第2話
何の音だろう。
少し前から何かの音がする。
ウワアア!
キイィィィン、キン、キイィン!
一つは人の叫び声。それは分かる。では、もう一つは?
「き、れいな、おと」
ここ数日水さえも口にしていない喉では、掠れたとぎれとぎれの声しか出せないが、それでも人生で初めて聞く音に胸が高鳴った。冷たい牢の床に体を横たえたまま、私は長い間、瞼を閉じてその音を聞いていた。
ゴッ、ゴッ、ゴッ
いつの間にか寝てしまっていたらしい。目覚めさせたのは先ほどとは違う音だ。さっきよりも近くで、さっきよりも大きな音がする。音源は牢のある部屋に入る木製の扉だ。ゴッ、という音とともに扉が小刻みに揺れている。音の近さに、大きさに少し恐怖を覚えた私は牢の隅に体をこすりつけるようににじり寄った。
ゴッ、ゴッ、ゴッ
音はまだ続いている。ただ、先ほどまでとは違い、扉は大きく振動しているし、真っ暗だった牢の中に扉の向こうのランタンの光が漏れ込んできていた。
そして、ついに扉は音を立てて崩れ落ちてしまった。最初に感じていた恐怖がMAXになるのを感じながらも、恐怖の正体を見極めようと、眩しいランタンの光の中一生懸命、目を凝らした。
光の奥には何人かの大きな男たちがいた。みんなこちらを見て瞳を大きく見開いている。その様子に、少し笑いそうになってしまった。
男たちの中で、おそらく一番偉いのだろうと思われる男が進み出てきた。
「姫、そこを動かれるな」
低い声でそう囁くと、男は腰に差していた大きな剣を抜き去り、大きく振りかぶったかと思うと、鉄格子の錠前を叩き切ってしまった。あれってあんなに簡単に切れるものだったのだろうか?それともこの人が凄いのかな?
男はゆっくりと牢の中に入ってきた。父は牢の外から様子を見るだけだったので、ここに入ってきたことはない。だから牢に入って来るのは暴力を振るう義母くらいなものだった。そこに、義母とは違う、父よりも大きな人が入って来る。その人と私だけで、牢はいっぱいになったような気がした。
男は私の正面まで来ると、突然私の前で跪き、あの低い声で言葉を紡いだ。
「私はガイン王国将軍、ハルンスト・クインゲル」
「ハル、ン、スト、クイン、ゲ、ル?」
「呼びづらければ、ハルでも、ハルスとでも呼んでください」
「ハ、ル?」
「はい。…あなたの名は?」
「わ、たしの?」
なぜ私の名前を聞くのだろう?そんな人今まで一人もいなかったのに。っていうか、この人なんで突然名乗ったんだろう?今は名乗らなくてはいけない場面なのだろうか?
私の疑問を感じ取ったのか、男―――ハルが説明してくれた。
「人は誰かと仲良くなりたいとき、まず名を名乗るのです」
「なま、え?」
「はい」
「ハル、仲良い、したい?」
「はい。」
「私も、仲良い、したい?」
「それは分かりません。ただ、私と仲良くしてもよいと思われるのなら、あなたの名を教えていただきたい」
仲良くしたくなかったら名乗らなくてもいいのか。ハルは私と仲良くしたいらしい。じゃあ、私は…?私はどうだろう?…仲良くしてもいいかもしれない。だって、だってハル、さっき私がハルって呼んだとき、ちょっとだけ笑ってくれたんだもん。きっとホントは良い人だ。後ろにいる人たちはまだ怖いけど、ハルはもう全然怖くない。怖くない人なら仲良くしてもいい。
「ハル」
「はい」
「ハル、は、怖い?」
「…周りからは怖いと言われますが、あなたに怖がられないように努力はしましょう」
ほらね。どりょくしてくれるって。
「ハル」
「はい」
「私と、仲良い、す、る?」
「…はい」
少しの間の後、ハルはまた少し笑ってくれた。
「わた、しはセ、リア。セリア・ケイン・セルヴィア」
「よろしくお願いします。セリア姫」
そう言ってハルは頭を下げた。
「では、行きましょう」
「ど、こ?」
ハルはこちらを向いて、にやりと笑った。
「外へ」
「そ、と?」
「はい」
外に行ったら怒られるんだよ。そう言う前にハルは私を軽々と持ち上げ、牢の外に連れ出していた。
この日、
私の世界が崩れ落ちた。
そして、
新しい世界が作られた。
新しい世界の
中心には
ハルが
いた。