第23話
ちょっと長くしてみました。
「姫様、レイモンド殿下がお見えです」
「通して」
チルファは私の声にうなずき、扉を開いた。
開かれた扉の先には、着飾ったレイがいた。私は座っていた椅子を立ち、レイを迎えた。
「…」
「…レイ?」
ハッと息を吸ったきり、動かなくなってしまった。
「レイ?」
「…セ、セリアちゃん?」
細く問う声にうなずき、もう一度呼んでみる。
「レイ?どうしたの?」
「…あ、いや、ごめん…あんまり綺麗だったからちょっと見惚れちゃったよ」
レイは恥ずかしそうに頭をかくと、私のすぐ傍まで来て跪き、手を差し出した。
「?」
「セリア姫、貴女と共にダンスをする栄光を私に与えていただけますか?」
キラキラと明かりに反射する髪、潤んだ瞳、何だか熱っぽい視線は私をたじろがせるに十分だった。
「レ、レイ?何してる?」
「セリアちゃん、どうか手をとって」
言われるままに恐る恐る手を伸ばす。すると、レイの手に触れる前にレイの手が私の手を力強く掴んだ。
「さあ、セリアちゃん!会場に行って、驚かせてやろう!あのグズグズしてるハルも含めてね」
レイは器用に方目を閉じた。
「う、うん?」
私たちは手を取り合って、夜会の会場へと向かった。
それは、王宮主催の夜会のある1週間ほど前の事だった。
「レイモンド」
執務室の扉が開く。
「ハルンスト?どうしたんだ?」
扉を開け入ってきたのは、古くからの友人―――ハルンストだ。
「レイモンド、頼みがあってきた」
「頼み?珍しいな」
この友人は先の戦争で大きな体つきや整っているはずなのに微笑み一つ見せないために凶悪に見える面構え、冷静・冷酷な状況判断などから尊敬と畏怖の念を込めて『氷狼』と呼ばれた。
その敵味方共に恐れられる友人が頼みごとときた。基本的に何でも自力で解決してしまうスーパーな男が何故、わざわざ他人に頼みごとをするのか。俺は彼にそうさせる人物を思い浮かべた。
右目に金、左目に銀、腰まで伸びるさらさらの青銀の髪―――と、なんとも煌びやかな色を身に纏うその人は第一皇女と言う尊い身分に関わらず、忌まわしい風習から地下の牢屋に閉じ込められていたという、まだ16の少女。
彼女はその牢屋からハルンストに助け出されて以来、「ハルンスト、大スキー」になってしまった。
隣国のセルヴィアから少女らと共に出たときはひょろひょろに細く、歩く事さえままならなかった。また、凱旋組みの中に16の皇女様をお世話できるものなどいるわけもなく、最初彼女はぼさぼさのくすんだ髪をしており、その髪で顔はほとんど隠れていた。
彼女との初めての晩餐会で、薄く化粧を施し、着飾った姿は本当に美しかった―――…。
目の前の友人はその鉄面皮をどこか気まずそうに歪ませている。本当に随分変わったものだ。
「今度の夜会、セリアのパートナーを務めてくれないか?」
「は?」
そう、最初はセリアちゃんの夜会でのパートナーは彼女を救い出したハルンストにしてもらうことになっていたのだ。
「パートナーはお前だろ?何で俺が…?」
「…」
「答えないとかは無しだぞ。俺には知る権利があるんだからな」
「……頼む」
理由を言うわけではなかったが、氷狼が聞いてあきれるほどの弱々しい瞳だった。それでも真っ直ぐこちらを見つめて吐き出された言葉に俺は友人に切羽詰ったものを感じた。
「……分かったよ」
訳を問いただすのをやめ、俺は不貞腐れたように呟いた。
「…助かる」
ハルンストは用は済んだとばかりに踵を返し、扉を開けた。
「ハルンスト」
呼びかけると、今にも閉まりそうだった扉が開き、ハルンストが顔を出した。
「何だ」
「お前、あんまりグズグズしてんじゃねぇぞ」
「…何の話だ」
本当に分からないと言う顔で聞き返すハルンストに俺は呆れてしまった。
「はあ、まあいいさ」
「?」
ハルンストは顔に?マークをつけたまま、部屋から出て行った。
「……取っちまうからな…」
呟いた声は、部屋に静かに消えていった。
「「「おぉっ!」」」
