『第二章 不知火筑紫に至る』
『あれは……』
夜空に雲がかかり、月の光が途絶えたとき、
白く輝く陸地が少女の目に入りました。
「……あれが」
静かに、しかし力強よく、手にした梶をみつけた一筋の灯りに向けて、少女は漕ぎ急ぎ出しました。やっとの思いで小舟が岸辺に乗り上げると手をかざし少女が一言念じます。
「収まれ」
翳された手から見える小舟が、もやのように揺れて動いたかと思えば、みるみる彼女の掌に吸い込まれるように消えてしまったのです
「……」
あがった陸地が、彼女の目的とする『越後』なのか彼女は確信を持てておりませんが、陸と海の境界に何も持たずに一人で佇む少女は着の身着のままのゆく当てもなく彷い歩きだしたのです。
「これは?」
しばらくの間真夜中をあてもなく歩いた少女の目前に、堅く閉ざされた大きな木造の扉が現れました。
「この中に入ることができたのなら、ここが話に聞いていた『越後』なのかがわかるわ」
今は夜、人々(ひとびと)は寝静まり周りには誰もおりません。ただ独りで海を越えてやって来た少女が、何としてでも扉の向こう側に行く方法を考えておりますと、扉の反対側から物音がしたました。
「どなたかいらっしゃいますでしょうか」 音が聞こえると少女はいてもたってもいられずに、大きな声で門に向かって叫び上げます。
「夜分に申し訳ありません、旅の者なのですが、ここがどこなのかお尋ねしてもよろしいでしょうか」
少女のつんざくような声に応えるように、扉の向こうの音がより大きくなっていきます。 「どなたかいらっしゃらないのでしょうか、私は海を渡って来たので、ここがどこなのか、皆目見当がつかないのです」
再び少女が扉に向かって、大声を上げると、扉の向こうから声が返ってきたのです。
「ここは、『不知火』『筑紫の関門』である。遠き、近きまで届くところ全て、去り来る者を塞き止める処なり」
幾度と大きな声を上げ、返答を求めた少女の耳に扉の向こう側からしわがれた小さな声が返ってきたのです。
「ゆく当てもなく途方に暮れているのかもしれませんが、こちらには都から与えられた役目がありますゆえに大変申し訳ありませんが、ここを開けることはできません。どうぞお引き取りください」
聞こえた小さな声は固く冷たい言葉で少女の願いに否と伝えました。
「私は旅人の泉帆と申す者です。この地は、『不知火』『筑紫』と呼ばれる所なのでしょうか?」
ようやく返ってきた声に少女は飛びつくような大声で疑問を口にします。
「はい、あなたのおっしゃるとおりここが『大君の遠の朝廷』、真白な雪が降り『超』と言う字を(あざな)いただいた『天離る鄙の帥』、『老』の宅にございます。睦月に青海原を渡られたそうですが、お体に障りはしなかったのでしょうか?」
少女の必死な問い掛けに仕方が無いと小さな声は問答を始めました。
「はい、体に問題はありません。舟の上で正月を迎え、雪を乗せてここまで来ました。目的の地は、遥か北にあるとされる『越後』と呼ばれる場所なのですが何か知ってはいないでしょうか?」
少女は何としても話を終わらしてなるものかと、門の向こうから聞こえる相手との会話を続ける。
「『越後』と呼ばれる地は確か『越中』の近く……ここからならば北東に一月ほどかと思います」
「……まだ一月もかかるのですね――『越後』近くにある『能登』の海の底に大鮑有り、その処光りて嶋の神の請する珠の殆どがこの鮑の腹に有り――と手記を書き残した者がいたのですが……」
ようやく返ってきた問答に少女は自身の目的を呟きます。
「……神代より言い伝て来らくと語られております、大和の国の厳しき言霊でしょうか?」
少女の口にした一文に、扉の向こうの声は、少し黙ってから自身の知る限りの答えを提示した。
「何か知っているのでしょうか!?」
確かな答えが返ってくると考えていなかったのか、少女は目前の扉にしがみついて、割れんばかりの大声をだした。
「私が聞きかじった話ですとーー海の底に白珠有り、此れは常世の神なり。此の神を祭る者は富と寿とを致すと言い、東国の辺人皆此れを欲し海の底を探す――このような報告書を昔目にしたことがあります」
二人の間を遮る厳かな門がしわがれた小さな声を聞き取りにくくさせてはいますが、少女の求める宝の存在を声の主は書面で見たとはっきりと答えたのです。
「その書類を拝見させてもらうことはできないのでしょうか?」
寒空の中独りさまよい幽鬼のように青白かった少女の肌がすっかり赤まりすがりつくように門を叩き出したのです。
「……希望を抱くようなことを口走ってしまい申し訳ありません。先程も申し上げました通りここが、『不知火筑紫の関門』。遠き、近きまで届くところ全て、去り来る者を塞き止めるところなのです。海を渡り、更にはこの関所を超えようとしているあなたを私は見過ごすことが出来ないのです」
門を挟んだ必死の会話の末に得た希望はあっさりと崩れ去ってしまいました。
「それに貴方は話の中で、我々(われわれ)の国が記載された書記を知り、舟の上で暦を数え、星を見たのか方角さえも理会されているようですね。そんな危険な人物は取り押さえなければなりません」
門の向こう側が真夜中なのに明るみ、騒がしくなったかと思えば横の小さな扉が開き数人の武装した者たちが少女を取り囲んでしまいました。