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5.魔の森/後篇

 カルミナは夢中で走った。森の中心に向かって。


 噂が本当なら、そこには魔王の館と、魔王が作った結界がある。魔王の結界に魔物は近寄れず、魔王に選ばれた者か力のある者しか中に入ることを許されないとも言われている。

 走って走って、とうとう足が縺れ、バランスを崩してカルミナは地面に転がった。ごろごろと勢いのままに転がり、ようやく止まった後も倒れて仰向けのまま、呆然と、木々の枝の隙間から見える小さな青い空を見上げていた。


 ──これは、自分が望んでいた結果だったはずなのに、なぜだ? なぜ、何の感慨も……いや、なぜ、自分はこんなに喪失感に襲われているんだ?

 なぜこんなに動揺している?


 はあはあと荒く息を吐いて、ただ呆然と転がって……起き上がる気にもなれず、ただじっと空を見上げていた。

 目的を達したなら、さっさと帰ればいいのだ。なのに……。


 ふと、がさがさと誰かの足音と気配が近付いて来て、カルミナはそちらに意識を向けた。

「……ねえ、あなた、怪我は? 大丈夫?」

 けれど、顔を向ける気力も返答を返す気力もなく、ただ転がっていたら顔を覗き込まれた。

 自分を見下ろしているのは、金髪の、人間の、女で……魔法使いのように見える。だが、人間がどうしてこんなところに?

「意識はあるみたいね。森の中にもひとり倒れてるって言ってたけど、あなたの連れかしら。今、迎えに行ってるわ」

「迎え……」

「ええ」

 では、イグナーツは無事なのだろうかと、やっぱり呆然としたまま、カルミナはゆっくりと身体を起こした。転がった拍子にぶつけたのか、身体のあちこちがずきずきと痛みを訴えている。

「あなた、傷だらけだわ。ちょっと待って」

 女が手早く魔法を唱えると、瞬く間に痛みが引いていった。


「誰も乗ってないのに、荷物だけしっかり括り付けた馬が2頭も飛び込んで来るんだもの、驚いたわ」

 くすくすと笑いながら、女はカルミナの手を引いて歩いた。休むならこんなところではなく、もっとちゃんと休める場所で休まなければだめだと言って、カルミナが起き上がるなり有無を言わせずに手を取って歩き出したのだ。

「だから、慌ててカルシャ……私の連れが魔法で調べたのよ。誰か森に入って魔物に襲われたのかもって」

「そうか……」

 手を取られても拒むことなく、ぼうっとしながら、くすくす笑う女の話を聞きながら、どこか現実感に乏しいまま、カルミナはただ歩いた。

「何にもないけど、大きな家具は残してあるし、井戸もあるの。休むことはできると思うわ。あなたたちの馬も荷物も無事だしね。お連れさんもすぐにここへ来るはずだから、一緒に待ちましょう?」


 少し歩くとすぐに館があったということは、やはりここは魔王の結界の中で、これは魔王の館なのだろう。カルミナは、では、この女が魔王なのだろうかと考えようとして、すぐにやめた。そんなこと、今更どうだっていい。

 返事もなく、ただぼうっと立ち尽くすだけのカルミナの様子に、女は軽く首を傾げていた。


 部屋に案内されてからさほど経たないうちに、イグナーツを肩に担いだ長身の男が現れた。

「……イグナーツ」

 降ろされて、けれど意識を失いぐったりとしたままのイグナーツの名前を呼び……呼びながら、イグナーツは死んでなかった、生きていたと自分が安堵していることに気付いて、また呆然とした。


 どうしてそんなことを考えるのだろう。自分がおかしい。


「ねえ、カルシャ。そのひとの様子はどうなの?」

「傷は塞いだ。あとは目を覚ますのを待てばいい」

「ですって。無事みたいよ、よかったわね」

 女に微笑まれて、カルミナは反射的に頷いた。

「かなり血を流したようだからな、目を覚ますには少しかかるだろう。いつになるかはこいつの体力次第だが、鍛えているようだし、それほど先ではないはずだ」

「そうか……」

 カルミナは気を失ったイグナーツをじっと見つめながら、もう一度頷いた。


 それからずっと、カルミナは蹲っていた。イグナーツを寝かせたベッドの横に椅子を寄せて、そこにただ蹲っていた。

 自分がどうしたいのかわからず……ここで止めを刺せば目的は果たせるし、大手を振ってあの“父”の元へと帰れるというのに、どうしてもその気になれないのだ。いったい、自分はどうしてしまったというのだろう。


