王都への旅路 ※挿し絵あり
翌日、ついに 僕はビオレの町を出発することになった。
「短い間だったけど、世話になったな、タイゾーさん」
「それはこちらこそだぞう」
町の出口まで見送りに来てくれたアンリの手を、僕は鼻で優しくとる。
「またいつでもビオレに戻ってきてね! あたしたちは絶対ここにいるから!」
胸の前でぎゅっと手を結ぶリリアの華奢な肩に、僕は鼻をポンと置いた。
「ありがとう、リリア。また縁があったらよろしく頼むね」
「ええ!」
「――そろそろ行くぞ」
馬車に乗った バタフライ公爵の声に呼ばれ、僕は踵を返す。
そして、公爵たちを乗せた馬車と並んで僕が歩き出すと、背後でアンリとリリアがずっと手を振っているのが見えた。
(短い間だったけど、なんか名残惜しいぞう……)
ビオレの町が見えなくなるまで歩いたら、馬車の窓からパピヨンお嬢様が顔を出した。
「タイゾウ! お主とまた一緒になれて、わらわは嬉しいのじゃ!」
「それはどうもです」
屈託のない笑顔を向けられて、僕は少し気恥ずかしくなってしまう。
こうして 誰かから "他でもない自分" を必要とされる感覚――。
半ば使い捨てのように働かされていた前世では、そんな幸福感が希薄だった。
(……やっぱり、"自分だから" 必要とされるのって嬉しいことなんだなぁ)
そう感じていたら、パピヨンお嬢様が僕の長い鼻に頬を擦り寄せてきた。
「太くてたくましいのう、頼もしいのじゃ」
「あはは、僕はアフリカゾウですからね」
照れ隠しにはにかんでいると、パピヨンお嬢様の隣に座るノエムさんがクスリと微笑む。
「お嬢様は本当にタイゾウ様のことがお好きなのですね」
「当たり前じゃ! こやつはわらわの恩人じゃぞ!」
「うふふ、そうですね」
口許に手を添えて微笑むノエムさんも、また美しい。
やっぱり べっぴんさんの仕草は、どんなものでも絵になるものだ。
「……どうかいたしましたか、タイゾウ様? ボクの顔に何かついてます?」
「ううん、ノエムさんも 上品できれいな方だと思いまして」
僕が何気なくそう言うと、ノエムさんはぽっと頬を赤く染めた。
「いえいえ! ボクなんかがきれいだなんて……! そのようなこと、言われたのは初めてです……」
(なるほど、ノエムさんは誉められ慣れていないのか)
「はははっ、皆仲良しで私も羨ましいぞ」
「もちろん 父上も大好きなのじゃ!」
「それは嬉しいことを言ってくれるなあ、愛娘よ」
パピヨンお嬢様に抱きつかれたバタフライ公爵も、心底嬉しそうにしている。
なんだかんだ、この親子も仲良しで 微笑ましいぞう……。
(……こういう温かい家族の姿、前世ではあまり見たことがなかったな~)
少しだけ、胸がじんわりと温かくなった気がした。
和気あいあいと旅を続けていた僕たちだったが、突如、不穏な臭いと気配を感じ取った。
「どうかしたかや? タイゾウ」
「お嬢様、ノエムさん……何かいますっ」
「それは本当ですか!」
僕の警戒を受けるなり、ノエムさんが素早く荷車から降り、公爵に付き従う少数の兵士たちも警戒態勢を取る。
その瞬間、周囲の藪がガサガサと揺れ、ゴソゴソと音を立てながら十匹を超えるゴブリンが姿を現した。
さらにその中心には、背丈 二メートルを超える巨体のゴブリン が一匹。
「ゴブリンじゃ!」
「しかも 上位種のホブゴブリン もいます……少々厄介ですね……!」
ノエムさんが険しい表情で歯を食いしばる。
(たぶん、一番の強敵はこいつだな……)
「ホブゴブリンは僕が引き受けます! ノエムさんたちは他のゴブリンたちを!」
「分かりました! 皆さん、ボクたちでゴブリン共を殲滅しますよ!」
「おおおお!!」
ノエムさんの号令で兵士たちが 勢いよくゴブリンの群れに突っ込む。
(おお、みんな統率の取れた動きしててすごいな……)
特に ノエムさんの戦闘力は圧巻だった。
まるで獅子奮迅の如く、複数のゴブリンを一気に蹴散らしていく。
(これは僕も負けてられないぞう!)
