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パンツと見習い聖女

 異世界の朝日に照らされながら歩き出した僕は、まず腹ごしらえに足元の草を食べることにした。


 器用に動く長い鼻で草をむしりとり、土を丁寧に落としてから口に運ぶ。


 うん、草もうまい。

 爽やかな香りと、ほのかな甘みと苦味が口に広がっていく。

 こういう素朴な味わいも、悪くないぞう。


 夢中で草を食べていると、不意に風に乗って何かが僕の顔にぺたっとくっついた。


「ん……これは?」


 顔に張りついた黒い布切れを鼻で摘んで広げてみると、逆三角形のかたち。

 十字架の刺繍がワンポイントで入っていて、全体的にシンプルだけど品がある。


 だけど、それ以上に……香りがすごい。


 女の子の匂いが、甘くて柔らかくて、なんだかちょっと……ドキドキするくらい濃密だ。


 これって、どう考えても女の子のパンツじゃないか!?


 しかも香りの感じからして、たぶん若い。

 というか、めちゃくちゃ若くて、それなりに育ってる――


「うわわ……落ち着け、僕。冷静になるんだぞう……!」


 鼻の奥をくすぐる甘い香りに思考が揺らぎかけたところで、似た香りが風に乗って漂ってきた。


 この方向に、本人が……?


 僕はパンツの香りを追って、草原を進んでいった。


 しばらくして見えてきたのは、小さな泉。

 そして、その縁で水浴びをしている人影。


「あれって……」


 間違いない、さっきの匂いの主だ。つまり――


 全裸。


 しかもどう見ても女の子。


「……ど、どうするんだ、これ」


 パンツを返さねばならない。

 でもそのまま近づいたら、覗きだと思われる可能性も高い。


 どうやって接触すればいいのかと悩んでいたところ、女の子がこっちに気づいた。


 そして、駆け寄ってきた。全裸のままで。


「あのー! すみませーん! わたしの下着、見かけませんでした~?」


「わっわっわっ!?」


 たおやかな体を惜しげもなく揺らしながら近づいてきた彼女に、僕は大慌てで後ろを向くしかなかった。


「どうしたの~?」

「あの、お願いですから服を着てください~!」


「きゃっ、動物さんが喋った!? しかも……慌ててるのが、可愛い~」


 そのたどたどしい声がどこか楽しそうに響く中、彼女がバタバタと着替える気配がする。


 しばらくして、「――もういいよ」と声をかけられたので、おそるおそる振り向いた。


 そこには、聖女を思わせる白のローブをまとった少女が立っていた。


「それでね、下着をなくしちゃって困ってるの。見かけなかった?」

「それってもしかして……これですか?」


 僕が鼻先でパンツを差し出すと、彼女はぱあっと顔を明るくした。


「わたしのだ! ありがとう~、大きな動物さん!」


 そして……その場で、スカートをたくしあげて穿き直そうとする。


 うわ、ちょ、ちょっと待って!? 

 見え……見えてますからっ!!


 再び僕は顔を背ける羽目に。


「……ちょっと湿ってるね?」

「すみません、それ、僕の鼻のせいです」


 ――僕の鼻は、基本、濡れてます。

 いろんな意味で気をつけていただけると助かります。


「自己紹介がまだだったね。わたしはシェリー、聖女見習いをしてるの」

「シェリーさんですね。僕はアフリカゾウのタイゾウです」

「タイゾウさん? ふふっ、素敵なお名前ね~」


 にこにこと名前を誉められて、僕の胸がじんわりとあたたかくなる。


 それにしてもシェリーさん、改めて見るとかなりの美人だ。


 ふんわりとウェーブのかかった桜色の髪、お嬢様結び。

 淡い色合いのローブも清楚で、彼女の雰囲気によく似合っている。


 ……それに、何より、胸がすごく……豊か。

 スカートのラインも腰の丸みを強調していて、目のやり場に困るほど。


 これは……聖女見習いというより、ちょっとした魔性の女では……?


「どうしたの? わたしの顔に何かついてる?」

「あ、いえ。なんでもないです」


 危ない、今にも鼻血が出そうだったぞう……。


「それで、聖女見習いのシェリーさんは、どうしてこんなところに?」

「それがね、旅の途中で道に迷っちゃって……」


 このだだっ広い草原じゃ、無理もない。

 けれどアフリカゾウの嗅覚と記憶力があれば、案内もお手のものだ。


「どこを目指していたんですか? 僕で良ければ案内しますよ」

「本当!? 助かる~!」


 突然シェリーさんが身を乗り出してきたその瞬間――


 顔に、ふわっと柔らかな感触が……!?


