第10話
瞼が重くて目を開けられない。
何十メートルも下の岩に叩きつけられ、腕や足がおかしな方向に曲がっているのがわかる。幾筋もの血の道が体を伝っていく。
だが、大丈夫だ。
私は死なない。
それよりも問題はハルだ。即死だと私も流石にどうしようもない。一刻も早く自分が回復することを祈るばかりだ。
内臓などの最も命に関わる部分から順に治癒が行われ、後は両の足だけだ。ハルの生死を確認したい思いに駆られたのか、“それ”はいつもよりも早いように感じる。これは発見だ。
首を動かしてハルの姿を探す。
普通この高さから落ちれば即死だが、現に私は奇跡的にすぐには死ななかった。まあ、すぐに死んでも死ななくても結果は変わらないのだが。
いた。
ここからほんの数メートルの所にハルの大きな体を見つけた。微かに、ほんの微かにではあったが、ハルの胸元が上下している。
生きてる!
ハルが生きてる!!
歓喜に胸が震えるが、それはすぐになりを潜める。ハルはおそらく最初の私以上に瀕死であった。その厚い胸板が動いているのは本当に奇跡だ。
治れ。
治れ。
治れ。
早く。
早く。
早く。
静かに、しかし力強く祈った。
力よ、
私の思いにこたえる事が出来るのなら、
治れ。
治れ。
私を乗せ、疾風の如く野を駆けたあの馬よりも
早く。
早く。
足が治った、と認識した瞬間に私はハルの元へ飛んで行った。
ハルは血だるまで、オールバックにしていた鋼色の髪は乱れていた。手足は捩れ、腹は破れて腸やら何やら臓物がはみ出している。眼球は岩に叩きつけられた衝撃で弾けてしまったのだろうか、ハルの蒼い瞳があるべきところには暗い空洞があり、何かの液体が伝っていた。
そのような状態になってなおも息のあるハルはかなり人間離れしていると思う。
私はハルの状態を確認して、命に直接関わってきそうな箇所に重点を置いて治療しようと、腹部に手をかざそうとしてふと、思った。
この怪我を治した後、ハルはどう思うだろうか?この高さから岩に叩きつけられて生きている自分。服はボロボロで、辺りは夥しいほどの血が広がっている。それなのに無傷の自分。
私はきっとハルに聞かれたら嘘をつけない。真実を知った時、ハルは私をどう思うのだろうか?父のように恐れ、牢に閉じ込めるのだろうか?義母のように化け物と罵って焼きごてや鞭を振るうのだろうか?こんな化け物では実の父でなくても牢に閉じ込めてしまいたくなると、そう言うのだろうか?
嫌だ!
嫌わないで!
恐れないで!
哀願にも近い悲痛な叫びが胸の内にこだまする。ハルに嫌われ、蔑まれ、恐れられ、冷たい瞳で見られたら私はきっと気が狂う。死んでしまいたくなる。
そのとき、私の脳裏に妙案が浮かんだ。
そうか
死にたいのなら、死ねばいいのだ
今までいろんな方法を試されてきて、何度も死んだ。そして私は何度も蘇った。
だが、胴と首を永遠に繋がらないようにすれば、あるいは死の眠りから覚めずに済むかもしれない。首を鉄の板で断絶し、それをそのまま括り付けてしまおう。
もし、それでも死ねず、年老いても死ぬ事が叶わないというのなら、ハルの事を、ハルの家族を、子孫を永遠に見守ろう。
ハルが目の前で死にかけていて、私はハルを助ける事が出来るというのに、助けないというのはどうしてもできない。
嫌ってもいい
蔑んでもいい
恐れてもいい
その代り
お願いだからあなたに命の灯火を燈すことを許して
先ほどとは真逆の願いを胸に私は再びハルに近づいた。初めよりもハルは確実に死の方向に歩を進めている。
目の前には血だらけになったハルが転がっている。
まだ微かに息はあるが、後数分もすれば息絶えてしまうだろう。
私は決意し、ゆっくりとハルの胸元に掌をのせた。




