第四話
数日後。デュトワ伯爵をもてなすお茶会を開くために、私は家の戸棚から食器を選んでいた。
分家が貿易業を営んでいることもあり、我が家の食器棚には国内外から取り寄せた様々なティーセットが揃っている。いつどんな客人が来てもいいように日頃の備えを怠らないのも貴族の務めの一つなのだ。
とはいっても、収集された数々の食器には私とお母様の好みが色濃く反映されている。半分趣味のようなものだ。
お父様や兄様、フェリシエンヌはそこまで興味がないようで、「あるものを使えばいい」というスタンスでいる。食器棚の全貌を把握しているのは私とお母様、それに家令のアランくらいのものだろう。
デュトワ伯爵の好みどころか、外見もろくに知らない現時点では、あまり華美なものは避けるべきだろうかと考えて、私は白い磁器に金茶色の縁取りが施されたカップを手に取った。薄暗がりでは分かりにくいが、日に当たると縁取りの部分がきらきらと輝くようになっている。一見地味なようでいて、紅茶の透き通る赤色と穏やかな日光が映えるこの食器を、私は気に入っていた。
ベルナール・デュトワ伯爵。二十一歳にして伯爵家の当主。数年前にお父君を事故で亡くされている。
今はこれだけが、彼について私が知っていることの全てだ。
デュトワ伯爵は、私と同じように、この食器を気に入ってくださるだろうか。
*
求婚の手紙を受け取った日から約二週間後、デュトワ伯爵を招いてのお茶会が開かれた。外は気持ちのいい青空で、どこからか鳥の声が聞こえてくる。時折そっと吹いてくる風はかすかに冷たさを含んでいて、春の陽気に涼しさを加えている。お茶会にはこれ以上ないほどよい天気だ。
庭にしつらえたテーブルセッティングは完璧、メイドの人員も十分だし、不測の事態のためにアランも控えてくれている。
今日の私は失礼にならない程度の軽装をしている。ここ一年ほどは、夜会のために着るようなパニエ付きのドレスや、華奢で踵の高い靴が、体に負担をかけてしまうことを感じているためだ。
無理を押して夜会に出れば、翌日は大抵熱を出すし、ひどいときには流行りの風邪をこじらせたりする。私が社交界に顔を出せなくなった主な理由だ。
とはいえ失礼があってはいけないので、今日は上質なシルクのドレスを身にまとっている。裾の広がりはほとんどなく、エンパイアドレスのように可愛らしくもすっきりとしたデザインだ。
美しい純白の生地はほのかに青みを感じる光沢があり、ドレスそのものがため息の出るような気品を漂わせている。私の髪の色味に近いこのドレスは、お父様が仕立ててくれたもの。着心地がとてもよく、体の動きにすんなりと沿ってくれる生地は、美しいだけでなく体への負担を最小限に抑えてくれる。私のクローゼットの中でもお気に入りの一着だ。同じシルクで仕立てられた、ヒールのない柔らかな靴も履いている。
そして顔回りが寂しくならないように、真珠とアクアマリンのネックレスに、小粒のダイヤモンドのイヤリングを着けていた。
歓待の気持ちを示すためにも、精一杯の装いをしたけれど、デュトワ伯爵の目にはどう映るだろう? 今日の彼はどんな装いで来るのだろう?
そんな風に思いを馳せているとアランが顔を見せ、「デュトワ伯爵のご到着です」と告げた。
屋敷の門の前に着けられたのは、伯爵の身分にふさわしい立派な馬車だ。そしてそこから降り立ったのは──艶のある黒髪の、背の高い青年。切れ長の黒い目、彫りの深い顔立ちに凛々しい輪郭、涼しげな薄い唇。騎士のように清廉な雰囲気の男性だ。
──この方が、デュトワ伯爵?
