男性服の開発
さて、ダンヒル子爵からの依頼もあるし、そろそろ男性服の開発もしなければ。
ウチのお針子さん達は優秀なので、そちらにも相談をしながら話を進めていく。
まず、軽くて動きやすく、通気性も良好、というのが子爵からの要望だ。要するに夏用で動きやすい上流階級の装束ということね。
今の上流階級の装束は、裏地が夏向けのリネンになっているだけで、表地は厚手の絹のブロケードである。そこにびっしりと刺繍が施してあるのだから、それはそれは動きづらく暑苦しい仕様だ。
となるとやはり素材はリネンやモスリンということになるかしら?
でも薄手で軽い生地に刺繍を施すのは傷みやすいのよね。その上刺繍糸で結局通気性も悪くなってしまうし。
いっそ刺繍じゃなくてレースをあしらうというのはどうだろう?
絹の表地の代わりにレースを、リネンは裏地ではなくそれ一枚をベースにしてしまう。
レースは従来女性的な印象があるけれど、黒のリネン生地にネイビーのレース、金ボタンなんかで飾れば、優雅でありながらも男性的なウエストコートができるのではないかしら。
共布でコートを作って、ブリーチズ(ズボン)はコットン素材で作りましょうか。
これならブティックの警備員に着させても、いざという時動きに支障が出ないでしょうし、出入り口に立ってもらっても物々しくならないわ。
少し軽やかにすぎるから、伝統的で保守的な貴族男性に受けるかはわからないけれど、身軽さを是として先進的なものを好む商人の富裕層には人気が出るはず。
それに、反応がイマイチだったとしても、試作品は警備員の制服にしてしまえばいいのよ。
よし、そうとなったら早速試作をしなくては!
私はお針子さん達と、あーでもないこーでもないと言い合いながら、コートにウエストコート、ブリーチズの三点の試作に取り掛かった。
そんな折、ダンヒル子爵が久しぶりに訪ねてきた。
ブティック計画の進捗確認のためである。
「なるほど、警備か。確かにそれは必要だな。それで? 見目麗しく腕の立つ警備員をモデルとして兼任させようって?」
ダンヒル子爵の目が笑っている。なんともがめつい商人風の発想だから笑われているんだろうけれど、このアイディアは私のものじゃないんですからね!
もちろん、いいアイディアだと全乗っかりしたのは私なのだけれど。
「店主として雇用する予定のバイロンさんが提案してくださったのです。そうだわ、ダンヒル子爵にはそういう警備の人員の心当たりはありませんか? モデルと警備員兼任ですから、お給金は弾む予定なんですよ」
「見目麗しくて剣の腕が立つ人材、か。まあ、心当たりはなくはないな」
「本当ですかっ!?」
「だが、少し問題がある。剣の腕前は良いが、見目が麗しすぎるんだ」
ダンヒル子爵は苦笑した。
「見目が麗しいならいいのでは?」
「そいつは騎士の家系の三男坊なんだが、あまりにも麗しすぎてね。近衛隊に入隊したものの、何人かの騎士がそいつに熱を上げて仕事にならなくなった」
「あら」
「しかも王宮の女官やご令嬢達もそいつに熱を上げてしまって、何件かの婚約が破談になった」
「まあ」
そこまでとは。さすがにシャーロットより美しいということはないだろうけれども、それでも随分と苦労してそうな容姿の端麗さである。
哀れといえば、哀れだ。
「あいつも近衛隊を脱退した後は、何をするでもなくフラフラとして腐っているからな。まあ、誘うだけ誘ってみるさ」
ダンヒル子爵は、コーヒーを一口飲むと、「あまり期待はするんじゃないぞ」と言って帰っていった。
「僕に見た目を生かしてモデルになれって!? 冗談じゃない! ふざけてるのかこの女は!」
キャンキャン。大声で喚いているその青年は、とんでもなく麗しかった。
少し赤みがかったストロベリーブロンドに緑色の瞳は翡翠のよう。スッと通った鼻筋に、やや薄い唇は何も塗っていないのに薄桃色をしている。
話し合いの日から十日後、ダンヒル子爵はエルガディットなる青年を連れて我が商会を訪れた。
まだ少年と青年との間くらいで、若い。この人がそんなに剣の腕が立つのだろうか。
「ブティックでは男性向けの製品も売りに出そうと思っているの。警備員を置くと物々しくなってしまうから、モデルも兼任してブティックの服を着てもらえれば、威圧感も出ないでしょう?」
「はっ。バカじゃないのかアンタ。そんな上流階級向けの堅苦しい服を着ていたらいざという時にまともに動けないじゃないか!」
エルガディットくんは小馬鹿にしたように笑う。なんというか、見た目を見込まれたというのがよほど嫌みたいだ。今まで苦労してきたならそれもそうだろう。
やっぱり頼んだのは拙かったかもしれない。
「そう! それなのよ! だから私は動きやすくて軽やかな男性服を開発しているの。ほら、これよ」
使用人に合図して服の試作品を持ってきてもらう。元々ダンヒル子爵にお披露目する予定だったから、用意してあったのだ。ダンヒル子爵の出入りの業者さんからサイズは聞いてあったので、ダンヒル子爵に合わせてある。
「ほう、これは……」
ダンヒル子爵は運ばれてきた装束を手に取ってためつすがめつ、細部を確認している。
「なんだ? これ」
エルガディットくんも、見たことのない服には興味を惹かれたらしく、ダンヒル子爵の手元を覗き込んでいた。
「これは私のサイズに合わせてあるんだね? ここで試着させていただいても?」
「ええ、もちろん」
お衣装替えの小部屋に案内して、手伝いの小姓をつける。
はたして。
試着を終えて現れたダンヒル子爵は、なんとも流麗な美丈夫であった。
黒地のリネンにネイビーのレースを合わせたコートとウエストコートは、軽やかでありながら優美。着替える前の重厚な雰囲気から、流れる水のような柔らかな雰囲気へと変わっている。
ともすれば冷たい印象を与える青みがかった黒髪は、飾りにつけた金ボタンとの対比で華やかさをいっそう醸し出していた。
丈夫な綿生地で作られたホワイトのブリーチズは、たくましい足を柔らかく包み込み、どう動いても動きを阻害している様子がない。
「動きやすくて軽い。蒸れもせず、夏の儀礼服に、礼装として認めるよう国にかけあいたいくらいだ」
エルガディットくんは、ダンヒル子爵を見て固まったまま動かない。
どうしたんだろう?
「エルガディットくん? エルガディットくん!?」
呆然としたエルガディットくんは、ゆっくりとこちらに振り向いた。
「これ……近衛隊の制服に使える……!」