風邪が舞う
男は朝ベッドから起き上がるとすぐに違和感に気づいた。
全身がダルく四肢がまるで落花生の殻のようにちっとも動かない。おそらく風であると判断するが男は時間完璧主義者なのでもちろん、遅刻出勤などすることは地獄の風呂釜に頭から入るような事だ。
なんて考えているうちに全身が火照ってきて
本当に地獄の風呂釜にでも入っているんじゃないかと思うほどだった。
しばらくして男はぱたりと意識を失った。
「目が覚めましたか?お気分はいかがでしょうか?」
あっさりとした口調で伺う女の姿を見て、初めて介抱されていた事実に気がつく。体の火照りはいつのまにか収まったが、胸の中では何かが渦巻いているような感覚がしていた。空のはるか向こうの銀河のように複雑になっている。されど心地よい温度で胸を覆い尽くす。
「はい。本調子ではないのですが出勤できます。」
「会社の方には私が連絡しておいたので、せめて今日はゆっくりしてください。あと、食欲はありますか?」
「わざわざありがとう。汗をかいたようだし、少し食欲はある。」
「粥をつくっているので持ってきますね。」
甲斐甲斐しく看病をする女の姿はまるで妻のように思えた。(実際に妻なのだが)
しかし、今まで約2年間何もしてこなかった僕を今更支えるような必要などないだろうに
どうして介抱してくれているのだろうか。
「お待たせしました。冷ましたのですが少し熱いので気をつけてください。」
「ありがとう。ところで、どうして僕に看病なんかしてくれるんだ?」
女は頬を淡く染めて、眉をきゅっとひそめ、か細い声で
「あなたが、洗濯物を取り入れてくれたからですよ。」
と言った。
あの洗濯物の中には女の下着もあっただろう。男は当時雨が降っていたこともあり、そこまで記憶に残っていなかったのだが女にとってはやはり異性に下着を見られることほど恥ずかしいものはないだろう。
僕はこの瞬間にはじめて妻と目が合った。はじめて見る妻の姿は美しく、目鼻がはっきりしていて、まるでシルクのような肌にさくらデンプンを散らしたように薄桃色をした頬と色素が薄く亜麻色をした瞳に引き込まれるような感覚がした。
そして、男はまた地獄の風呂釜からあがったあとのように頭からつま先までに稲妻が走ってすっきり赤面していた。
「え、えと雨が降っていたし洗濯物が痛むのは悪いし、、でも暗かったから下着も見ていません。気持ちを害してしまったと思うので後日新品の衣服を購入することも考えています。」
「あ、、いや別に気にしてないですよ。本当にその、、ありがとうございます。」
夫のひたむきな誠実さが妻に届いたのだろうか、今までのあったオリハルコンの壁が鉄の壁に材質を変えたような気がした。