最終話 『翠の終焉 ― そして、種(たね)―』
――世界は、緑に飲まれた。
街も、鉄道も、家も、すべてが森の中へと還っていった。
人の築いた文明の灯は消え、大地を覆うのはただ“生命”だけ。
カイは瓦礫の中に膝をついていた。
仲間たちは散り散りになり、生き残った者の声すら聞こえない。
空には、緑の極光が揺らめいている。
それは美しくも、どこか哀しい光だった。
「……これが、終わりの姿なのか」
答えるように、大地が微かに震えた。
その振動とともに、森の中心――かつての都市の中央に、あの“王”が立っていた。
樹皮に覆われた巨躯。
瞳に宿るのは怒りでも復讐でもない。
それは“静かな意思”だった。
『……まだ、生きていたか、人の子よ』
低く響く声が、空気を震わせる。
カイは銃を構えるが、その手に力は入らなかった。
「撃たねえよ。もう、戦う意味なんて……どこにもない」
『ならば、何を求める』
熊の瞳が、深く彼を見つめる。
その奥に、確かに“知性”があった。
「……教えてくれ。
あんたは、何のために生きてる。
俺たちを滅ぼすことが、“正義”なのか?」
一瞬の沈黙。
風が吹き抜け、木々がざわめいた。
やがて、“緑の王”は静かに答える。
『我は怒りから生まれた。
人の捨てた血、毒、そして絶望が、我を形づくった。
だが今は違う。
我は、滅びを望まぬ。
ただ――この星を、再び“生きられる地”に戻すために、命を正す』
「……正す、ってのは、殺すことか?」
『必要とあらば、そうだ。
だが……お前は違う。
お前の中には、まだ“芽”がある』
熊の巨腕がゆっくりと持ち上げられ、カイの前に差し出された。
その掌の中心で、淡い緑の光が脈打っていた。
――それは、種。
『受け取れ。
人と森を繋ぐ最後の種だ。
もしお前が、それを育てる日が来るのなら……この星は、再び調和を知るだろう』
カイは震える手で、その種を受け取った。
温かかった。
まるで命の鼓動そのもののように。
「……ありがとう。
たとえ世界が変わっても、俺は……“人間”として、この種を守る」
“緑の王”の瞳が、わずかに和らいだ。
『ならば、我も信じよう。
人の愚かさだけでなく――その希望をも』
次の瞬間、熊の体が光に包まれ、無数の蔦となって空へと散っていく。
森が静まり、風が止んだ。
緑の極光も、少しずつ消えていく。
カイはその場に立ち尽くしたまま、掌の中の“種”を見つめた。
その小さな命こそが――滅びの世界で残された、たったひとつの“希望”だった。
彼は空を見上げる。
雲の切れ間から、久しぶりに太陽の光が差し込む。
「……行こう。
もう一度、この星を“育て直す”んだ」
風が吹き、緑の葉が舞った。
その中で、カイの足跡だけが新しい大地に刻まれていく。
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― 完 ―
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あとがき
この物語『進撃の熊 ―緑の王篇―』は、
人と自然の“関係の末路”を描いた寓話であり、警鐘でもあります。
熊は、単なる怪物ではなく、
人間が生み出した「報い」であり、
同時に「赦し」の象徴でもありました。
人は壊しすぎた。
しかし、同じ人が“育て直す”こともできる。
滅びの中で残った“種”――
それは、文明ではなく“心”そのものなのかもしれません。
この世界にまだ、芽吹きの希望があることを信じて。
――赤虎




