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6.変化と/後篇

 もやもやを抱えたまま部屋に戻る。

 カルミナがよくわからない。


 ベッドに腰掛けて、イグナーツは大きく溜息を吐いた。

 怯えられているのに、あれじゃ、逆効果じゃないか。馬鹿か、自分は。

 いったい自分の何が彼女を怯えさせてしまったのかわからないが、それでもカルミナは傭兵を続けるしチームも解消する気がないという。

 なのに、あまり嬉しくない。


 最初に組合で出会った時は、どことなく放っておけないと感じただけで、何の他意もなかった。依頼の選び方ややり方なんかのコツを、ほんの少し教えてやればいいだけだったはずなのに、本当にどうしてこうなったのか。

 彼女が自分から離れないというのは、そういう意味ではなくて、たぶん何かしらの理由があるからなんだろう。

 時折、観察されているなとは感じていた。多少の警戒はしていたけれど、仕事では頼りにできるし……そもそも、自分のような生粋の傭兵でもなく、人生の途中から傭兵へ転向するような連中には事情持ちが多いのだ。だから、多少何かを抱えているくらい、どうということはないとも考えていたし、そこを追求するようなマナー違反をする気もなかった。


 だが、この状況はキツい。


 どっちつかずのまま、中途半端に崖から吊り下げられてでもいるかのような気分だ。落とすならいっそ一息に谷底まで叩き落としてほしい。それなら潔く諦めもつくだろう。

「まったく、いつからだったんだよ、俺は」

 まったくもって調子が狂う。


 一緒に組んで仕事をしてはいるし、彼女も一本立ちした傭兵として身を立てているのだとわかってはいても、彼女をあまり危険に晒したくはないと考えてしまう。自分が怪我を負ったり生命の危険に陥ったりすることの覚悟はあるのに、彼女が自分のように危険になることへの覚悟はできていないのだ。

 本当に、自分はいったい何をやっているのか。


 その日、夕食時になってもカルミナは姿を現さず、そのことでさらに、イグナーツは落ち込んだのだった。




 ──もう嫌だ。こんなのは嫌だ。何も考えたくない……考えるのはやめよう。最初の目的通り、あいつを殺して“父”のところへ帰ればいい。

 それですべて元通りだ。以前と変わらない生活に戻る……ただ、イグナーツも“カルミナ”もいないだけの、生活に。


 “仕事”の時はいつもそうするように、全身を隠す服を身につけた。それから深夜になり、皆が寝静まるのを待って、カルミナは魔法を唱えた。

 隣の部屋のイグナーツが寝ていることと位置を確認し、それから転移して一息にやれば……たぶん、チャンスは最初の一撃だけ。それを外したらわたしにもう次はない。

 ……いかにイグナーツでも、自分を殺そうとしたものを見逃しはしないだろう。




 しんと静まり返った部屋の、イグナーツの寝ているベッドの横に“転移”した。

 そのまま気配を殺し、短剣を振り上げ……一瞬だけカルミナの動きが止まり、それから何かを吹っ切るように右手を振り下ろし……しかし、カルミナが刺したのはマットだけだった。


 避けられた、と思った瞬間、引こうとした手首を捕らえられ、引き倒された。

 そのままうつ伏せに捩じ伏せられ、ぎりぎりと捻り上げられた腕の痛みに手が緩み、音を立てて短剣が床に落ちる。

 ああ、やっぱり失敗か、と考えて抵抗を止めた。

 ここで死んだら“カルミナ”に怒られてしまうだろうかと考えながら、小さく息を吐いてその時を待った。

「カルミナ?」

 けれど、イグナーツはそう囁いて、カルミナの顔を覆う布を引き剥がしてしまう。

 顎に手をかけて上向かせ、窓からの月明かりに透かすようにじっと見つめ……「カルミナ、どうして」ともう一度囁いた。

「殺せ。お前の勝ちだ」

 カルミナは目を閉じる。自分だとわかったところで、こうして殺しにきた者を見逃す理由はないはずだ。


 ──なのにイグナーツは瞠目し、それからカルミナの背に額を押し当てるようにして、小さく「嫌だ」と頭を振った。

「今殺さなければ、私は何度でもお前を狙うぞ」

「それでも嫌だ……どうしてだ、カルミナ。理由を言ってくれ!」

 顔を上げたイグナーツに噛み付くように言われても、カルミナは首を振るばかりだった。

「だめだ、殺せ……殺して……」

 くしゃりと、カルミナの顔が歪む。

「……もう、嫌なんだ」

 カルミナの目から、ぽろりと雫が溢れた。ひとつ溢れ、ふたつ溢れ……次から次へと流れて滲みを作っていく。

「嫌なんだ。もう、嫌だ」

「カルミナ……」

 ただ「嫌だ」と泣くカルミナの身体が不意に仰向かされて、その口が塞がれた。そのまま貪るように、イグナーツの唇がカルミナの唇をぴったりと塞ぎ……口付けを深くしていく。