僕が前へ進み出ると、巨体のホブゴブリンが粗末な斧を振りかざし威嚇してきた。
「オオオオオオウウウウウウウ!!」
確かに、ただのゴブリンとは 比べ物にならないほどの威圧感だ。
だけど巨体のアフリカゾウはそんなものでは怯まない!
「うおおおおおおお!!」
「オオオオオオウウウウウウウ!!」
四肢をフル稼働させ、突進する僕にホブゴブリンも真っ向から向かってくる。
その瞬間――ホブゴブリンの斧が振り下ろされた!
「タイゾウ!!」
背後から パピヨンお嬢様の警告が響く。
だけど僕は慌てず騒がず、鼻を器用に使い、大振りなホブゴブリンの斧の柄を巻き取るように掴んで受け止めた。
「ゴオオウ!?」
まさか 自慢の一撃を簡単に封じられるとは思わなかったのか、ホブゴブリンは面食らったように動きを止める。
(確かにパワーはある……でも、アフリカゾウの力には及ばない!!)
僕はホブゴブリンを鼻でグイっと引き寄せ、そのまま長く伸びた象牙で胸を突き刺す。
「ガハッ!?」
ホブゴブリンは致命傷を受けたまま崩れ落ちた。
「ぱおおおおおおおおん!!」
長い鼻を高らかに振り上げ、勝利の雄叫びをあげる。
ちょうどその頃、ノエムさんたちもゴブリンの群れを殲滅し終えていた。
「さすがですねタイゾウ様、上位種のホブゴブリンを一撃で葬りなさるとは」
「ノエムさんもすごかったですよ。ほんとにお強いんですね」
僕が素直に称賛すると、ノエムさんの頬が赤く染まった。
「と、当然です! お嬢様をお守りする強さこそ、ボクの存在意義ですからっ!」
健気なノエムさんを見て、僕は思わず彼女の肩に鼻をポンと置いた。
「本当にお嬢様のことを大切に思ってらっしゃるのですね」
「当たり前、です……」
そう言いながら、ノエムさんは真っ赤な顔を伏せる。
(ふふっ、ノエムさんもやっぱり可愛いところあるじゃない)
「それではまた先へ進むぞ」
「はい、公爵様」
僕たちは危険を排除し、再び歩みを進めた。
しばらくすると、美しい川辺へとたどり着く。
「ここで少し休憩にしよう」
バタフライ公爵の提案で、僕たちは穏やかな川のそばで休憩することに。
川辺の草を長い鼻でむしって口に運ぶと、爽やかな味わいが広がった。
小腹を満たした後、僕は そのまま川へ入り、水浴びを始める。
(ふぅ~、冷たくて気持ちいいぞう……)
鼻で吸い上げた水を全身にかけていたら、パピヨンお嬢様が興味津々に寄ってきた。
「おお、楽しそうなのじゃ!」
そう言うと パピヨンお嬢様は履き物と紫色のタイツを脱ぎ、川へ足を踏み入れる。
「きゃはっ、冷たくて気持ちいいのじゃ! ほれ、タイゾウ! わらわにも水をかけてたもう!」
「え、それは……」
(お嬢様にそんなことしてもいいのだろうか?)
