王都創立パーティー
結局、僕は朝まであまりよく眠れず、パピヨンお嬢様を潰さないよう細心の注意を払って見守り続けていた。
「ん、んん……っ」
むずむずと表情を動かした後、パピヨンお嬢様が上体を起こし、両腕を天に伸ばす。
「おはようございます、お嬢様。よく眠れましたか?」
「ごきげんようなのじゃ、タイゾウ。うむ、わらわはよく眠れたぞ」
「それは何よりです」
にこにこと笑うお嬢様の言葉に、僕も思わず頬が緩む。
彼女の頭や身体にかかっていた干し草を、僕は鼻でやさしく払いのけた。
「少々汚れてしまいましたね……本当に大丈夫なのでしょうか?」
「問題ないのじゃ。これからノエムに身体をきれいにしてもらうからの」
ああ、そういえばそんなことを言ってたっけ。
僕が慎重に立ち上がると、ちょうどそこへノエムさんが駆けつけてきた。
「お嬢様、お迎えに参りました」
「おお、ノエムか」
ぱたぱたと駆け寄って抱きつくパピヨンお嬢様。
だがノエムさんは鼻をつまみ、顔をしかめていた。
「……お嬢様。今日はパピリオン創立パーティーなのですから、お身体を汚してはいけませんよ。さあ戻りましょう」
「はーい、なのじゃ。またのう、タイゾウ! 今夜は楽しみにしておるぞ!」
手を振りながら去っていくお嬢様に、僕も長い鼻を軽く振って応えた。
「……やっぱり臭いよね、僕って」
ノエムさんの反応が、ちょっと心に引っかかる。
そんな僕に、さらなる驚きが待っていた。
「――というわけでタイゾウ殿。今日の創立パレードで貴殿をお披露目しようと思う」
「えっ、僕がパレードに!?」
バタフライ公爵の言葉に、思わず僕は仰天した。
「せっかく来ていただいたのだ、タイゾウ殿にもぜひ創立祭に参加してもらいたくてな」
「きっと皆、驚くのじゃ!」
「は、はあ……」
まさか自分が王国の式典に参加するとは思ってもみなかった。
けれどパレードの最中はともかく、準備中は暇だった。
公爵たちは出席の準備へと去り、僕はまた馬小屋で待機することに。
……ホテルの空気もどこか浮き足立ってきたな。
創立祭に備えて、宿泊している要人たちも慌ただしい様子だ。
やがて、ノエムさんがやって来て僕を迎えに来てくれた。
「タイゾウ様、こちらへ」
「ありがとうございます、ノエムさん。ようやくですね」
ノエムさんに先導されながら王都の通りを進むと、街全体がまるでお祭り騒ぎだった。
人々の笑顔があふれ、飾りつけも華やかで、空気まできらめいている気がする。
そんな中、僕は豪奢な装いの男と対面するバタフライ公爵の隣へと導かれた。
「国王陛下、こちらがアフリカゾウのタイゾウ殿でございます!」
その声に貴族たちの視線が一斉に僕へと集まる。
「なんだあの巨大な動物は……?」
「タイゾウ? 聞いたことのない名前だな……」
やっぱりゾウという存在自体、ここでは珍しいらしい。
緊張する僕をよそに、公爵は堂々と紹介を続けた。
「このタイゾウ殿は力強さと聡明さを併せ持つ、素晴らしい御方なのです!」
それほどでも……いや、今は謙遜してる場合じゃないか。
そんな中、豪華な衣装の男が僕に歩み寄った。
「ほう、そなたがタイゾウ殿か。風の噂で聞いておったぞ。近頃、我が国で大活躍しているとな」
「滅相もないことでございます」
「おや、喋るのか。――申し遅れた。余はトリバ・カルネ・パピリオン。この国の王である」
やっぱりこの人が……王様!
その後ろから、見覚えのある黒髪の少女が進み出た。
「あなたは……タイゾウ殿!」
「えっ、ウィンミル王女様?」
「そうです。先日は手合わせにお付き合いいただきました。あの力、父上にもぜひ知ってほしくて」
「ほう……それは頼もしいな」
王様がにっこりと目を細めたところで、僕もお礼を伝えた。
「ウィンミル王女様、とてもお美しいです。ドレスもとてもお似合いで……」
「なっ!? おまえ、動物のくせにお世辞を……」
「お世辞なんかじゃありません、本心です!」
真っ直ぐ伝えたら、王女様の顔が見る間に真っ赤になってしまった。
あれ、やっぱり言いすぎだったかな……?
