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願った象の身体

 気がつくと、僕は見渡す限り白一色の、不思議な空間に漂っていた。


 ……あれ、ここは?


 確か、さっきまで激務に追われていたはずだけど……。


「――椎名泰造よ」


 突然、どこからともなく響く声。思わず、反射的に答えてしまった。


「はいっ、お呼びでしょうか」


 その瞬間、目の前に揺らめくように現れたのは、座禅を組む白髪の老人だった。


「そう、そなたじゃ。激務の末に力尽きてしまったな……誠に気の毒であった」

「えっ、力尽きて? まさか、僕は……死んだんですか?」


 思わず問い返すと、老人は重々しくうなずく。


「では、あなたは……?」


「ほっほっほ、わしは魂の輪廻転生を司る神じゃよ」

「輪廻転生の神様……ですか」


 確か、死んだ魂は別の肉体に宿り、新たな人生を送る――そんな話を聞いたことがある。


「うむ。そなたは欲に溺れず、勤労の限りを尽くした」

「は、はあ……」


 欲に溺れずって……。単にそんな暇すらなかっただけなんだけど。


「その結果、限界を超え……命を落としてしまった。あまりに不憫なのでな、そなたにもう一度、生を謳歌するチャンスを与えようと思う」

「生き返れるってことですか?」

「うむ。これは百年にひとつの魂にしか許されない特別な計らいじゃ。幸運に思うといいぞ」


 百年にひとつの魂……。僕は、そんな幸運を手に入れたわけか。


 だけど、神様は少し難しい顔をして続けた。


「……しかし、元の世界でというわけにはいかぬ。そなたは異なる世界に転生することになるが、それでもよいか? 言葉は問題なく使えるようにしてやろう」


 違う世界、か。


 うーん、言葉の問題はないとして……。

 いや、でもせっかくのチャンスだ、乗らない手はない。


「分かりました。それでお願いします」

「おお、すまぬのう。では泰造よ、そなたに何か希望はあるか? 可能な限り叶えた上で転生させようと思う」

「希望、ですか……。そうですね~」


 うーん、次の人生では、絶対に仕事漬けにはなりたくない。

 かといって、生きていくには何かしら稼がなきゃならないし……。


 ……待てよ?


「あの、神様。転生って、必ず人間じゃなきゃダメなんですか?」

「そうとは限らぬぞ。望むなら動物でも植物にでも転生させてやれる。もっとも、それを望む者はほとんどおらぬが……」

「それじゃあ……僕を、象にしてください!」


 思わず頭を下げてお願いすると、神様の目がまん丸になった。


「象とは……そなたの世界にいるという動物のことか?」

「はい! 僕、転生するなら象がいいです!」


 動物なら、働かなくても自分の力で生きていける。

 その中でも、いちばん大きくて強い象なら、天敵に襲われて命を落とすことも少ないはず。


 何より、小さい頃に動物園で見た象の、あのゆったりした動きが頭に浮かんだ。


 森でも、サバンナでもいい。

 そこで悠々自適にスローライフを送りたい――僕は、そう思った。


「……そうか、そなたの希望は分かった。しかし、本当によいのか? 動物になるということは、すなわち人間社会から外れるということじゃぞ」


「はい! それこそ、願ってもないことです!」


 だって、僕はもう社会の歯車としての人生を全うさせられたんだ。

 次くらいは、そこから解放されたいと思うのは、おかしいことだろうか?


「――分かった。そなたの望み、叶えてやろう。それでは、達者でのう」


 神様の言葉が遠ざかるのと同時に、僕の意識も、次第に薄れていった……。


 ん、んん……。


 意識が覚醒し、目を開けると、そこは森の中だった。


 広葉樹が生い茂り、鳥たちのさえずりが心地よく響く。

 鼻をひくつかせると、草木の香りが混ざり合った清々しい空気が肺に満ちた。


 それにしても、ちょっと肌寒い。

 どうやらここは熱帯ではなさそうだ。


 さて、僕は本当に象になれたのか?