躊躇する僕をよそに、無邪気にキャッキャするパピヨンお嬢様。
(……まぁ、たまにはいいか)
「それっ」
「きゃっ! やったなぁ~!」
僕が鼻から水を吹きかけると、お嬢様も負けじと水をかけ返してくる。
「はははっ、娘がこんなに楽しそうにしているのは久しぶりだな」
「そうですね、公爵様。タイゾウ様はお嬢様にとっていい刺激になっているとボクも思います。」
そんな会話をよそに、僕はパピヨンお嬢様と夢中になって水遊びを楽しんだ。
気がつくと、空は夕焼けに染まっていた。
(……こういう時間、悪くないな)
「はあ、はぁ……楽しかったのじゃ~」
「楽しんでいただけて何よりでございます、お嬢様」
「お嬢様、お着替えをなさいましょう。こちらへ」
「うむ」
ノエムさんの案内で、パピヨンお嬢様はテントの中へと入っていった。
(そういえば、いつの間にテントを設置してたんだろう? 僕たちが遊んでる間に準備してくれたのかな?)
ふと周囲を見渡せば、すでに夜営の準備が整っていた。
兵士たちは薪を組み、焚き火の周りで食事の支度を進めている。
(やっぱりプロの仕事は早いな……)
そんなことを考えながら 僕は川辺の草を食んでいたが、ふと漂ってくる香ばしい香りに鼻をひくひくさせた。
(ん? これは……いい匂いだぞう)
思わず香りの元へと歩み寄ると、そこには 焚き火のそばで鍋をかけ、慎重にスープをかき混ぜるノエムさんの姿があった。
「ノエムさんって、お料理もできるんですね」
僕が声をかけると、ノエムさんは手を止め、優雅な動作で振り返る。
「当然です。ボクはメイドですよ。この程度は朝飯前です」
「あはは、さすがですね。何を作ってるんですか?」
「野菜のスープです。身体を温めるのにちょうどいいですよ」
鍋の中からは、ほんのり甘みのある野菜の香りと、じっくり煮込まれた旨味が溶け出した芳醇な香りが漂ってくる。
(これは……期待できそうだぞう)
「出来上がったら、タイゾウ様もお召し上がりますか?」
「え、いいんですか?」
「はい。お嬢様と遊んでくださったお礼と思ってください」
ノエムさんが柔和な笑みを浮かべる。
(ノエムさんって、強いだけじゃなくて気配りもできるんだな……)
「それじゃあ、楽しみにしてますね」
そして、ついにスープが完成した。
深皿にたっぷりと注がれたスープは、ほのかに湯気を立てながら、野菜の甘みと出汁の旨味をたっぷり含んでいる。
「さあ、どうぞ」
ノエムさんに勧められ、僕は鼻でそっと持ち上げ、慎重に口へと流し込む。
――その瞬間、口の中いっぱいに広がる野菜の旨味と優しい甘み!
(……うまい!!)
具材は柔らかく、じっくり煮込まれているおかげで野菜の甘みがしっかりと引き出されている。
優しい味わいのスープが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡るようだった。
「これは……すごく美味しいですね!」
「ふふ、そう言っていただけると嬉しいです」
ノエムさんが小さく微笑む。
だけど、僕はここでふと、ある疑問を抱く。
(こんな美味しさを知ってしまったら……もう、そこらの草で満足できるだろうか?)
アフリカゾウとしての本能が求める草と、人の手によって作られた料理の美味しさ。
この違いに、僕は少し戸惑いを覚えた。
(……まあ、気にしても仕方ないぞう。食べられるときに美味しいものを食べればいいよね)
そんなことを考えながら、僕はスープをゆっくりと味わい続けた。
スープを飲み終えた後、僕は夜営の焚き火のそばで夜を過ごすことにした。
空を見上げると、澄んだ夜空に無数の星が輝いている。
(ああ、綺麗だな……)
動物として生きるようになってから、こうして夜空をゆっくり見上げる時間が増えた気がする。
働き詰めだった前世では、こんな余裕すらなかった。
星が綺麗だと感じることもなく、ただただ仕事に追われる日々……。
(……でも、今は違う)
心の底から 「この旅が楽しい」と思える。
焚き火の温もりと、満たされた胃の心地よさを感じながら、僕は静かに目を閉じた。
(明日も頑張ろう)
絵師の晴る様から頂いた挿し絵を挿入させていただきました。




