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第一話


 王国でも指折りの権勢を誇る侯爵家の館。両家の婚約お披露目会と目されたパーティーで、私は今、自分が婚約破棄されるところを目の当たりにしている。

 きっかけは、体の弱い私がパーティーの途中でソファーに座り込んだこと。その姿が、奥方の目に留まってしまったのだ。


「そのように病弱な体で子が産めるのしら? 侯爵家の血を絶やすわけにはいきませんのよ?」


 まなじりをきつく吊り上げ、恐ろしいほど冷たい声を私に向けているのは、先ほどまで義母になるはずだった人。セリュリエ侯爵家現当主の妻、ジョゼフィーヌ様だ。張りのある声はその場を打ち据えるようによく響いた。


「まさかこれ程までにひ弱だとは思いませんでしたわ。子の産めぬ嫁など言語道断」

「ジョゼフィーヌ様。恐れながら、まだ子が産めぬと決まったわけでは……」


 私の父がそう言って何とか彼女をなだめようとしているけれど、義母にここまで嫌われては、侯爵家で平穏な暮らしは到底望めない。それに、私が病弱な体なのは事実だ。そこを突かれてしまえば何も言えない。


「他にも良家のご令嬢はいます。こちらはわざわざ病人を娶らなくともよいのです。私は最初からこの婚約に反対でした!」


 ──この婚約はもう終わりね。

 政略結婚にも等しい婚約だから、心からの幸せまでは望まない。けれどせめて平穏な暮らしが送れるのでなければ、結婚なんてしたくない。実家にとってはお荷物でしかない私が、こんなことを思ってはいけないのかもしれないけれど。


 父はまだ何か言い募ろうとしていた。ジョゼフィーヌ様のご機嫌をこれ以上損ねれば、我が家が侯爵家に睨まれることにもなりかねない。それだけは避けたかった。


 もともと恋も愛もない政略結婚の話だったのだ。婚約者だった人──コンスタンス様も、私の気持ちを気にかける様子もなく、ジョゼフィーヌ様の突然の発言に大きなため息をつくばかりだ。あの家に嫁いでも、きっと幸せにはなれない──。


 口惜しげな父の腕をそっと引いて、私たちは侯爵家から退出した。


 普通の体ではない私でも、普通の令嬢のように結婚できるかもしれないという短い夢は、あっという間に砕けて消えていった。




 肥沃な国土に恵まれた国、ダンドリュート王国。農業と工業が古くから盛んで、近年は貿易業でも利益を上げて潤っている。この大陸で一、ニを争う大国といっていいだろう。過去に三度の戦役で国土が荒れた時期もあるが、現在は平和で豊かな国だ。

 ただし、人があまり住んでいない辺境の砂漠や荒野には、しばしば魔族が現れるし、国境近くでの反乱も皆無とは言えない。王国騎士団と国家魔法部隊は、それらを鎮め民を守る国家防衛の要だ。


 私は王都の西に領地を持つアルドワン伯爵家の長女である。アルドワン家には代々強力な治癒魔法の能力を持った女子が生まれ、その者は国家魔法部隊に所属することとなっている。

 私の曾祖母であるバルバラ・アルドワンは──過去に起きた三度の戦役の全てに出陣し、強力な治癒魔法を駆使して騎士団を庇護した「聖女」と呼ばれる存在だった。その伝説的な活躍は今でも語り継がれ、治癒魔法といえばアルドワン、アルドワンといえば治癒魔法と称されるまでになっている。


 強い魔力を持って生まれた私も、本来であれば治癒魔法の使い手として魔法部隊に所属し、魔族の討伐などのために身を捧げなければならない。けれど生まれつきの虚弱体質ゆえに魔法の訓練を受けることができず、魔法を使ったことはない。ほとんど宝の持ち腐れとなっていた。



 セリュリエ侯爵の屋敷から帰宅した私は、自室のベッドにぽすんと体を預けた。両親も私の心境を慮り、帰路からずっとそっとしておいてくれていた。


 ジョゼフィーヌ様の言葉が脳裏を過る。


『そのように病弱な体で子が産めるのかしら?』


 厳しい言葉だが尤もな指摘だ。侯爵家を切り盛りする奥方として、到底看過できる点ではないだろう。


 魔法使いにもなれず、貴族の女性として跡継ぎを産めるかも分からない。婚約は破談となり、次の婚約者が見つかる可能性は絶望的だ。

 十九歳にもなってこんな体たらくの私を、それでも両親は心から愛して慈しんでくれる。そのことがひどくありがたくて、ひどく申し訳なかった。


 本来なら治癒魔法の使い手になって魔法部隊に所属しなければならないのに、その義務も果たせていない。このままでは兄が結婚し、魔力持ちの女子が生まれるいつか先の未来まで、アルドワンの家業を繋ぐことができない。


 自分が情けなくて仕方ない。


 このまま年を重ねて、誰とも結婚できず魔法使いにもなれず、いつか両親から見限られてしまったら。いつも愛情と慈しみを向けてくれる両親の顔に、いつか呆れと嫌悪の表情が浮かんだら。

 その望まぬ未来を排除するために、セリュリエ侯爵令息との結婚は願ってもない話だったのに。



「こんな能無しの人間、誰が妻に欲しがるっていうのかしらね……」



 そうぽつりと呟いてみたらあっという間に涙が溢れて、溢れて溢れて、止まらなくなった。

 この世界に自分はいないほうがいいんだという考えが頭から離れない。

 それでも今日は、最後まで人前で涙をこぼすようなはしたないことをせずに一日を終えられてよかった。婚約破棄のことで感情をあらわにしたら、ますます両親を困らせてしまっただろうから。

 悲しみを秘して微笑むのは令嬢のたしなみ。

 明日から、また笑顔で生きるから。

 今日だけは泣くことを許して。



 翌朝、メイドが気を遣ってくれたのか、いつもより遅い時間に目が覚めた。泣き腫らした顔を温かいタオルと冷たいタオルで交互に蒸すと、むくみが少し引いてましになった。


 幸い今日はこれといった用事もないので、少しだけ邸内の庭を散策することにした。さく、さく、と新緑の芝を踏み、朝日にみずみずしく輝く薔薇を眺める。腕のいい庭師が丹精込めて世話をしている我が家の庭は、どんな名家にも負けないほど美しい。誰にも言わないけれど、ひそかに私はそう思っている。



 セリュリエ家からの正式な婚約破棄を言い渡す手紙が、じきお父様のもとに届くだろう。私はこれからどうしようか。修道院に身を寄せて、修道女として生きていこうか。それもいいかもしれないな、と思う。そうすれば、家族への申し訳なさと将来への不安に苛まれることもなくなるかもしれない。


 ──どうにかして生きていく道はあるわよね。


 そう思い直すと途端に気持ちが軽くなった。そう、別に婚約破棄されたからって、首を切り落とされるわけじゃないのだ。普通の貴族の令嬢のように暮らすことはできなくても、自分の居場所を探すことはできる。


 婚約破棄されても、人生は続くのよ、ヴィオレット。気を確かに持って。


 いつも端正な佇まいを保つこの庭の薔薇のように、気高く生きて。



 そんな風に祈るような気持ちで静かに三日間を過ごした後、我が家のもとに届いたのは、セリュリエ侯爵家からの正式な婚約破棄を言い渡す手紙と──なぜか、ベルナール・デュトワ伯爵と名乗る男性からの、求婚を告げる手紙だった。



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