近衛の制服
せっかくの開店記念日に水を差されてしまったけれど、幸いにも店の滑り出しは良好だった。
経営母体はファゴット商会、出資者はダンヒル子爵、雇われ店長としてバイロンがいるという布陣。例え一時的にコケても資本的な体力があるから、ある程度試行錯誤することもできる。今のところはそれも杞憂で終わっており、毎日売り上げの最高額を更新しているような状況だ。
問題があるとすれば、在庫の不足かな。できれば在庫不足による機会損失は避けたいところではある。もちろん品薄になることでより希少性や消費者の飢餓感を煽るという手法もあるにはあるのだけれど。
そんな好調な中でも、紳士服はやはり目新しすぎると言うことで、女性服や子供服より売り上げが少なかった。しかし、エルガディットくんが近衛隊に話を通してくれたらしく、サンプルが欲しいという話が舞い込んできた。
今は、現状の近衛隊の制服を参考にしながら、デザイン案を詰めているところだ。
最近は私が直接服の開発をするより、アイディア出しをして細かいデザインはシュナイデン商会の方に依頼をしている。
でき上がったサンプルは、王族のそばに控えていても浮かない程度には綺羅綺羅しい物だった。
ダンヒル子爵に提供したものとは違い、白地に金のレースを縫い付けてある。このレース、なんとレース編みの技術を駆使して、細いワイヤーを織り込んである。簡易な防刃効果を持たせてあった。ワイヤー自体は非常に細いので、重さもそれほどない。
もちろんワイヤーにも真珠やビーズを通してあって、装飾にも余念がない。
このワイヤー、折れグセや錆などを予防するために特別な樹脂でコーティングしてあるのだが、それは父が提案して技術者を紹介してくれた。我が商会で輸入している異国の調理器具で使われている技術なのだ。
父には離婚した当初、色々発破をかけられたりもしたけれど、なんやかんやで見守ってくれている。
紳士服のブリーチズは黒で、伸縮性があり厚手の綿生地。戦闘用の革靴を履いていても浮かない仕様だ。肩口には階級章を縫い付けるための当て地もしっかりと用意してある。
背中には深いスリットが入っており、激しく動いても翻らないよう工夫も凝らしてあった。
そして内部のウエストコートは涼しく薄手のリネン。こちらもコートと同じ白地に金彩のデザインで、上に革鎧を装着もできるようにしてある。
試しにエルガディットくんに着用して剣を振るってもらったが、非常に動きやすいとの評価である。
それに何より、エルガディットくんの美少年ぶりに白と金の装束は途方もなく似合っていた。近衛隊への売り込みにはこれを着て行ってもらう予定だが、エルガディットくんに熱をあげてしまったという隊員が無事で済むかどうか……。
まあそれは置いておこう。せっかくなので彼の厚意に甘えさせてもらう。その点はビジネス優先であった。
そうして製作に努め、迎えた商談の日。
私はエンパイア・ドレスを着て王城の一室を訪れた。エルガディットくんとダンヒル子爵も一緒で、もちろん新しく作った紳士服を着ている。これらはそよ風の翼と名付けた。エンパイア・ドレスと同じく、軽さと動きやすさが売りの商品だ。
「お初にお目にかかる。私が近衛隊隊長のアルマン・ドラクロワだ」
「ファゴット商会の、ヴィオラ・ファゴットと申します。よろしくお願いします」
アルマンは隊長らしく厳格そうで、常に眉間に皺が寄っているような人物であったが、エルガディットくんを見るとその皺を緩めた。
「エルガディット、息災だったか」
「はい。おかげさまで新しい職場にも恵まれております」
「本来であれば、お前を辞めさせて事を収めるというのは道理が通らんことはわかっていた。守ってやれず、すまなかったな」
高位貴族の子弟に当たる近衛隊隊長が、騎士爵の子息に頭を下げた。それがどれほど珍しいことかは、一度は貴族社会に入ったことのある私にもわかる。
エルガディットくんから、辞めた時の経緯は聞いていた。高位貴族の令嬢が、婚約者がいるにも関わらずエルガディットくんに懸想してしまったのだ。それに怒ったご令嬢の父親がエルガディットくんを排するように進言したらしい。エルガディットくんには何の非もない話で、仕事を辞めてからフラフラと荒れた生活を送っていたのもそれ故だったのだという。
「頭を上げてください、隊長。例えあの時辞めずに済んだとしても、また同じような問題は起きたと思います。今の職場では僕みたいな人間に囲まれていて、目立ちすぎないで済んでいるのです。僕はこの職場で働けてよかったと思っていますよ」
そんな風に言ってくれて、私は喜びを噛み締める。
エルガディットくん含む警備隊は、女性たちから黄色い歓声を以て支持されているものの、そのあり方は舞台役者のそれに近い。身近な人間関係特有のドロドロとしたものが発生しなくて、今のところは大きなトラブルなく済んでいる。
「それで、新たな近衛隊の制服だったか。見たかぎり、伝統ある儀礼や式典に出ても問題ないほどの絢爛さだな。動きやすさはどうだ?」
「元々の制服よりはるかに動きやすいですよ。それにこの金糸のレースにはワイヤーが使われていて、軽い防刃効果を持たせてあります」
「ほう!」
隊長さんの目が輝いた。見た目についての話をしている時よりも興味があるようで、やはり近衛隊としては制服にもっと機能性を持たせたいという需要は以前からあったようだ。
「少し触らせてもらってもいいか?」
「どうぞ」
エルガディットくんがコートを脱いで、ウエストコートにブラウスとブリーチズだけの姿になる。
その姿も爽やかで様になっていた。
「こちらのコートは、白のリネンに金糸のレースを縫い付けてございます。葡萄の蔓模様の部分は金属製の細いワイヤーを入れており、動きやすいながらも防刃効果があります。折れグセや錆などがつかないように、柔軟性のある特別な樹脂でコーティングもしております」
「素晴らしいな。そのような技術はどこで?」
「実は、我が商会が輸入している、異国の調理器具の技術を応用しておりますの」
商談は和やかに進んでいく。
隊長さんの反応は上々だった。あとは持ってきたサンプルを渡して、予算会議にかけて通れば纏まった注文が入る。それまでに、さらに生産体制を整えておかないと。
そうして良い商談を終えて上機嫌で帰路に就こうとした時、予期しないことが起こった。
なんと、王妃陛下が呼んでいると、王宮の侍従が急遽駆け込んできたのである。
一体何事!?
王妃陛下に呼び出されるなんて。
拝謁の準備など何もしていないし、正直粗相をしないか不安でもある。一時期貴族家の妻だったとはいえ、下位の男爵家だ。