 足元の水たまりをのぞき込むと、そこには巨大な象の顔が映っていた。


 長い鼻、大きな耳、丸太のように太い四肢、そして堂々とした巨体――


 間違いない、僕は象に転生したんだ!

 それも、特に巨大で雄々しい アフリカゾウ に!


「やった~!」


 嬉しくなった僕は、長い鼻を高々にあげてしまった。


 輪廻転生の神様、本当にありがとうございます!


 ……それにしても、普通に喋れるんだ。

 「やった~」なんて言っちゃってるし。


 試しに四肢を動かしてみる。

 二足から四足になったけど、意外と違和感はない。むしろ、どっしりと安定していて頼もしい感じがする。


 そんなことを考えていたら、腹の奥から ぐぅぅぅ…… と重低音が響いた。


 腹が減ったぞう。


 そうか、象なんだからそこらの木の葉を食べればいいじゃないか。


 鼻を伸ばし、目の前の枝から葉を一枚摘み取る。

 すると、鼻腔をくすぐるのはペパーミントのような爽やかな香り。


 口に運ぶと、驚くほどスッキリとした清涼感が広がる。


「おおっ、木の葉うまい!」


 次に、隣の木の葉を試す。赤みがかった葉を鼻先で摘むと、今度はツンとした刺激的な香りが漂った。


 これは……唐辛子っぽい?


 恐る恐る口に入れた瞬間――


「うわっ、辛いぞう!!」


 舌の上で炸裂する灼熱の辛み! 思わず鼻をぶんぶん振る。


 慌ててさっきのペパーミントの葉を頬張り、辛さを中和する。


 ふぅ、危なかった。


 ……なるほど、匂いである程度味が分かるんだな。


 そういえば、象の嗅覚は犬の何倍も優れているって話を聞いたことがある。

 これは本当だったんだ!


 鼻を頼りに食べられそうな葉を選びながら、満腹になるまで食べ続ける。


 そうしているうちに、いつの間にか夜になっていた。


 ここから、僕の新しい人生――いや、象生が始まるんだ。


 横になって寝ようとしたけど、地面は小石だらけでゴツゴツして痛い。

 試行錯誤の末、立ったままウトウトしながら、時々葉をむしって小腹を満たしつつ夜を過ごした。


 異世界の太陽が昇るころ、僕は食べ物を求めて移動することにした。

 昨日で近くの葉っぱは食べ尽くしたからね。


 象の鼻をフル活用して美味しい葉を探すけど、なかなか見つからない。

 匂いを嗅ぎ分けると、周囲の木の葉はどれも不味そうだ。


 ようやく一口分の食べられそうな葉を見つけたところで、喉の渇きを感じた。


 そんな時、目の前に美しい湖が広がっていた。


 「おお、ちょうどいい!」


 さっそく鼻を湖面に下ろし、水を吸い上げ――


 ツーン!!


「ううっ、痛い!!」


 ……あっ、やっちまった。


 思い出した。象は鼻で吸い上げた水を、そのまま飲むんじゃなくて、途中で口に移すんだった。


 幼少期に動物園で見た象の姿を思い出し、改めて鼻で水を吸い上げ、口に流し込む。


「ふぅ、これなら快適だぞう」


 何度も水を飲んで喉を潤したあと、湖に足を踏み入れる。


 水が冷たくて気持ちいい!


 巨体を転がしたり、鼻で水を吹きかけたりして、水浴びを楽しんだ。

 ついでに、湖に生えていた水草も匂いで確認すると、食べられることが分かったので、モシャモシャと食べる。


 身体もきれいになったし、そろそろ移動しよう。


 そう思って湖を上がった瞬間――


 足元に、妙な振動を感じた。


 ズズン……ズズン……


 何かが地面を伝ってくる。


 どこか慌ただしく、不自然に統率の取れた振動。


 ……何だろう?


 警戒しながら歩みを進めると、やがて――


「きゃああああっ!」


 誰かの悲鳴が、森に響き渡った。

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