その日
「大丈夫なのか、ヴィオラ」
手紙で報告してからすぐ、ダンヒル子爵は慌てて駆けつけてくれた。
「なんとかして断るつもりです。そもそも当家に嫌がらせを仕掛けてきたランスーン伯爵家に嫁ぐなど絶対嫌ですもの」
「そのことなんだが、ヴィオラ……」
ダンヒル子爵は何事か言いかけた後、しばらく口淀む。
「子爵様?」
不思議に思い呼びかけると、意を決したようにダンヒル子爵は俯いていた顔を上げた。
「このような形で伝えたくはなかったが、ランスーン伯爵の後妻話を断るのであれば、いっそ私に嫁いでこないか?」
「……え?」
衝撃を受けて、今度は私の方が黙り込んでしまう。
ダンヒル子爵は気まずそうに頬を掻きながら、取り繕うように捲し立てた。
「いや、別にランスーン伯爵のことがなくても、あなたには惹かれていたんだ。だが私は高位貴族だし、こちらからアプローチすればヴィオラは断れないだろう? だから気持ちを伝えるつもりはなかったんだが。ことこうなってしまうと、断るにも大義名分がいる。……あなたをあんな男に奪われるのは耐えられない」
苦渋の表情でダンヒル子爵は語る。
ダンヒル子爵の気持ちには、今まで全然気づかなかった。いや、もしかしたらと思うこともあったけれど、全くアプローチらしきものはなかったのでただの勘違いだと思っていたのだ。
まさかアプローチしてこなかったのが、身分の格差があることで強要してしまわないためだったとは。
「でも、私のように元々平民出身のものを娶るのは問題があるのでは?」
身分差のある恋は庶民の娯楽小説などでは人気だけれど、現実として直面すると壁が大きい。借金まみれのホースグランド男爵家に、資産家の平民である私が嫁いだのとはわけが違う。
ダンヒル子爵のご実家である、デュポン伯爵家は正真正銘の高位貴族だ。
「それは問題ないんだ。元々異母弟の方が血筋的には尊いからな。私は余計な後継者争いを生まないために、中継ぎの当主に徹するつもりなんだ。……もちろん、結婚についてはヴィオラの意思を尊重する。嫌だったら遠慮なく断ってくれ」
「そう……、なんですね」
正直、このような状況下で受けるプロポーズに複雑な気持ちはある。ランスーン伯爵の嫌がらせが元なのだ。
うん、悩んでいるのは私らしくない。
女は度胸よ。
「私は、ランスーン伯爵のことは今まで仕事で培った伝手を駆使してどうにかしようと思っています。王妃陛下にも対応していただけるとお返事いただいたので、ダンヒル子爵のお手を煩わせることにはならないかと思います。このような形で結婚を申し込まれて、お受けするのは少し違うかな、と」
「そうか……」
「ですから、ランスーン伯爵のこととは一切関係なしに、私の方から求婚させてくださいませ」
言い切った。
言ってしまった。
ダンヒル子爵は目を見開いたまま固まっている。
私もそれ以上は言葉を継げないでいる。
必然、私たちの間に沈黙が落ちた。
こんなことを言ったら、普通は生意気な女だと嫌われる。でも、ダンヒル子爵はそうはならないような気がして言ってしまった。
もちろん、単に衝動的に言ったわけではない。以前から気持ちの上では惹かれていたし、シャーロットもダミアンもダンヒル子爵を父のように慕っている。もしダンヒル子爵と結ばれることができたなら、と考えていなかったわけではない。
けれど、どう考えたってそんなのは夢物語だ、と思っていた。
ダミアンがダンヒル子爵に懐けば懐くだけ、シャーロットが子爵を慕えば慕うだけ、現実の厳しさを噛み締めてきた。
それなのに、いいのだろうか。こんな風に、夢物語の世界へと入り込んでしまって。
「嬉しいよ、ヴィオラ。その求婚、喜んでお受けしよう」
物思いに耽っていた私は、子爵に手を取られてハッと我に返った。
「ダンヒル子爵……」
「ジェラルド、と」
今までにないくらいに甘い目つきで見つめられて、たじたじになってしまう。
「ジェラルド様……。あ、でも念のためにシャーロットとダミアンの意思確認をしてからでも良いですか?」
こんな時、女としてよりも母としての意識が優ってしまって可愛げがないのは自覚している。
けれども私の発言に、ダンヒル子爵は「もちろんだ」と当たり前のように受け入れてくれた。
ダンヒル子爵——ジェラルド様と結婚したいといえば、二人はむしろ大喜びするような気もするけれどね。
「あなたたち親子の絆を一番に尊重したいと思っている。……私は継母とはうまくいかなかったからな」
「ジェラルド様……。でも、シャーロットもダミアンもジェラルド様を父のように慕っておりますから。きっと暖かい家族になれますわ」
次回最終回、本日2話更新です。