私の胸は密かに、でも確かにときめいてしまう。
清廉で精悍な雰囲気を漂わせる目の前の男性に、何か新鮮なものを見たような気持ちになってしまった。体つきもたくましく、服の上からでも鍛えているのが分かる。事前に聞いてはいないけれど、もしかしたら騎士団に所属されているのかもしれない。
「ベルナール・デュトワです。本日はお招きいただきありがとうございます」
「ヴィオレット・アルドワンです。本日はようこそお出で下さいました」
見た目の印象通り、声は少し低い感じだ。
アランとさりげなく目を合わせ、私はデュトワ伯爵をお茶会のテーブルへと案内した。
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せっかくの天気なので、今日のお茶会のテーブルは庭にしつらえておいた。今が盛りの薔薇がよく見える位置で、ほのかに薔薇の芳香が感じられる。青空の広がる庭で鳥の声がしていれば、初対面で話の盛り上がりに多少欠けても気にならないだろうと踏んでのことだ。
──けれど私は、本当は、思い出深い庭にいることで、守られているような安心感がほしいのだと思う。目の前の青年は誰が見ても美丈夫だと称えるだろうけれど、まだどんな方かも分からないのだ。
お父様がアランに目配せで命じていたデュトワ伯爵の身辺調査の結果は、詳しく聞かないことにしておいた。
結婚生活を送る上で重大な問題になるようなこと──暴力や暴言を振るうとか、酒に溺れているとか──がなければ、結婚するつもりでいることは、お父様に伝えてある。その点は調査の上で問題なしと分かっていた。
調査結果はきっと彼のプライベートな部分にも踏み込んでいるだろう。その詳細な情報を私がデュトワ伯爵本人以外の第三者から得るなら、やはりそれは一線を超えた振る舞いになってしまう気がした。
それでなくとも、二度も婚約破棄された女のもとに新たな求婚の手紙が来て、相手は若い美丈夫、しかも有能と評判の伯爵家当主なのだから、何の文句を言うことがあるだろう。
世の中には親より年上の権力者に嫁がなくてはならない令嬢もいるのだから、私は本当に恵まれている。
──少し話がうますぎるなとは、思うけれど。
そんな思いのあれやこれやはすっかり身の内に隠して、私は真向かいに座ったデュトワ伯爵に微笑みかけた。
彼の切れ長の瞳がわずかに見開かれ、音も聞こえないほどのかすかなため息が漏れた。
そのまま凍りついたかのように固まって動かない。
あ、と思考が切り替わった。堂々とした出で立ちだったから気が回らなかったけれど、まだ緊張されているのかもしれない。うかつだった。
今しがたアランが大きなティーポットから紅茶を注いでくれたおかげで、カップからはほかほかと香り高い湯気が立ち上っている。
食器は先日選んだ、抜けるように白い磁器。金茶色の縁取りは思った通り、穏やかな日光を受けて控えめに輝いている。
「どうぞ、お召し上がり下さい。分家が貿易業を営んでおりますもので、国内外から取り寄せた茶葉とお菓子が色々ございます。お好きなものがあれば仰ってくださいね」
「ありがとうございます」
さりげなく分家の話に水を向ければ、やはり。
「分家の方が貿易業を営んでおられるとのことですが」
「ええ。アルドワンの慣習のようなもので、次男以下の男子は、ほとんど分家で貿易業に従事します。今は私の父の弟があちらの当主ですね」
「業界では知らぬ者のない『ポレール貿易』だ。一度あちらのご当主にもお伺いに参りたい」
「......デュトワ様は、貿易業にも通じておられるんですのね」
そう言うと、彼はなぜか一瞬片方の眉を上げてから言った。
「おや? 私の身辺調査の結果をご存知なかったのですか?」
「!」
その言葉は、考えるまでもなく、私たちが彼の身辺調査を行っていたことを彼自身が知っていると、確かに告げるものだった。
貴族としては失態も失態だ。指先が羞恥に震えそうになる。
やはりあんなことはするべきではなかった。
デュトワ伯爵の機嫌を損ねてしまっただろうか?
この婚約は一体どうなるのだろう?
そう私が頭を必死で悩ませていると――。