開業。そして元夫の襲来
ブティックはついに開店前夜を迎えた。
「ついに開店ですね。緊張します」
「今のファゴット・ブランドの評判から考えれば、上手くいかないはずはない。安心しろ」
改装も終わり、人材の育成もしっかりとしている。開店初日は混乱を避けるため、ファゴット商会で付き合いのあるお客様のみに招待状を出す形にしたのだけれど、人が集まらなかったらどうしよう? あるいは人が集まりすぎて対処しきれなかったら?
色々な不安が湧き出てくるが、大丈夫よ、と自分に言い聞かせる。店主として雇用したバイロンさんも優秀な人だし、すでに店舗経営についてもしっかりと話し合っている。
シュナイデン工房でデザイナーをやっているイクスさんの弟、レグルスさんは、素晴らしいデザインの数々を生み出してくれた。それをシュナイデン工房は丁寧な針仕事でドレスに仕上げてくれたし、子供服や紳士服なども用意してある。
これらはすでに上流階級の間で随分な評判になっているのだ。
「きっと大丈夫。きっと大丈夫」
口の中でモゴモゴと呟く。
「そう心配するな。何かあっても私が後ろ盾についている。大船に乗った気持ちでいろ」
ダンヒル子爵は緊張している私を見てかすかに笑いながらも、そう言ってくれた。
そうして、入り口に掛けられていたリボンを解き、開店の合図をする。
高級店街なので歓声は上がらないが、上品なざわめきがそこかしこに広がった。
一組ずつ、エスコートや供のものを連れての入店となる。
こういうのは身分順になるため、この辺りの配慮も苦労した。もちろん、明日以降は招待制じゃないからそれも出来ないのだけれど。それで揉め事が起こらなければいいが、と思う。
まあ、他の店でもそれほど大きな揉め事が起きたという話は聞かないから、皆ある程度お上品に振る舞ってくれるだろうと期待するしかない。
見ている限り、お客様方の反応は上々だ。最初に入店した身分の高い貴婦人は紳士方と二階のブティックから見ていくつもりらしく、一階には後から入店した人たちがお茶をしながら、興奮した様子で談笑している。
試着なども大きな問題なくできており、あっという間に何着もの服が売れていった。上位の貴族は既成服など買わないと思っていたけれど、今現在手に入りにくいファゴット・ブランドの製品だ。
既製服を嫌うようなこだわりを打ち捨ててでも手に入れたいと思ってもらえたなら、制作者冥利に尽きる。
中には試着をしたまま購入し、帰りは購入したその服で出かけると言い出す人もいた。その姿で観劇やパーティーなどを楽しんでもらえれば、それだけでも宣伝になる。
「バイロン。急いで『ご購入者様には、着用してのお帰りも対応可能です』と張り紙を作ってくれないかしら。確か金彩の模様が入れられた厚紙があったはずだわ。この中で一番能書家なのは誰?」
「それは良い考えですね。ならば私が書いておきます。本来であれば張り紙ではなく額に入れて掛けたいところですが」
「一つ絵を外してその額を使いまわせばいいわ。確か着ているものが被っている絵があったでしょう? どちらのシャーロットも美しいけれど、広告としては内容が同じだものね」
「かしこまりました。ではそのように」
私たちは細々としたことに対応しながら、その日は忙殺されて終わった。
ひとまず、成功ということでいいかな。
その夜。ファゴット家の屋敷に立ち寄ったダンヒル子爵と一緒に晩酌がてら打ち上げをした。
「なかなか良い反応だったな。これなら明日以降も客足は十分だろう。むしろ混雑しすぎないかが心配だな」
「そうですね。なら朝に整理券を配る形にしましょうか。特定の上位貴族しか入店できないとなるとそれはそれで幅が狭まりますし、身分の高い方にはオーダーメイドの方も案内して……」
結局仕事の話ばかりしているけれど、私はこういう時間が嫌いじゃなかった。昔から「可愛げがない」「女のくせに」とばかり言われてモテなかったけれど、ダンヒル子爵はそういうことを言わないのよね。
むしろビジネスの話を楽しそうにしてくれる。
出資のこととかだけではなく、そういうところもありがたいな、と思う。
そうしてゆったりとした時間を過ごしている中、全てをぶち壊しにする闖入者が我が家へとやってきた。
「ヴィオラ! よかった、会えて!」
なぜ元夫がここにいるんだ?
私は固まってしまった。しかもなんで笑顔? え? 私たち割と最悪な離婚劇を演じませんでしたっけ?
というか、なにしに来たんだこいつ。
「ヴィオラ、なあ、助けてほしいんだ。君の家の借金の取り立てで首が回らないんだよ。母さんも僕も、食べるものさえ節約しているほどなんだ! なあ、君は今新しいドレスとかいうのでずいぶん稼いでいるんだろう?」
あー……。そういう……。
お金の無心だったか。
私があまりに図々しいお願いに絶句していると、元夫はさらにペラペラと話し出した。
「それに、なかなか後妻が見つからなくてね。僕ももう歳が歳だろう? やっぱりダミアンを返してくれないか? シャーロットはあげるからさ」
「ッッふざけるなッ!」
私は思わず怒鳴ってしまった。こんなどすの利いた声出したの、人生で初めてよ。
ダミアンを返せ? シャーロットをあげるから?
あの子たちは物じゃない。ちゃんと意思も感情もある人間だ。そんな、買った商品を返品するみたいにやり取りできると思っているかのような元夫に、怒りで目の前が真っ赤になる。
私がワナワナと震えながらも、怒りのあまりそれ以上の言葉を続けられずにいると、後ろでダンヒル子爵が背後から近寄ってくる気配がした。
「ホースグランド男爵。君は何かを勘違いしているように思える。あまりにも礼を失した言い様だ。私は不愉快だ。帰ってもらおうか」
その時初めて、元夫は後ろにいたダンヒル子爵に気づいたようだった。
「あ、あなたはデュポン伯爵家の……」
家格で言えばデュポン伯爵家の方が遥かに格上だ。元夫は青ざめつつも、「また来るよ」と言い残して去っていった。
「この家に護衛が必要だな。早急に手配しよう」
「ありがとうございます、ダンヒル子爵」
まだ感情はぐちゃぐちゃだったけれど、ダンヒル子爵のおかげで不愉快な男が立ち去ったため、少しずつ私は落ち着いていった。