おまけ Side:イクス・シュナイデン2
私は後悔していた。シュナイデン工房の主として、親から受け継いだ工房を守ってきたが、顧客情報を守ると言うことに拘泥した結果、恩人であるヴィオラ様が窮地に追い込まれてしまった。
ランスーン伯爵は大層悪辣な人物だ。それはかつて、懐妊中の正妻を陥れて愛人の立場を上げようと計略を練っていたことからもよくわかる。
そんな人物が恩人であるヴィオラ様に目をつけて、後妻に入れと迫っているという。
ヴィオラ様はシャーロットお嬢様を狙っているのだと考えているようだが、ヴィオラ様も美しい人だ。親子共々良からぬ目で見られているのは明らかだった。
自分がランスーン伯爵をもっと早くに告発していれば、このようなことにはならなかったのにと、忸怩たる思いを噛み締める。
いや、ヴィオラ様のことがなくても、ランスーン伯爵の正妻であったメアリー様のためにも告発をするべきだったのだ。弱小の工房を守るためとはいえ、自己保身に走るべきではなかった。
もうこれ以上、後悔するようなことにはなりたくはない。
私はかつてランスーン伯爵から送られてきた指示書の証拠品を持って、メアリー様のご実家であるバーレイ侯爵家へと赴いた。
用向きを、「メアリー様の元夫であるランスーン伯爵が、メアリー様を傷つけようとしていた証拠の品」だと伝えれば、メアリー様を溺愛されていると噂の兄君、ボルト・バーレイ侯爵様が出迎えてくださった。
「お初にお目にかかります。シュナイデン工房が長、イクス・シュナイデンと申します」
「ああ、ボルト・バーレイだ。歓迎しよう、イクス殿。それで、用向きとは?」
「は。早速ですが、こちらをご覧ください」
ランスーン伯爵の筆跡で書かれた依頼書を差し出す。
そこには、懐妊中の正妻に対して流産を誘発するようなドレスを開発して欲しいと、明白に書かれていた。
「なんだとっ? なんだこれは。このような忌まわしい策略があったと言うのか」
「我々はこの話を断ったことで、ランスーン伯爵家に嫌がらせをされておりました。それでも顧客情報はなにがあっても漏らすべからずという考えで事態を秘しておりましたが、メアリー様のことを考えれば、ご当家へ報告すべきだったと反省しております」
メアリー様は、「たかが愛人がいるくらいで実家に逃げ帰るなど貴族女性として心根が弱すぎる」と社交界で非難されていると聞く。シュナイデン工房は、ファゴット商会の傘下に下ってから特に貴族との付き合いも広がっているから、尚更噂話は入ってきていた。
ランスーン伯爵の悪辣さを知っている身としては、メアリー様が理不尽に非難されているのに心を痛めてもいたのだ。
「いや、報告に感謝する。これは十分に活用させてもらおう」
ボルト様は冷たい笑顔で私にそう言った。ランスーン伯爵を許す気はかけらもないのだと、その表情で察する。
メアリー様とランスーン伯爵はすでに離縁が成立しているから、全力でやるのだろう。
敵に回すと恐ろしいと言う噂のボルト様が動くとなれば、ランスーン伯爵に目をつけられているヴィオラ様も助かるだろう。
——その後、ランスーン伯爵は、なんと王妃陛下の逆鱗に触れたと噂が流れてきた。
そういえばメアリー様は王妃陛下のご親友であらせられたのだ、とそこでようやく私は思い出す。
なんとヴィオラ様もランスーン伯爵のことで王妃陛下に相談していたそうで、恩人であるヴィオラ様と、親友であるメアリー様の両方から助けを求められた王妃陛下は大層張り切ったようだ。
ランスーン伯爵を前にした王妃陛下は、冷たい氷の腕で背筋をそっと撫でるような、それはそれは恐ろしい笑みを浮かべていたという。
王妃陛下に掣肘されたランスーン伯爵の元からは人々が去っていき、彼が進めている事業からも投資家が撤退しているそうだ。
これで完全にあの男は失脚した形になる。
さて、ヴィオラ様の身の安全も確保され、一件落着、というところで、ヴィオラ様のご結婚という慶事の知らせが舞い込んできた。
これは張り切ってドレスを作らなくては。
恩返しのためにも、私は本業のドレス作りに勤しむのだった。