夏の始まり
梅雨入りが発表されたのはもう二週間も前の話。
だが梅雨と言うのは名ばかりで雨が降ることもなく、既に蒸し暑く日差しがぎらつく日々が続いていた。
優也は冷房がばっちりと効いた涼人の部屋で涼人とベッドの上向かい合わせになっている。先程までいつものように漫画を読みくだらない話しをしていたが、どちらともなく子犬がじゃれるように体を寄せ合い気付けば二人、そこに居た。
だがその先に進めない。
優也は涼人の淡い色合いの柔らかな髪に指を絡める。そうすると長い睫が縁取る瞳を涼人は自然と閉じた。
優也はそっと唇を寄せて重ね合う。
「今年は海に行こう」
「暑いのは嫌だ」
「それから祭りにも行きたい」
「人混みは嫌いだ」
「なんだよそれ」
優也はくすりと笑った。涼人の細く白い指先が優也の黒髪に伸ばされ優也がしたように指先が髪に触れ、愛しいものに触れるようにその手が滑る。
「優也が居なかったら、きっと俺の夏休みなんてつまんないものだったよ」
「外に出なさそうだもんな涼人は」
「うん、出たいと思わなかったし出る必要もなかった。夏がこんなに楽しいなんて知らなかったよ」
そう言うと涼人はどこかぎこちなく笑ってみせる。
だが優也にはその笑みが少しだけ寂しそうに見えて、その体を強く抱きしめた。
「知らなくても支障は無いのに、知ってしまうと支障だらけだ」
「なんで?」
「……言わない」
「言ってよ」
優也が涼人の顔を覗き込む。
「だから、これからの夏にお前が居なかったら困るって事」
付き合って一年の月日が経った。始めはキスもお預けで、付き合っているのか愛し合っているのかすら分からなかった二人の関係は、着実に変わり始めている。
「去年の夏はごめんね」
「あれはあれで面白かった」
付き合って初めての夏は、優也の補習に涼人が付き合って恋人らしいことも何も出来ずに夏は足早に過ぎ去ってしまったのだ。優也は申し訳無さそうな表情を浮かべる。
それが主人に叱られた犬のように見えて、涼人は優也の頭を少し乱暴に撫でた。
「だから今年は色々しようよ」
手を重ね、指を絡め合う。
「そうだな。今年はずっと二人っきりでこうしていたい」
「なんか涼人今日は甘えてるね、いつもだったらキスだってこんなさせてくれないのに……もしかして誘ってるの? なーんて」
冗談っぽく優也が笑う。だが涼人は至って真面目な顔をして、「そうだよ」と頷いた。
時間が止まったかのように優也が動かなくなる。一瞬世界から音が消えたかのような静寂が、二人を包んだ。
「俺達は間違いを犯そうとしてるかも知れないし、こんなの一時の気の迷いかもしれないけれど……、だとしても俺は、優也と一つになれたら、その……死んでもいいかも」
「死ぬのは駄目!」
優也が慌てたように声をあげベッドから飛び起きた。涼人は少し驚き戸惑ったようにそんな優也を見上げる。
大きく深呼吸をした優也が手を伸ばした。
涼人は意味が分からずその手をジッと見る。
「よ、宜しくお願いします」
「こ、此方こそ」
反射的に言葉が洩れ涼人は笑った。ゆっくりと再び指を絡め合い、体を寄せ合う。微かに震えているのに二人は気づいていた。
「誰に間違ってるって言われたって、俺は涼人が大好きだよ。この気持ちは本物だよ」
二人は一度見つめ合い、どちらからともなく唇を重ねた。迷いは一瞬で、後は押し寄せる感情に身を委ねる。
その日、予想より遥かに早い梅雨明けが全国的に発表された。
それは二人にとって、戻れない夏の始まりでもあった。