第九話
「体力増強計画」を思いついたのは、久々の王都を楽しみたいというのももちろんある。だけどもっと重要なのは、デュトワ家の女主人として、不足なく働ける体になることだ。
デュトワ家には先代の頃から仕えている領地管理人と、領地管理の教育を受けた専属の使用人が複数人いるとのことで、今のところ私が領地経営に関わる余地はあまりない。けれど、仮にも現当主の妻なのだから、もしもの事態に備えるため、こっそり勉強をしておくことにした。領地経営の基礎はアルドワン家で教わっているけれど、デュトワ家の領地のことを学ぶのはこれからだ。
社交シーズンが到来する秋まで、あと二か月とちょっと。その頃になれば、これまでとは比べ物にならないほど忙しく働くことになるだろう。もちろん、急に健康な人のようにできるとは思っていない。時には夜会を欠席しなければならない日も、きっとある。
それでも私は、一歩でも前に進みたいのだ。
そのためにはやはり、健康第一。
「準備運動はこんなものかしら。まずはダンスの復習から始めたいわ。クリスタ、あなた男性のステップは踏める?」
「はい、お任せ下さい」
──五分後。
「ご、ごめんなさい。今日は、この辺で、いいわ……」
「奥様、申し訳ございません。ご無理をさせてしまいました。すぐにご寝所へ参りましょう」
久々のダンスの復習は、あえなく終了した。五分ともたないなんて、体力がないと自覚しているとはいえ、正直ショックだ……。
私はクリスタに支えてもらいながらよろよろと歩き、自室のベッドにぼふりと体を横たえた。
すぐに、うとうととした眠気が訪れる。目が覚める頃には、発熱の気配が訪れていることだろう。
──情けないわね、ヴィオレット。
ええ、情けないわ。情けないですとも。
それでも今日が、この失敗が、これからの私の第一歩なのよ。
内側から自分を嘲笑う声をぴしゃりとやっつけて──私は眠りに落ちた。
*
それからは、体力作りの日々が始まった。
クリスタは幼い頃、騎士に憧れて、自分もいつか騎士団に入ろうと、体を鍛えていた時期があったそうだ。
「もちろん、何も知らない子供の頃の夢ですから。女性が騎士団に入れないことは、すぐに知りました」と言っていた。
そうしてクリスタに指導を仰ぎ、私は体力をつけることに重きを置いた基礎的な鍛練をこなしている。
そんな日々が、もう十日ほどになるだろうか。そんなに短期間で体力はつくものではないし、私のダンスの時間も、初日の五分からいっかな伸びない。
それでも大切なのは反復。反復は全てに打ち勝つのだ。
「奥様、そろそろご寝所へ参りましょう」
そうクリスタが言ったら、どんなに心残りでも切り上げることにしていた。
ベッドに体を預けたら、すぐに眠気がやって来る。まるで午後の遊びを終えた、子供のお昼寝のようだ。
運動だけではなく、最近は食事面も変わった。
慣例だからと朝食に出されていた卵焼きやベーコンは、私の胃には重く、食べきれることが少ない。かえってエネルギー不足になっているのではと察したクリスタが、食べやすいメニューに変更してくれたのだ。
朝食は、少しのジャムをつけたパンに、ふわふわの卵が浮かんだスープ、邸内の菜園で取れたトマトやフルーツ。
昼食は、卵焼きとサラダとベーコン、バター付きのパンに、カットされたフルーツの盛り合わせ。
間食にはバターつきパンか、クリームを挟んだフルーツサンド。
そして夕食はベルナール様と同じメニューで、量を減らしてもらっている。
毎日決まった時間に、決まったメニューで出される食事は、胃にやさしい気がするし、たくさん食べた実感も湧いてくる。
フルーツはクリスタの実家の農園のものがいいと言ってみたけれど、「私の実家は少し遠いですので、輸送に時間がかかってしまうのです。ドライフルーツやジャムなどならよろしいのですが、生で食べるお野菜や果物は、邸内の菜園のものにいたしましょう」と優しく諭された。
そして睡眠面では、私の習慣となっていた昼寝をやめることにした。ただ、体調がよくない日は、日の高いうち、一時間だけ許されている。それも二日続くことはない。
はじめのうちふらふらとめまいを起こしてはおぼつかない足どりでいた私を、クリスタは痛ましいものを見るような目で見ていた。けれど、数日、数週間と経つうち、体が慣れて、昼寝がないのが当たり前になってきた。その代わり、夜は毎日ぐっすり眠れるようになって──とはいかないのが悲しいところ。
けれど、これは気疲れもあるのだろう。理由は分かっていた。アルドワン家に生まれながら魔法使いになれないことの歯がゆさや、私の体を決定的に壊すこととなったある事件のこと──夜になると、それらの記憶が鮮やかに甦るのだ。
クリスタのやっていることは、正しい気がする。
私はその直感を頼りにして、連日の睡眠不足に耐えていた。