そこへ、待ちきれない様子でパピヨンお嬢様が駆け込んできた。
「おーい、タイゾウ~!」
ドレスの裾をつまんで小走りするお嬢様が、笑顔で僕の鼻に抱きついてくる。
「やはりお主は注目の的じゃな! わらわも誇らしいのじゃ!」
「はは……ありがとうございます」
お嬢様の無邪気な笑顔に癒されつつ、僕は少し照れながらも応じた。
――こうして王族や貴族との触れ合いを終え、夜が近づいた頃、僕は一時的に馬小屋へと戻った。
「お疲れ様です、タイゾウ様」
「それはどうもです、ノエムさん。……僕、何か失礼なことしてませんでしたよね?」
「ご安心ください。貴族の方々も、国王陛下も、大変お喜びになっておられました」
そっか、それなら良かったぞう。
「それではボク、お嬢様のもとへ戻りますので」
「分かりました。よい夜を」
ノエムさんの背を見送りながら、僕は長い鼻を軽く振って別れを告げる。
そしてまた、独りになった。
「昼間はあんなに賑やかだったのに……まるで別の場所みたいだぞう」
馬小屋の屋根の隙間から見える空は、澄んだ星でいっぱいだ。
今日のパレードを思い出しながら、僕はぼんやりと星空を見上げる。
いつぶりだろう、こんなふうに楽しいと思えたのは。
……もう、前世のことなんて、遠すぎて思い出せないや。
そんなことを考えながら、僕は静かに目を閉じた――。
*
翌朝、バタフライ公爵がビオレへ帰還するとのことで、僕たちも王都を発つことになった。
「昨日は実に楽しかった。愉快なお仲間を連れてきてくれて、心より感謝する」
「そのお言葉は、ぜひタイゾウ殿ご本人に」
バタフライ公爵に促され、国王陛下が僕に歩み寄ってきた。
「タイゾウ殿。余の元に来てくれてありがとう」
「いえいえ、光栄でございました」
にこやかな国王陛下に、僕も鼻を軽く上げて礼を返す。
その時、ウィンミル王女様も一歩進み出て、真っ直ぐ僕を見つめた。
「タイゾウ殿、短い間ではあったが世話になった。また会える日を、楽しみにしている」
「僕もです。ウィンミル王女様」
鼻先を差し出しての握手に、王女様も静かに応えてくれた。
「ミル姉~! 達者での~!!」
荷車の窓から身を乗り出して手を振るパピヨンお嬢様の声が、王都の空に響く。
僕はそれを微笑ましく見守りながら、王都を後にした。
*
帰路では、行きに崩れていた橋がすでに修復されていたおかげで、特に大きな問題もなく道中は順調だった。
そして数日後、ついに僕たちはビオレの街へと帰ってきた。
「久しぶりだな、タイゾウさん」
「タイゾーさーん! お帰り~!」
門の前で待っていてくれたアンリとリリアが、元気よく駆け寄ってくる。
「ただいまだぞう、二人とも」
鼻を掲げて挨拶すると、二人は笑顔で応えてくれた。
「王都ってどんなとこだったの!? ねぇねぇ、タイゾーさん!」
「こら、リリア。そんなに畳み掛けたら困らせるだろ」
「てへっ、ごめんね~!」
ぺろっと舌を出すリリアに、僕も思わず笑ってしまった。
「それじゃあ、ちょっとバタフライ公爵様にご挨拶してくるよ。また後でね」
「ああ」
「うん、またね!」
二人に手を振られて、僕はバタフライ公爵の屋敷へ向かった。
庭に出ると、公爵様が待っていた。
「此度は本当にご苦労だった、タイゾウ殿。世話になったな」
「いえいえ、僕もいろいろと楽しかったです」
手を組んで礼を言う公爵に、僕も素直に答える。
すると、公爵が少し改まった声色で続けた。
「時にタイゾウ殿。これからは、私たちの元で暮らしてみないか?」