「カルミナさん、ちゃんと休まないとだめよ」

 女……エルネスティと名乗った魔法使いが、食事を運びながら、カルミナに声を掛けた。

「このひと、あなたの恋人なの? 心配なのはわかるけど、ちゃんと休まないとあなたまで倒れてしまうわ」

「違う」

「え?」

「そんなものじゃない」

 エルネスティは小さく首を傾げる。

「そう。でも、心配なんでしょう? 大丈夫よ。カルシャの見立ては結構正確なの。彼が問題ないと言ってるんだもの、きっとすぐに目を覚ますわ」

 ちらりとイグナーツを見て、やはり頷くだけのカルミナに、エルネスティは仕方ないわね、と溜息を吐いた。

「あとで毛布を持ってきてあげるから、そっちの長椅子で少し横になるといいわ。ご飯はちゃんと食べるのよ」


 イグナーツが目を覚ますまでの間、カルミナは、やはりただじっと、傍らに蹲ったままだった。

 止めを刺すべきなのに、何をしているんだろうと考えながら。


「……う」

 ここに寝かせられて3日目の昼に差し掛かろうという頃、ようやくイグナーツが目を開けた。

 カルミナはびくりと震え、息を潜めて寝返りを打つイグナーツをじっと見つめた。

 ……とうとう、イグナーツが起きてしまった。

 気配を殺すカルミナの前で、目を開けて、ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ようやく目の焦点が合ったイグナーツがぽかんと周囲を見回す。

「……カルミナ? ここは? 魔物はどうした?」

「ここは、魔の森の中心だ。魔物は知らない」

「は? まさかここ、魔王の館か?」

 こくりと頷くカルミナに、イグナーツはますます呆気に取られ、眉を寄せて呟いた。

「つまり、魔王はいなかったってことで、いいのか?」

「知らん」

 ともあれ、イグナーツは起き上がろうとして、初めて身体に力が入らないことに気付いた。ずっと寝たままだったせいだろう。思ったよりも身体が萎えているようだ。

 ゆっくりと慎重に身体を起こし、もう一度室内を見まわすが、特に変わったものは何もなく……少し殺風景でどちらかといえば簡素な作りの部屋だと感じたくらいか。

 それから、そんなイグナーツの様子を、カルミナが椅子の上に蹲ったまま身じろぎもせず、ずっと見ていることに気がついた。

「カルミナ、お前、怪我はないか?」

「それは、お前だ……身体は、ちゃんと、全部、動くのか?」

「ん……動くが、少しどころじゃなく怠いな。俺はいったいどのくらい寝てたんだ?」

 腕や足をぶらぶらと動かし、指をひとつひとつ曲げたり伸ばしたりしながら、ふと、ベッドの横の小さなテーブルに置かれた食事にイグナーツの目が行った。ずいぶん空腹でもあったようだ。

