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高校球児の兄と寝たきりの弟の体が入れ替わる話

作者: 卯月らいな

蝉が鳴く夏。


外を見やると熱気で陽炎が見える。


テレビでは、ブラスバンドが魔曲ジョックロックを演奏し、チアガールが乱舞していた。


投手が、ワインドアップ投法でキャッチャーミット目掛けて投げると打者は空振りをする。


「ああ!」という歓声が画面越しに聞こえる。


「三振です。このエース投手山本は、鋭いスライダーが武器です。第一打席ヒットを打った7番打者中村を今度は打ち取りました。4回表は三者凡退。次は山田商業の攻撃です」


解説者が、選手の個性をこなれた口調で説明する。


「大輝頑張ってるね。この調子だと甲子園に行けるかも」


僕は興奮する母を冷めた目で見ていた。


「野球なんて……」


「ん?なんか言った?」


「なんでもない」


僕の名前は、山本悠真、中学3年生だ。


軟式野球部に入り、市中体で活躍し、野球名門校にスカウトされる……はずだった。


人生計画が狂ったのは小学6年の夏、市民プールに向かって自転車を漕いでいるときに、車にはねられ、それ以来、寝たきりになった。


それまで、勉強もスポーツも優等生だった僕だったが、病院でリハビリをする日々を過ごしている。


友達も最初は見舞いに来てくれていたが、もはや3年も経てば誰も僕のことなんか忘れて、それぞれが楽しい青春を送っている。


兄の大輝もその一人だ。


僕のことなんて忘れて、甲子園に向けて地方予選2回戦を戦っている。


ぼんやりとしていたら、サイレンの音が鳴った。


どうやら試合は終わったようだ。


「勝ったね!本当にすごい!今日はあの子の好きなカレーライスごちそうしてあげなきゃ!ねえ!」


母は立ち上がると家に帰っていった。


僕は孤独だった。


ひたすら、暗い青春を送っていた。


いや、青春とすらいえないどす黒いものが胸を渦巻いていた。


空が暗くなる。


雨雲が立ち込め、雷の音が鳴る。


夏の通り雨というやつがそろそろやってくるらしい。


「落ち込んでるみたいだね」


「誰だ」


聞きなれない声がしたのであたりを見回すと、ルネサンス期の絵画にいるような小さな生き物が僕の前にやってきた。


「僕の名前はチコ。神様が遣わした天使さ」


これは夢か?


「夢じゃないよ。君の願いをかなえにあげにきたんだよ」


「願い?」


「君は、兄と人生を入れ替わりたい。そんな願望を抱いているね」


「なっ」


本音を言い当てられドキリとする。


「その願いをかなえにあげにきたんだよ。僕は人生というやつを弄ぶのが好きなんだ」


「デタラメいうな。やれるもんならやってみろよ」


「言ったね!じゃあやってみよう!」


天使がダンスを踊ると僕の意識は遠のいていった。


☆ ☆ ☆


ピピピピピ。


スマートフォンの音により目が覚めた。


懐かしい、自分の部屋だ。


あたりを見渡すと二段ベッドの上の段。


兄が本来眠っていた場所だ。


「ここは……」


「大輝!今日は、試合に向けて練習でしょ!遅れるわよー」


母親の声が響く。


体が軽い!


そして歩ける!


鏡を見ると、いや、見なくても自分の身体が、兄、大輝になっていることがわかった。


その場で、ももあげをすると体が軽い軽い。


「すごい!これが高校球児の運動能力!」


「ちょっと!大輝!ご近所迷惑!」


僕は、朝食を食べ、そそくさとスマホで地図と最寄り駅を調べると学校に向かった。


「大輝くん!おはよう!」


マネージャーと思しき女子がにっこりとした笑顔で話しかけてくる。


どうやら、兄はモテるようだ。


その日は、ランニングとストレッチ、キャッチボールなどをした後は、ピッチング練習をしつつ、合間にフリーバッティングなどをこなした。


普段はもっと過酷な練習をしているようだが、さすがに大事な試合前になると練習の強度は落とすらしい。


体を動かすのは久々でとても気持ちが良かった。


午前の練習が終わった僕は病院に向かった。


「やあ、兄貴、元気にしていたかい。おっと今は弟か?」


「悠真!悠真なのか!お前いったいどういうことだ!俺とお前の体が入れ替わったってことか?」


「天使に願って入れ替えてもらったのさ」


「ふざけるな!戻せ!」


「おっと、ふざけてるのはどっちかな。事故になった時、兄貴、僕にこんなこと言ったよな。『根性があれば病気なんて治る。根性があれば俺みたいになれる』ってさ。人生ってさ、そんな努力根性でどうにもならないこといっぱいあるんだよ。わかる?そんなに、努力根性って言うのなら、努力と根性で僕の代わりに病気を治して、甲子園行きなよ!さあ!さあ!根性でさ!バッチコーイ!さあいこう!さあいこう!」