会場に入ると、低いどよめきが響いた。
思わず掴んでいたレイの腕に力を込める。
人がいっぱいだ。
私の不安を察したのか、レイが顔を私の耳元に近づけた。いつもならはるかに高い位置にある整ったレイの顔が、今はすぐ傍にある。
「大丈夫だよ」
囁く声は低く、甘い。
顔をずらしてレイの顔を見れば、彼はニコリと微笑んだ。その微笑みに肩に入っていた力が抜けた私はレイの腕に込めていた力を緩めた。
いつもは若干お茶らけた雰囲気のあるレイだが、このような社交の場での落ち着きは自分との10年以上の年の差と、彼の身分が王子様である事を思い出させた。
「それでいい」
長い金のまつげで縁取られた碧い瞳が少し細められた。その笑みは私の心臓の辺りを何故だが暖かくさせた。
私とレイは例のリストに載っていた人物やレイの関係者の元に順繰りに挨拶をして回った。このとき、リストで幼児愛好家の傾向があると言われていた者や、サディスティックであると言われていた者などのところへは行かなかった。会わせられても困るので、正直ホッとした。
リストの人物巡りはつつがなく終わった。最後の人物の視線の鋭さが少し気になったのだが、それも一瞬の事だったので、私はすぐに記憶から消去した。
「ふー」
「ちょっと疲れちゃったかな?」
一段落着き、大きく息を吐くとレイが顔を覗きこんできた。
「うん、少し。いろんな人が見てくる」
「ははっ、それは仕様がない。セリアちゃんが綺麗すぎるのがいけないんだ。俺だって今日の君を見た時は思わず…」
そこまで言うと、レイの顔が見る見る赤くなっていった。
「思わず?…レイ?顔が赤い。具合が悪いのか?」
「えっ、あ…いや」
なんでもない、なんでもない、とレイが言うように顔の赤みは引いたが、本当に大丈夫だろうか。
「レイ、具合が悪くなったらすぐに…」
「これはこれは、レイモンド殿下!ご機嫌麗しゅう」
私の言葉を遮るように腹の出た頭の薄い中年の男が声を掛けてきた。
「ヘバルツ伯爵」
緩やかに微笑んでいたレイの顔に社交用の顔が貼り付けられる。どうやら、このヘバルツ伯爵はレイにとって気を許せるものではないみたいだ。
「今夜はこのような場にお招きいただきまして、誠にありがとうございます」
「ええ、楽しんでいただけたなら幸いです。こちらはセルヴィア帝国第一皇女セリア・ケイト・セルヴィア嬢」
「おぉ、殿下が美しい女性を連れていらっしゃると話題になっておりましたが、彼女が今話題の…。バスカン・アドホ・ヘバルツにございます。以後、お見知りおきを」
ニタニタした視線で見てくるヘバルツ伯爵に軽い礼だけをとる。
このおじさん、気持ち悪い。
「そういえば、今宵のワインは貴殿の領地のものだとか。とても美味しく頂いておりますよ」
レイは私をヘバルツ伯爵から隠すように身体を前に出した。
「レイモンド殿下にお褒めいただけるとは、恐悦至極の極みにございますな」
「これからも美味いワインを頼みます。では、我々は他にも回るところがありますので」
ヘバルツ伯爵は上機嫌で他の場所に去っていった。
「はー、彼のところのワインは粘着質すぎて、あまり好きではないんだけどね」
レイは苦笑しながらそう言った。
「ちょっとここで待ってて。飲み物を持ってこよう。誰かについて行っちゃダメだよ」
レイは微妙に失礼な事を言い残すと、人波に見えなくなった。
私は今日はまだハルを見ていない、と会場を見回す。すると、背の高いハルはすぐに見つかった。だが彼の姿を認めた瞬間、私の身体は硬直してしまった。
「お待たせ…どうしたの?」
私の異変に気がついたレイはいち早く尋ねてきた。何も答えない私の視線を追い、レイは会場にいるハルを見つけた。
「あー……」
ハルは、微笑んでいた。幸せそうに、柔らかく。二人の女性とともに―――…。
「セリアちゃん、テラスに行こう。ちょっと熱くなってきただろう?」
レイは目が離せなくなっていた私の腕を掴むと、ズンズンと歩き出した。
ヘバルツ伯爵の名前は“バカ”と“アホ”からきています。