「それはそうとして、とりあえず、その飯貰ってもいいか?」

 手もつけられずに置かれたままだった食事の皿を指差すと、カルミナはまた黙ってこくりと頷いた。


「あら、目を覚ましたのね」

 ノックの音がして、エルネスティが部屋へと入ってきた。イグナーツは慌てて口の中のものをもごもごと飲み下すと、「魔王、か?」と、カルミナに尋ねた。

 その声が聞こえたのか、エルネスティが目を瞠り、腰に手を当てて肩を(そび)やかす。

「あなた、私が魔族に見えるのかしら?」

「んー……魔族ってのは、黒くて角が生えてるんじゃなかったか? あんたは魔族には見えないんだが」

 恐る恐る、伺うように自分を見るイグナーツに、エルネスティはつい吹き出してしまった。

「私はこれでも人間で、魔法使いのエルネスティよ。死にかけてたあなたのことは、私の連れのカルシャが拾ってきたの」

 くすくすと笑うエルネスティに、イグナーツは「生命の恩人に失礼なことを言って、わるかった」と頭を掻く。

「もしかしてあなたたち、魔王討伐にでも来たところだったのかしら?」

「いや、俺たちは討伐に来たわけじゃないんだ。魔王の所在を確認に来ただけで」

 エルネスティににこにこと訊かれて、イグナーツがそれを否定するようにひらひらと手を振った。

「所在を確認? なんのために?」

「この辺りの領主たちが、魔王が復活したんじゃないかと怯えててね。ここに魔王がいるかどうかを確認してくるっていう仕事を、俺たちに出したんだよ」

「……領主って、馬鹿なのね」

「そんな、身も蓋もない」

 返ってきた答えに、エルネスティが呆れ顔で眉を寄せると、はは、とイグナーツは笑った。

「ご足労だけど、魔王はもういないわ。たぶん、今後も現れないんじゃないかしらね」

 肩を竦めるエルネスティを、イグナーツはじっと見つめた。カルミナもエルネスティをじっと観察する。

「なぜ?」

「だって、そもそも魔族に王なんていないのよ。魔王なんて現れようがないわ」

「へえ?」

 エルネスティはいたずらっぽく指を立てる。

「だから……そうね。領主には、魔王は永遠に滅んだんだろう、とでも報告すればいいんじゃないかしら。だって、角は消えちゃって、見つからないんでしょう?」

 エルネスティはまた楽しそうにくすくすと笑った。

「探知の魔法は存在しないものを見つけることはできないのよ。魔術師団にも見つけられないっていうのは、つまり、魔王なんていないってことなんじゃないかしら」

「……それじゃ、お前はいったい何なんだ?」

 カルミナが首を傾げてもう一度尋ねると、エルネスティは笑って肩を竦める。

「ただの引越し中の魔法使いよ。ここってちょっと不便でしょう? それにお客さんも多くて落ち着かないし。だから、町中に引っ越すの。

 ……あなたたち、運が良かったわよ。来るのがもう2、3日遅かったら、私たち完全にここを引き払った後だったもの」

「なるほど」

「だから、あなたたちがいなくなり次第、ここはもぬけの殻になるの。この先誰かが来ても、ここにはもう誰もいないわ。新たに誰かが引っ越してこない限りね」


 イグナーツが動いても問題ないところまで回復するのに、さらに4日ほど掛かってしまった。

 魔物避けの護符まで貰い、イグナーツは「剣が必要な時は、いつでも声をかけてくれ。あんたたちの仕事なら、最優先で引き受けさせてもらうよ」と胸を叩いた。

「割引もよろしくお願いしたいわ」

「そりゃ、応相談で頼む」

 馬に跨り、イグナーツとカルミナは手を振って“魔の森”を後にした。


 ぽくぽくと馬を歩かせながら、イグナーツはカルミナをちらちらと観察していた。

 彼が目を覚ましてからずっと、カルミナはどうも心ここに在らずという様子で、話すことも必要最低限に戻ってしまっていた。

 今回の件でまたカルミナは内に閉じ篭ってしまったようで……イグナーツは、せっかく馴れてきたと思ったのにと小さく溜息を吐く。

「とにかく、今回は油断した。俺が慢心してたんだ。危ない目に遭わせて悪かったな」

「それは、どうでもいい」

 とにかく、何か話を……とイグナーツが切り出すと、心底どうでもいいのだろうと窺わせる声音でカルミナが応えた。これはこれでかなり落ち込むな、とイグナーツは考える。

「だが、お前は、どうしてわたしを行かせた?」

「ん?」

「なぜ自分を囮にしようとしたんだ」

 思いもよらないカルミナの言葉に、イグナーツは困ったように笑った。

「いや……だってなあ、そうすりゃ、お前は生き残れると思ったんだよ。俺の傷はだいぶやばかったし、順当に考えて逃すならお前のほうだろう?」

「わたしを囮にすれば、お前のほうこそ助かったかもしれないのに?」

 ぐ、と詰まって、「いや、それはない」とイグナーツは首を振る。カルミナはその様子に「取り繕わなくてもいいんだぞ」と目を眇めた。

「いや、取り繕ってなんかないぞ。お前を囮とか、そんなの考えもしなかったしな」

「なぜだ」

 イグナーツは振り返り、ふ、と急に笑って、顔を(しか)め、何故か泣きそうな表情のカルミナへと手を伸ばす。

「……悪かったな、心配かけて」

 ぽんぽんと背を叩き……それから、イグナーツはくしゃりと優しくカルミナの頭を撫でた。


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