 手首を抑えていたはずのイグナーツの手はいつの間にかカルミナの背に回され、しっかりと抱き竦めていた。

「……好きなんだ。お前を愛してる」

「イグナーツ……」

「お前が俺に、そういう意味で関心がないのは知ってる。だけど、俺はお前を愛してる」

「イグ……ナーツ」

「カルミナ、だから、殺せなんて言わないでくれ」

 そう言って肩に伏せられたイグナーツの頭に、カルミナは恐る恐る手を回した。そっと触れると、イグナーツが微かに震え……カルミナはゆっくりとイグナーツの頭を抱きしめた。

「本当は……殺せなかったんだ」

「カルミナ?」

「お前のこと、殺せなかった」

 イグナーツがまた顔を上げると、カルミナは泣きじゃくりながら「殺せない」と繰り返していた。

「魔の森の時も、竜の時も、いつもできなかった。どうしても、手が止まるんだ。殺したくなくて、だめだったんだ」

「カルミナ」

「だめなんだ。私はイグナーツが殺せない……殺したくないんだ。仇なのに、だめなんだ。苦しいんだ……助けて、イグナーツ……助けて」

「カルミナ、いいんだ。ゆっくり話してくれ。全部、ちゃんと聞くから。俺に話してくれ」

 イグナーツがもう一度抱きしめると、カルミナは縋りつくように、抱きしめ返す。

「……それに、私は、私は、カルミナじゃ、ないんだ」

「カルミナ?」

「違うんだ」

 イグナーツはカルミナを抱き起こし、「話してくれるか?」と、その顔を覗き込んだ。




 カルミナとラーベは何から何までそっくりな、赤毛の双子だった。


 物心ついた時には既に“父さま”と3人だった。“父さま”はいろいろなことを知っていて、それをすべて教えてくれた……武器の使い方や上手な隠れ方、気配の読み方を。年が上がれば、薬草や毒草の見分け方に使い方も丁寧に教えてくれた。

 ラーベに魔法の素養があるとわかってからは、魔法も教えられた。カルミナは自分には魔法が使えないことを残念がったけれど、その代わり剣で生き物を仕留める技は、ラーベよりもずっと上手だった。

 教えられたことがうまくできれば、“父さま”が嬉しそうに微笑んで褒めてくれた。それが嬉しくて、ふたりでもっとたくさんのことを覚えようと、さらに多くのことを頑張った。


 ふたりの初仕事は13の時で、対象はとある商家の主人だった。

 誰の依頼かは知らない。ただ、“父さま”がふたりならできるからやっておいでと言うから、ふたりで協力して殺した。ほんのりと罪悪感のようなものを感じたけれど、“父さま”に褒められたらそれもすぐに消えた。


 それからはずっと、“父さま”の言うとおりに殺し続けた。だんだんとものを感じなくなって、自分とカルミナと“父さま”の3人だけが世界のすべてになっていった。

 そう、自分にはカルミナと“父さま”だけ。

 そのふたりに見捨てられたら、ひとりになったら生きていけないのだと考えるようになった。


 ある日、“父”はカルミナだけを呼んで、ひとりで“仕事”をしておいでと言った。

 いつもならふたりで行かせるのに、今回に限ってはひとりだけで、そのことが不安で……「大丈夫だから、待ってて」と行ってしまったカルミナが戻ってくるのを、近くの森の中でじっと待っていた。

 けれど……。

「あの日、戻ってきたカルミナは、もう虫の息だった。私のところまでやっと辿り着いて、すぐに……」

 カルミナ……ラーベは俯いて、小さく続ける。

「カルミナの“仕事”で、対象の護衛についてたのがイグナーツという名前の傭兵だったことは、すぐにわかった。だから、私は、カルミナの仇が取りたくて……“父”に頼んで、1年、時間をもらった」

 イグナーツの身体に回した手に、また力がこもる。

「けど……けど、だめだった。私に、イグナーツは殺せない」

「そうか……」

 イグナーツは自分の胸に顔を埋めるラーベの背をそっと撫で……それから、ラーベの言う、その“護衛”の仕事を思い出そうとしていた。

 たしかに、ラーベの言う時期に護衛の仕事を引き受けたことは覚えている。だけど……。

「カルミナ……じゃなくて、ラーベだったな。お前が俺を殺せないって言うの、お前とカルミナには悪いが、嬉しいよ」

 顔を伏せたラーベの赤い髪に顔を埋め、口付けをひとつ落とす。

「けどな、ひとつだけ、弁解させてくれ」

 イグナーツはラーベの頬に手を添えて、上を向かせた。その目はとても真剣で……。

「ラーベ……俺は、カルミナを、殺してない」

 ひとことひとこと、はっきりと告げられた言葉にラーベは瞠目し……呆然と、ただ、「じゃあ、どうして」とだけ呟いた。


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