「お前、そのことをいまだに根に持って……」


「言った方は忘れていても、言われた方は覚えているんだよ。あばよ」


僕は捨て台詞を言い残すと病室を飛び出した。


僕はその後、マネージャーの佑奈ちゃんとカラオケデートをし、家に帰った。


帰り際、ファーストキスと言うものを経験した。


青春を満喫していた。


家に帰ると「大輝……大変なの悠真が……」と母親が言うのでてっきり正体がばらされると思ったが「意識を失って眠ったきりになったの。お医者様が命には別条はないと言ってるけど」と言った。


なるほど。


このまま、元の体には二度と戻らずにそのまま、兄とはおさらばするのも悪くないと思った。


僕は、地方大会3回戦、4回戦を勝ち上がり、準決勝を勝ち上がる。


そして、決勝戦、2アウト満塁、ストライク2にボール3。


キャッチャーはスライダーを投げろと指先でサインを飛ばすが僕は首を横に振る。


そして、ストレートのサインを出すと、頭を縦に振った。


僕は、セットポジションに構えると、全力投球をした。


バッターは見逃すが、ミットのやや右上のストライクゾーンにボールは収まる。


「ストライーク!バッターアウト!ゲームセット!」


アンパイアーは大げさなジェスチャーで試合終了を伝える。


内外野から仲間が、ベンチから控えの仲間がわらわらと集まって喜びを共有する。


やった!これで甲子園に行ける!


夢にまで見た甲子園のマウンドに僕は立てるんだ!


夏の日差しは、僕の功績をたたえていた。


☆ ☆ ☆


夕日の中、僕は、病室に見舞いに来ていた。


「兄貴、あんたの代わりに甲子園に僕出るよ。僕が、あんたの代わりに青春を送る」


目を覚まさない兄貴に話かけていた。


「今の体気に入ってるようだね」


「その声はっ!」


体を入れ替えた天使、チコの声だった。


天使は姿を見せる。


「お前か。感謝しているよ。君のおかげで、本来味わえない、青春というやつを送ることができた」


「そうかい。それは良かった。じゃあ、答えは決まったようなものだね」


「答え?」


「実は、入れ替えの魔法にも期限があってね。あと1日なんだ。あと1日で君たちの体は勝手に元に戻る。ただし、僕が追加の魔法を唱えたら、一生元に戻ることはない。君の選択肢は2つだ。元の体にもどるか、一生戻らないか」


「………」


僕は、兄との思い出を走馬灯のように思い返していた。


幼き日、野球を指南してくれる兄。


『ほら、悠真!キャッチボールしようぜ!いいか!悠真!相手の胸目掛けて投げるんだぞ!』


『バットを振る時は、腰に芯を残して、バットにボールがミートした瞬間に脇を締める!』


小学校のとき、学校帰りの土砂降りに振られた日。


『悠真!傘を忘れたのか?ほら、俺のやつを貸してやるよ』


夏祭りの帰り、星空を眺めて。


『俺さ。将来プロ野球選手になろうと思ってるんだ。悠真も応援してくれよな!悠真もなれる!』


『僕、兄貴のこと応援しているよ!』


『悠真が兄弟で良かったよ!これからもずーっと一緒だ』


「兄貴……僕は……僕は……」


僕は涙が止まらなかった。


☆ ☆ ☆


「ピッチャーは体育大付属の西村!対するは、3番バッター山本。エースピッチャーも務めています。バッターは1塁3塁。ピッチャーセットポジションに振りかぶって投げた!打った!飛ぶ!飛ぶ!飛ぶ!飛んだボールは、ホームラン!山本、甲子園1号のホームランです!」


バットの快音が鳴り響いた後、カメラは外野席を映す。


そして、一塁ベースから二塁ベースに向かう兄の姿があった。


そう。


僕は兄を許し、元の体に戻ることにしたのだ。


「やったな、兄貴。夢にまでみた甲子園でホームランを打つことができたんだ。よく頑張ってる」


「悠真もリハビリ頑張ってるじゃない。先生が来週退院できるって。まるで、どこかで、体の動かし方を覚えたかのようだって言ってるけど不思議ねえ」


蝉が鳴く夏。


外を見やると熱気で陽炎が見える。


テレビでは、ブラスバンドが魔曲ジョックロックを演奏し、チアガールが乱舞していた。

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