⑦ 母と娘
手紙を読みながら紗雪はずっと涙を流していた。
手紙を読み終わった後も紗雪の瞳から涙が枯れることはなかった。
「……紗雪……」
朝、曇っていた空は、雲の合間から晴れ間があちこちで顔をのぞかせていた。
庭に出ていた紗雪と三夜子を風が撫でていく。
「お母さん、私はここにいてもいいの? 生まれてきて良かったの? お父さんもお母さんも本当に私を望んでいてくれたの?」
その声は、小さく弱弱しい、でも、暗さはなく、三夜子の耳にしっかり届いていた。
「……ごめんね、紗雪。お母さん、怖かった。お父さんがあんな形で亡くなって……これからどうしていいかも……あなたとどう接していいかも……怖くて……」
紗雪は隣に立つ沙夜子を見上げた。
三夜子の瞳から一筋の涙が流れる。
「……今も怖いの……現実を受け入れなきゃいけないのは頭では分かってる……でも……ごめんね……紗雪……抱きしめてあげることが出来なくて……ごめんね……紗雪……ごめんね……ごめん……」
言葉の最後は嗚咽が混ざっていた。
紗雪はそんな母を悲しそうに見つめる。
三夜子の横顔をしばらく見つめた後、顔を正面に向けた。
その瞳はまっすぐ力強い意思を持っていた。
そして、何かを決意した瞳。
「お母さん、今までありがとう。私、那美さん、志人さんと行きます。苦しめてごめんね」
静かだが、はっきりとした声。
三夜子は涙に濡れた顔で、紗雪を見た。
少し強くなった我が子の……すべてを受け入れ、すべてをふっきたような横顔。
「……紗雪……お父さんはあなたを望んでいた。手紙にも書いてあったけど、最初は自分の命を終わらせるためだったのかもしれない……でも、あなたが生まれてからの数年間、お父さんと私はすごく幸せだった。穏やかな日々を、紗雪、あなたがいたから過ごすことができた。あなたは望まれて生まれてきたのよ、紗雪」
三夜子の瞳からはあとからあとから涙がこぼれていた。
「……お母さん……」
紗雪はじっと母を見つめていた。
重く黒かった雲は綺麗になくなり、空はいつの間にか鮮やかな青に変わり、降り注ぐ太陽の光が二人を優しく包み込んでいた。
二人は涙を流しながら微笑み合った。
「紗雪をよろしくお願いします」
三夜子が深々と頭を下げた。
「分かっています……あなたは本当にそれでいいの? 紗雪ちゃんと別れて……」
三夜子がうなずく。
「あの子が決めたことです。それに私はまだ……」
うるんだ瞳で三夜子は那美に向かい小さく笑う。
「……怖いんです……あの子が村沢を殺した事実。これは変えられない……でも、私は今一番紗雪が大事なんです。これ以上あの子を傷つけたくないんです……今は離れてあの子が安心して暮らせるようにしてあげたい……ここにいたらあの子はまた傷つくことになる……」
泣いているような、笑っているような複雑な表情を見せる三夜子。
「私は今までの生活を続けます。何も変わらず、何も変えず……ただあの子の幸せだけを願って……私はまだあの子を受け入れられない……まだ怖い……紗雪はそれが分かっています。だからあなたたちのもとに……」
三夜子はそういってまた深々と頭を下げた。
そんな三夜子を那美は言葉も出さず、ただじっと見ていた。
三夜子は零れ落ちそうになる涙を指で拭った。
「……あなたは紗雪ちゃんが大好きだよね。守ってあげたい、そう思っている……でも、怖い……その二つの思いが心の中で葛藤して紗雪ちゃんを避けている…… でももし、紗雪ちゃんを守ることができるとしたら……?」
三夜子はその言葉に那美をジッと見つめた。
「スポンサーにならない? あなた会社の社長さんだよね。紗雪ちゃんに不自由させたくなくて、今までそういう形で頑張ってきたよね。だったら、これからもそういう形で紗雪ちゃんを見守ってあげて……紗雪ちゃんを守ってあげて……」
「私があの子を守ることができる……?」
「そう、守ることができるの。金銭面のことかもしれない、でも、それだって十分あの子の力になれる……守ってあげることができるの」
三夜子は那美に向かってニッコリ笑った。
「私があの子にしてあげられることがあるのなら、すべてをあの子に……」
その言葉に那美も三夜子に向かって笑った。
いかがでしたでしょうか。
これで紗雪の話は一区切りです。
ただ、紗雪にはもうしばらく出てもらいますが……
次からは新しいキャラも出てきます。
感想をいただけると嬉しいです(^^)