ブティックの準備
ブティックの準備は進んでいく。
ティー・サロンの給仕さん達も雇用を進めていった。
このファゴット商会は子連れ女性でも働けることで評判になっており、働きたいという女性が以前からたくさんいたのだ。
募集していたのはお針子さんだったけれど、お針子はできないが働きたいという女性も多々応募してきていた。
そういう人たちの受け皿に、給仕の仕事がなるはずだ。
高級店ということで、お茶の淹れ方やマナーなども指導しつつ、人材の育成に努めていく。
預かっている子供達もビヴァリー先生の指導を受けて、どんどん成長し、読み書きなどできるようになっている子もいる。
大きい子達は掃除や雑務などブティックの仕事にも就いてもらう予定だ。
ブティックでは軽食や菓子なども提供する予定で、その試作品も子供達とみんなで食べながらあーでもないこーでもないと言い合う。
サマンサの娘、ロアナなどは「おいち! おいち!」とひたすら繰り返し言っていた。
見目の麗しい警備員も、エルガディットくんほどではないけれどそれなりに集まり、ついに改装が終わったと知らせがきた。
ダンヒル子爵とともに、改装の終わった店舗へと訪れる。調度品なども購入した製品が運び込まれて、セッティングも終わっていた。
柔らかな曲線を描く猫足の、白い丸テーブルには紅茶染めしたレースのクロスが掛けられている。椅子も同様に猫足の白。
壁にはシャーロットやダミアンの絵姿が掛けられていて、ファゴット・ブランドの服をこれでもかとアピールしている。
商談用の個室には青いカーテンが掛けられ、クリーム色のソファとベージュのテーブルが、明るく爽やかな部屋を演出している。
二階に登ると、一転して落ち着いた雰囲気。マホガニーの衣装棚が壁際に並んでいる。
ハンガー掛けは真鍮製で高級感を醸し出し、重厚な仕切りで区切られた試着室は、店員が手伝いに入れるよう広々とした空間になっていた。
「素晴らしい。これならいつでも開業できるな」
「あとは在庫がどの程度作れるかですね。すぐに売り切れて店の中が空になってしまうような事態は避けたいので、しっかりと服の在庫を用意しておかなくては」
どれだけ新たに雇っても、お針子が全然足りていないのだ。オーダーメイドの注文をこなすだけで精一杯で、既製服の製作は遅々として進まない。
「ならば小さい工房を丸ごと買収することも考えていいかもしれんな。こちらで出資してもいいぞ?」
なんだか大きな話が出てきた。でも確かに、すでに稼働している工房を傘下に買い取ってしまった方が、一人一人面接をしてお針子を雇うより効率的かもしれない。
貴族の屋敷まで赴いてオーダーメイドで作成する場合は、細かいマナーなども必要だから直接雇用が望ましいけれど、既製品であれば、検品さえしっかりすれば他所の工房に委託してもいいだろう。
私はその案に賛成し、工房の買収計画を進めることにした。
調べた限り候補になる工房は17、うち12は既に他の大手商会と縁続きになっており横から掻っ攫うのは難しい。
残る5件のうち、上流階級の製品も取り扱っているのは3件。その中でも、私が目をつけたのは上から流れてきた古着のドレスを加工して売っている工房だった。
見る限り、加工の腕がいいだけじゃなくセンスもいい。仕立て直して売るのは下位貴族や平民の富裕層相手であろうけども、上位貴族を相手どっても不足はないだけの光るものがあった。
「このシュナイデン工房というのが気になっているの。どうでしょうか?」
「そこか……」
ダンヒル子爵の顔は浮かない。
さほど有名な工房ではないだろうけれど、商品を見た限り腕に問題はない。何か他に問題でもあるのだろうか?