 うおおおっ、これは……シェリーさんの……!?


 思わず鼻先がめり込んだ先は、彼女のたわわな胸の谷間だった。

 視覚じゃなく、感覚でわかる。


「ありがとう、タイゾウさん。わたし、ビオレって町に行きたいの」

「……そこなら、昨日まで僕もいたところです。案内しましょう」


 平静を装いながら答えたけど、内心では全力でパニックだった。


「ありがとう! あ、背中に乗せてくれるって言ったよね?」

「は、はい。どうぞ」


 しゃがんで乗りやすくした僕の背中に、彼女がふわりと腰かける。


 背中にむっちりとした体温が伝わってくる。想像以上に柔らかい。


「きゃっ、高~い! まるで空を飛んでるみたい!」


「じゃあ、出発しますね」

「お願いします、頼りにしてるよ~」


 シェリーさんを背中に乗せて、僕は再びビオレの町へと向かって歩き出したのだった。


「それにしてもよく揺れるね~」

「なんかすみません……酔いますかね?」

「ううん、大丈夫。むしろこの揺れ……ちょっとクセになるかも」


 揺れに合わせて腰をくねらせるシェリーさんの声が、どこかくすぐったくて柔らかい。


 そ、その反応はちょっと刺激が強いぞう……。


 そんなことを思っていた矢先、僕はピタリと足を止めた。


「あなたも気づいたの?」

「ええ、何か……嫌な気配がします」


 見回しても草原は静かそのもの。

 けれど目の前には、腐りかけた野牛の死骸が転がっていた。


 異様なのはその周囲にハイエナや腐肉鳥の姿が一切ないこと。

 こんな好物に群がらないなんて、おかしい……。


「これはただの死骸じゃない」


 そう思った瞬間、腐敗臭をまき散らしながら、その野牛の死骸がぬるりと動き出した。


「ひっ、動いた!?」

「リビングデッド……!」


 シェリーさんの震え声が響く。リビングデッド、つまりファンタジー世界のゾンビ的存在。


 野牛の死骸がぎしぎしと骨を鳴らしながら、こちらへ向かってくる。


「アアアアア……」


「来るな!」


 僕は長い鼻をしならせ、象牙と共にリビングデッドを強烈に突き飛ばした。


 ごろんと吹き飛んだそれを見て、シェリーさんが感嘆の声を上げる。


「すごいパワー! あんな大きな死体が吹っ飛ぶなんて……!」


 だけど、リビングデッドはゆっくりと立ち上がり、再び僕に向かってきた。


「アアアアア……」


「ならば!」


 僕はさらに踏み込み、突進からの踏みつけを繰り返す。


「このっ、このっ!」


 ぬちゃ、ぐしゃ、と嫌な感触が続くも、リビングデッドはうめき声をあげながらも止まらない。


「どうすれば……!」


「ここはわたしに任せてくれる?」


 頼もしい声が背中から届く。

 振り返ると、シェリーさんがすっと僕の背から飛び降りていた。


 そして――どこからともなく取り出した杖を構える。


 先端は十字架と翼を組み合わせたような意匠。淡い光がすでに杖の先に灯っている。


「土に還りなさい……ターン・アンデッド!」


 詠唱と共に、十字架がまばゆい白光を放ち、草原全体を照らす。


「アアアアアァァァ……!!」


 苦悶の声をあげるリビングデッド。

 光に焼かれるようにその腐敗した肉体は崩れ落ち、やがてすべてが風に溶けるように消えた。


「す、すごい……!」


 僕は思わず感嘆する。呆然とする僕の視界に、ふっと誇らしげな笑みを浮かべたシェリーさんの姿が映る。


 揺れる桜色の髪、ローブ越しでも分かる豊かなバスト。

 どこか幼さと色気を併せ持ったその姿は、光に照らされて神秘的ですらあった。


「えっへん! 見習いだけど、ちゃんと聖女だからね?」


 自慢げに胸を張るその様子に、僕はつい目を逸らす。


 ちょっと……張りすぎてないですかね!?


「でもリビングデッドなんて、草原では見かけなかったのに……」

「――もしかしたら《腐食》が、ここまで来てるのかも……」


「えっ、今何か……?」

「ううん、なんでもない。さ、行こ?」


 シェリーさんは微笑みながらそう言って、再び僕の背中へと登ってきた。


 今度はしっかりと身体を預けてくるから、柔らかさが余計に意識される。


 落ち着け僕、これは聖女の清らかなる体重……ありがたいと思うんだぞう。


 そんなふうに思いながら、僕は再び歩き出す。


 ……このリビングデッドが、これから起こる異変の始まりにすぎなかったことなど、まだ知るよしもなかった。

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