの街道では、やっぱり盗賊の襲撃が増えてるらしい」
「そうか」
湧き上がったイライラを抑えて、だから、これほど多くの護衛をつけることにしたのだなと納得する。ずっしりと商品を積み込んだ荷馬車1台あたり4人……全部で20人以上の剣を持った傭兵に、魔法使いが3人もいるのだ。
「あ、イグナーツ、そこにいたのね。じゃ、そっちが噂の相棒かしら?」
場違いなくらい明るい声に顔を向けると、その3人の魔法使いのうちのひとりがにこにこと笑って手を振っていた。柔らかそうな栗色の髪に明るいヘイゼルの目の、小動物のように可愛らしい印象の女魔法使いだ。
「ベルか。お前も護衛に入ってたのか」
「ベルか、じゃないわ。気付いてなかったの? 少し前に顔合わせしたときにもちゃんといたわよ?」
「いや、全然」
ベルと名乗る魔法使いは2人のところへ馬を進めると、目を丸くしながら「相変わらずね、呆れたわ」と少し大袈裟なくらいに両手を挙げた。それから、カルミナににっこりと微笑んで軽く会釈をする。
「私はベル。魔法使いよ。イグナーツともこれまで何度か仕事をしたことがあるの。しばらくはこの仕事で一緒ってことになるわ。よろしくね」
すっと手を差し出され、少しだけ考えたあと、カルミナはその手を握った。
「カルミナだ、よろしく」
ふふ、と笑ってまじまじとカルミナを見つめてから、ベルは「こんな赤毛美人だなんて聞いてなかったわ。うまくやったじゃないの」と、イグナーツの肩をパシリと思い切り叩いたのだった。
隊商の歩みは遅い。歩くのとはそう変わらない速度で街道を進んでいく。重たい馬車が全部で10台は連なっているのだから、こうもゆっくりなのはしかたがないだろう。
「なんでこう、急に盗賊が幅を利かすようになったんだと思う?」
声を潜め、馬を並べて歩くイグナーツが話し掛けてきた。
「どこかに内通者がいるという話だが」
確かにここふた月ほど、フリーマールからフローブルクへ至る街道での盗賊の被害は増えていた。どんなに用心しても、それを嘲笑うかのように隙を突かれ、隊商の人間や護衛を殺して荷を奪い……内通者がいるとしか思えないのに、その内通者が誰なのかわからないのだ。
もちろん、こうした被害が増え始めてからは、商人たちもそれなりに自衛はしている。雇い入れる護衛は全員、組合で実績を積んだ信用のあるものばかりで固め、商人たちの雇い人も身元の確かなものたちばかりにして、というものだが。さらには、いくつかの隊商で集まって規模を大きくしたり、いつ出発するかを秘密にしたりと、何もしなかったわけではないのに、被害はまったくおさまる気配を見せないのだ。
「今回の護衛は俺も知ってるやつばかりだな。さすがに、これだけ被害が続いてたら、商人だって怪しいやつは雇わないだろう」
「……でなければ、魔法で操られているとか、か」
魔法か、とイグナーツは呟いた。
「なあ、カルミナ。この中の誰かが魔法にかかってるとか、お前ならわかるか?」
「ひとを操るような魔法に限らず、内通するようなやつが魔法を使っておいて隠さないわけがない。本職でもないわたしに、隠された魔法がわかると思うか?」
「そうそう、うまくはいかないか……」
イグナーツをちらりと見ると、渋面で空を睨んでいた。
「お前の知り合いだという、あの魔法使いにでも頼めばいいじゃないか」
「ベルか……」
何故だかイグナーツは眉をぐいと寄せて、気が進まないと呟く。彼にしては珍しいなと、カルミナはもう一度イグナーツにちらりと目をやった。
「あの魔法使いに何か問題でもあるのか?」
「そういうわけじゃないんだが、ちょっと苦手なんだ」
「なんだ、男はああいう女を好むものだろうに」
「は?」
溜息混じりの言葉に少しだけ驚いたカルミナが思わずそう言い返すと、イグナーツはぽかんと口を開けた、間抜けな顔を向けてくる。
「何かおかしいことでも? わたしの知る限りだが、彼女のような女はよく男に好まれて言い寄られるものなんだろう? お前もそうなんじゃないのか?」
カルミナがじろりとイグナーツを見返すと、イグナーツは口の端に笑みを浮かべていた。
「いや……そこは好みによるというか、まさかお前からそんな話題が出るとは思わなかった」
「そんなことか」
いつものように返されて、イグナーツは「調子が狂うな」と笑う。
「それはともかくとして、前から、なんでだか苦手なんだよ。別に好み云々ってのは抜きにして」
「お前にそんな相手がいるとは知らなかった」
イグナーツはひとに対して好き嫌いがあるようには見えないのだが、とカルミナは考える。まだ組んで半年も経っていない短い期間ではあるが、組合に出入りする傭兵たちや仕事を持ってくる依頼主たちと、気が合わずにぎくしゃくしたり、ましてや揉めたりするようなところなど見たことがない。
「俺だって、苦手な人間のひとりやふたりくらいいるさ。まあ、そんなんで仕事に支障をきたしてもしかたないし、別にだからどうしようってのはないけどな」
「そうか」
「お前のほうこそ、苦手な人間とかいるのか?」
イグナーツに言われて、ふと考え込んでしまう。苦手というのは、何をもって判断しているのか?