「いや、色々と悪い噂が貴族の間では流れていてな。だがその噂の源である家も評判が悪いから、実際にどちらがどうとは言えない。話を聞くだけ聞いてみるのはいいんじゃないか?」
片方の話だけで判断しない、ダンヒル子爵は誠実な人だ。そういえば私が継子いじめで疑われた時も、シャーロットから直接話を聞きにきてくれたのだった。
そしてシュナイデン工房まで直接交渉しにいくことになった。工房の権利関係は調べた限り、後ろに大手商会が付いているような様子はない。
「お初にお目にかかります。シュナイデン工房が店主、イクス・シュナイデンと申します」
現れた店主はまだ若い青年だった。神経質そうな顔で、無表情に挨拶してくる。どちらかというと迷惑そうな雰囲気すらあった。
「お時間を頂戴しありがとうございます。ファゴット商会のヴィオラ・ファゴットでございます。こちらはデュポン伯爵家のジェラルド・デュポン・ダンヒル子爵ですわ。我がファゴット商会のブティックを出店するにあたり、出資者となってくださっています」
互いに自己紹介を済ませ、商談の席に着く。
とはいえ向こうはあまり乗り気ではないようだ。
「忙しいんで、単刀直入に聞きましょう。なぜわざわざウチを選んだのですか? 貴族の間では悪評まみれの当工房を?」
「悪評……ですか……。曰く、いつも納期を守らない。曰く、長年の付き合いがあったのに裏切られた。曰く、納品されたドレスにシミがあった。色々噂は集めましたが、どれもこれも根拠薄弱で、納期を守らないのに長年付き合いがあるという時点で矛盾してませんか? それに、ドレスのシミも、やれ紫のドレスだった、赤のドレスだったと噂の色すら統一されていない。一体、実際には何があったのですか?」
イクス・シュナイデンは眉を上げて少し感心したように言った。
「そのように公平な目で見る方がいるとはね……。なに、うちはランスーン伯爵家と揉めたのですよ。先先代様から付き合いがありましたが、当代のランスーン伯爵様は少々無茶な注文をおっしゃられまして」
「というと?」
「顧客情報なんでそこはお話しできません」
「それもそうですね。失礼いたしました。でも今の話で尚更こちらの工房に出資したくなりましたわ。見たところ設備の刷新もなかなか投資ができていらっしゃらないのでしょう? 当家の傘下になればその点も融通を利かせることはできますわ」
「ですが、なぜ? 当工房を選んだのですか?」
「他の大手商会と縁続きでなく、上流階級向けのドレスも取り扱える工房というのが大きいですわね。それに何より……」
使用人に合図をして、例のものを持ってきてもらう。それは、シルクサテンのワンピース。一見するとシンプルな作りだけれども、複雑な裁断によって体型を美しく見せるように丁寧な仕事がしてあった。
「このドレス……、デザインが優れているのもさることながら、人体の構造——骨格というものを深く理解されていることが窺われる作りです。私たちのファゴット・ブランドは、コルセットなどの体に負担の大きい下着を使うことなく、自然なありのままの体を美しく見せる装いをコンセプトにしておりますの」
そこまで一息に言ったところで、イクスさんは突然跪いた。
「我がシュナイデン工房は、貴商会の傘下へ降ります。いえ、是非とも傘下にしていただきたい」
「やはり、同じ理念を持っていらしたのですね」
あのワンピースを見た時から思っていたのだ。もしかしたらこれは、コルセットなしでも美しく見えるものをという思いで開発されたのではないかと。
もしそうならば、きっとこの工房こそが我が商会と上手くやっていける。同じ目標を持ってやっていける、仲間となってくれるのではないかと思った。
私は、可愛い可愛い自分の娘が、あんな苦しい拷問器具を身に着ける社会など御免だ。
シャーロットぐらい美しければ、貴族と恋仲になって嫁ぐこともあるかもしれないし、それでなくても裕福な商会の娘。社交の場で盛装する機会は多いのだ。
シャーロットが笑顔で親友のアイリスとお出かけできる服を、私はこの先も開発していくつもりだった。