Side:イクス・シュナイデン
工房が窮地に陥ったのは、必然といえば必然だった。
長年付き合いのあるランスーン伯爵家は、先代様は良い方だったが当代のランスーン伯爵は悪い意味で貴族らしく傲慢な人間だった。
平民に感情や思考が存在するなどとは、欠片も思っておられない。
だからこそ、あのような依頼をしてきたのだろう。
本妻には着心地が悪く、腹を締め付けたり腹が冷えて流産するような服を。愛人には着心地が良く美しく、腹が守られるような服をと。
本妻と愛人が同時に子を身籠った時、ランスーン伯爵はこのような悪巧みを思いついたらしい。本妻が子を流し、愛人が無事に出産すれば、それを以て本妻と愛人の立場を取り替えることも叶うのではないかと。
当代の伯爵には毒などを手に入れる伝手もなく、またそのようなことまでは出来ないほど気が小さい男ではあった。
だが、迂遠にせよ悪辣極まる発想だ。実際に、妊娠中も腰を細く見せようとコルセットを着用した挙句、子が流れたという話は枚挙に暇がないのだから。
だからこそ伯爵は本気だった。子を成すのは貴族にとって家を存続させるための大切な役目。実際に事が成れば本妻と愛人の立場が逆転することも、確かにありえないことではなかった。
そんな話に、正義感の強い弟は激昂した。
「この外道が!」
と貴族に向かって怒鳴ってしまったのだ。
そこから我が工房は一気に窮地に陥った。悪い噂を流され、それまで受けていた仕事も引き上げられてしまった。付き合いのあった他の貴族家とも、切れてしまった。
私たちは平民の富裕層向けに商売を切り替え、なんとか糊口を凌いでいたが。このままではジリ貧である。
そんな中に訪れたのは、ファゴット商会のヴィオラ・ファゴットだった。
ヴィオラはこの工房を買収し、自分たちの傘下へ加えたいと言い出した。買収によってまとまった金銭が手に入れば、ランスーン伯爵家の一件で仕事が潰れた分の負債を賄う事ができる。
願ってもないことだったが、なぜ悪評が甚だしい我が工房を選んだのか疑問だった。
しかし、ヴィオラは公平な目で噂を見極め、信憑性が無いと切って捨てたのだ。その上、顧客情報に関わることだからと詳細を黙秘すれば、それも許容した。なんとまあ、女だてらに豪快な人だろうか。
それに、自分たちはランスーン伯爵家の一件から、当てつけのように妊婦でも着心地良く美しく着られる服を開発していた。それをヴィオラは評価してくれたのだ。
彼女はコルセットなしで美しく見えるドレスを普及したいのだという。
買収による資金難の解消。新たな設備投資の開始。悪評で潰れた販路の開拓。
その全てが、ファゴット商会の傘下に加わることで解消される。
あまりに都合のいい話に、不安がないではなかったが、ここに賭けるしかないと思った。
そして、今のところ私たちは賭けに勝っている。ヴィオラが考案したエンパイア・ドレスは素晴らしく、こちらで色や細工など考えてアレンジしたものを、ヴィオラは絶賛してくれた。
デザインを主に担っている弟は、その言葉で俄然やる気が出たようだ。
伯爵家と揉めてからというもの、腐りがちだった弟は、猛然とデザイン案を描き出した。
工房で製作した服は、新しく開店するブティックに並べられるという。
高級店の並ぶあの地域に、自分たちの作った服が並ぶ。
それは考えただけでも胸が熱くなるような話だった。