「……誰かが苦手かどうかなど、考えたこともないし、聞かれてもよくわからない」
「お前、変わってるって、よく言われただろう」
小さく零しただけなのに、イグナーツの耳にはしっかり届いていたようだ。いきなりぽんと頭を軽く叩かれて、カルミナはびくりと震えた。思わずイグナーツへ目を向けると、彼は、はは、と笑っている。
「カルミナ、お前、猫みたいだって言われたことないか? それも、人馴れしてない野良猫って」
「どういう意味だ」
「どういうって、そのまんまだよ」
いったい何が面白いのか、イグナーツはなおもくつくつと笑っていた。
フローブルクまでのおおよそ中間点あたり、イルムタールの少し手前の土地は荒れていて、人里からも離れている。もちろん、逗留できるような町も村もなく、盗賊に襲撃されるとすれば、ここである可能性がいちばん高いだろうと、容易に想像できた。
だからといって夜通し進むわけにもいかない。ここを通る隊商がいつもそうするように、何度も野営に使われて平らに均された場所を野営地と定め、馬車を止めた。天幕を張り、食事の用意を始め、魔法であたりのようすを調べ……全員が十分に警戒しながら、一晩の休憩を取る準備を進めていった。
「ねえ、来ると思う?」
獣除けと鳴子の魔法を掛けるベルの後ろを護衛として歩いていたカルミナは、急に話しかけられて一瞬首を傾げてから、盗賊のことかと思い付いた。
「来るだろうな。ここ以上に襲撃に適した場所はない」
「やっぱりそうよねえ」
手早く魔法を唱えながら、ベルも頷く。
「これまでに襲われたのもこの辺りだって聞いてるし。南に向かう街道が、実質こっちか山越えするかのふたつしかないっていうのが困りものよね」
「たしかにな」
これだけ大きな馬車を何台も抱えた隊商に山越えはきつい。おまけに、山の中の街道は狭く、道もそこまで良くないのだ。
「ま、今日を凌げばあとは楽になるんだから、頑張りましょう。
ねえ、ところで、カルミナ」
「なんだ?」
「どうやってイグナーツの相棒になったの?」
「どうやってとは?」
にこにこと笑いながら聞かれて、カルミナは本気で首を傾げる。それが盗賊と何の関係があるんだ?
「だって、イグナーツは今までずっとひとりでやってたのに、急に相棒ができてるんだもの。これまで誰かに誘われても正式にチームを組むことなんてなかったのよ。いったい何があったのかと気になるわ」
「……仕事を共にすることが多かったのだが、そのほうができる仕事が多いとわかって、お互いの都合が良かっただけだ」
「ふうん?」
今ひとつ納得していないように、ベルは頷いた。
「色仕掛けでも使って落としたのか、なんて思ったわ。あなた美人だし」
くすっと笑うベルを一瞥して、カルミナは詰まらなそうに目を眇める。
「あいつがそんなものに引っかかるとは思えないが」
「そうかしら? 彼だって据え膳があれば食べてしまうんじゃないの?」
「食べたからといって、即、引っかかったということにはならないだろう。それに、わたしにはそんなことをする理由もない」
ベルは少し鼻白んだように目を瞠り、肩を竦めた。
「なんだ、本当にそういう関係じゃないのね。つまらないわ」
やれやれとでも言うかのように頭を振る。いったい何を期待していたのかと訝しむカルミナを放って、ベルはすぐに「じゃ、戻りましょうか」と歩き出した。
後は交代で夜番をこなせばいい。
配られた夕食を受け取って、カルミナはイグナーツの横に腰を下ろした。しかし、一口スープを啜ろうと口を付けたものの、すぐにスプーンを置いてしまう。
「どうした?」
「どうも、胃の具合があまり良くないようだ。あまり食欲がわかないから、夕食は控えて様子を見ることにする」
イグナーツが少し心配そうにカルミナのほうを向いて目を細める。
「大丈夫か?」
「ああ、一食抜かしてどうこうなるような体力でもないし、問題ない。
お前こそ、どうした。食べていないじゃないか」
「んー……どうも、好きじゃないんだよ」
イグナーツも何故だかあまりはっきりしない言い訳を口にして、皿を置いてしまう。
「好き嫌いがあるのか、贅沢だな」
「まあ、堅いこと言うなよ」
イグナーツはいつものようにへらへらと、「嫌いなものを食べずに済むのは大人の特権だろう?」と笑った。