第五話
「お気になさらなくて結構ですよ。よくあることですから」
「……そうなのですか?」
どういう意味だろう、と私が推測しかねていると、デュトワ伯爵は薄い唇をかすかに笑みの形に歪めた。その酷薄さと美しさに、私は見惚れてしまう。
「デュトワ家は国内の政治の、いわばバランサーとして代々機能してきました。諸外国との連絡役も兼任しています。私が持っている情報を狙う輩も多い」
思わず息を飲んだ私に、伯爵は何でもないというように話を続ける。
「私の妻となるからには、貴女にも相応の覚悟を持っていただきたいのです」
空に流れる雲が、私たちの顔に影を落とす。そよ風が薔薇の香りを運んできているはずなのに、どうしてか今はそれを感じ取ることができない。
「……デュトワ様こそ、よろしいのですか?」
「何がでしょう」
「私は魔力はあれど、魔法使いになることはできません。体が弱く、訓練を受けることができないのです」
その事実は、私にとっては声が震えそうになるほど恥ずかしいこと。けれどデュトワ伯爵は、何だそんなことか、とでも言うかのように、ふっと笑ってみせた。
「承知しておりますよ。そのためにここ一年、社交界にお顔を出しておられなかったことも」
私がひどく気に病んでいることも、この方には、取り立てて注意を向けるようなことではないということだ。その理由を、今は推し測ることができないけれど、この縁談は逃したくない。
「時間を無駄にしたくないので、今ここでお返事をいただきたい。──ヴィオレット・アルドワン伯爵令嬢。私と結婚していただけますか?」
一度も口をつけられなかったティーカップ越しに、彼の手がまるでエスコートするかのように伸びてくる。
この結婚によって、彼はアルドワン家および分家の「ポレール貿易」との繋がりを得る。一方私のほうは、実家を出なければならないという願いを叶え、堂々と「デュトワ伯爵夫人」として新たな門出を迎えることができる。お互いにとってメリットの大きな話だ。
私は小さく息を吸うと、決意の証として、その手を取った。
これは誰に強制されたわけでもない、いわば私たちの意思で結ぶ政略結婚。
──くじけないでね、ヴィオレット。今度こそ。
雲が落とした影の下。輝きをひそめたティーカップの金彩と、透き通った紅茶の色が、誰にも顧みられないまま美しく調和していた。