第三話
「立派な殿方であることは分かったけれど。どうして交流のない私に、求婚をされてきたのでしょうね」
私がぽつりとこぼした言葉に、みんながううむと唸り声を出す。そこなのだ。デュトワ伯爵が突然結婚を申し入れてきた理由に、この場の誰も、皆目見当がつかない。
社交界のパーティーで見初められた可能性は全くのゼロではないけれど、私が最後に社交界に顔を出したのは一年近くも前のこと。そこで見初められたにしても、求婚のタイミングが遅すぎる。
アルドワン家が治癒魔法で築いた地位は確固たるものだし、分家のほうは貿易業でも財を築いている。その繋がりを欲してのことだろうか?
私の不安な様子を察してか、お父様が隅に控えていたアランに目配せをした。きっとデュトワ伯爵の身辺調査を頼んだのだろう。本当に、私にはもったいないくらい優しいお父様なのだ。
「お姉様。妙な人だったら心配だわ。無理に婚約をする必要なんて、ないんだからね」
フェリシエンヌが私の手をぎゅっと握って、真剣なまなざしで語りかけてくれた。傍らの兄様も、お父様もお母様も、みんな労るような視線を向けてくれていた。
「ありがとう。フェリシー」
そんな家族だからこそ。
そんな家族だからこそ、私はいつまでもここにいるわけにはいかない。
妹に微笑みかけながら、私は密かに、この求婚を受ける覚悟と──この婚約が破談になったときには、修道院に行く決意を固めた。
「とりあえず、お茶会を催してみるのはどうかしら」
デュトワ伯爵の人となりを知るためにも、まずは軽い交流から持ちたいところだ。この提案にはお父様もそうだな、と快諾した。久々のお茶会のセッティングに腕が鳴りそうだ。
「お姉様が催すお茶会は、いつも好評だものね。食器のセンスも、お茶菓子のセレクトも……」
「あら。お褒めに与り光栄だわ。あなたがそんな風に思っていてくれたなんて」
お姉様ったら! とフェリシエンヌが頬を赤らめる。
幼い頃はアルドワン家特有の教育と家庭教師から逃げ回っていた妹も、今ではどこから見ても恥ずかしくない貴族の令嬢、立派な淑女だ。彼女にも幼い頃に婚約を交わした相手がいる。あと二年、十八歳になれば、私のかわいい妹は他家へ嫁いでしまうのだ。そのことが急に胸を締めつけた。
「フェリシー。あなた、結婚しても私のことを忘れないでね」
「当たり前でしょう! お姉様こそ、私のことを忘れないでよね」
そう言ってまっすぐな目を私に向けてくれる妹のことが、いつだって大好きだ。私は遠い記憶に思いを馳せた。
──フェリシー。フェリシー! どこにいるの?
──お姉様……。
──こんなところにいたの。家庭教師が困っているわよ。
厳しい教育に嫌気が差して、家庭教師から逃げ出したフェリシエンヌを探し回った記憶。あのときはまだ九歳だったかしら。庭の木陰に小さくなって隠れていたのよね。
──もう嫌。もう嫌よ。どうしてこんなに沢山のことを毎日毎日やらなければならないの?
──アルドワンの娘は、仕方がないのよ。
アルドワンの女子の治癒魔法の発現は、十五歳の誕生日を待たなければならない。姉妹がいれば、誰が魔法使いになり、誰がそうならないのか、十五歳になるその日まで、誰にも分からないのだ。
十五歳の誕生日に魔力が発現すれば、すぐに魔法使いになるための鍛練が始まる。十八歳になり結婚するまでの三年間で、治癒魔法を使いこなすための訓練を行うのだ。
そのため、他家の貴族の子女が十八歳までに修めていればよいとされる教育課程を、アルドワンの女子は、十五歳の誕生日を迎えるまでに全て修得しなければならない。
ただでさえやることが山積みの貴族の教育を、三年分早送りでこなすのだから、幼い子供にはかなりきつい道のりとなる。普通の学校に通っていては間に合わないため、邸内で家庭教師につくこととなり、他家の子供たちと無邪気に遊ぶこともなかなか難しい。
しかも、魔力が発現するのは一代に一人。必死で速修のカリキュラムをこなしても、結局魔力が発現しない可能性も大いにあるのだ。当時九歳だったフェリシエンヌが我慢の限界を迎えても、無理からぬことだろう。アルドワン家の誰もがそのことを理解していて、それでもなお教育をやめるわけにはいかなかった。
──どうして? どうして私たちだけ、こんなに……。
──兄様だって、いつか領主になるための勉強を頑張っているわ。
──兄様はいいじゃない! 領主になることは分かりきっているんだから……!
小さな体で叫ぶように訴える妹の姿に胸を刺されるような痛みを感じたけれど、一時的に甘い言葉をささやいても、結局誰のためにもならない。心を鬼にして、こう言ったのだっけ。
──フェリシエンヌ。これがアルドワン家に生まれた女子の宿命よ。これは私たちの義務なの。
あのときのフェリシエンヌには、私のことが本当に鬼に見えていたかもしれないわね。
私の言葉に傷ついたフェリシエンヌの顔を、今でもありありと思い出せる。まだ九歳だったのに、姉にさえ突き放されて。それでもこの子は、優しく育った。
遠い日の記憶に胸を締めつけられながら、今こうして妹と笑い合えることを、神に感謝した。