第四話 手紙の歌
この話で第一章は完結です。
研究所の窓の外に見える空はとっぷりと暮れた。退出する所員たちの姿が見える。高く建てられた柱には先のアーク灯が取り付けられている。その少し紫がかった白い光に照らされた研究所の門に続く道を歩いていく。
“これて、できあがりてす。ためしひき、どうしますか? ”
たどたどしい英語でタナさんが問いかける。琥珀色の指先に真珠色に塗られて整えられた短い爪で軽くはじいたデルナクコチヤから、意外なくらい澄んだ音が立ち上る。
“ありがとうございます。今日はここまでにしたいと思います。明日午後、研究所が手配したビウエラ……スペインの歴史的ギターの専門家がいらっしゃいますので、午前中はデルナクコチヤの試し弾き、午後は合奏でお願いします”
花柄のワンピースの上に白衣を羽織った美代子が答えた。
“がっそうたのしみです”
タナさんはにっこりして、琥珀色の顔にわずかに滲んだ汗を手巾で拭いた。
“タナさんは音楽大学を卒業していらっしゃるのですね”
“はい、デルナクコチヤは、おじいさんに、ちいさいときからならいました。大学ではゴシックハープと音楽民族学”
不意に凪見小路が近寄ってきて、ふたりの会話に参加した。
『楽譜をご覧になって、いかがでした? この時代であれば、ゴシックハープに近いものを大航海時代のスペインでも使っていたと思いますが、ハープで弾くには無理がある。あ、畑中も聞いて理解はできますので、この言葉でお返事いただいても大丈夫ですよ』
タナさんが育った小国の言語。美代子は聞き取ることしかできない言葉。
タナさんが来る前、休日を1日潰して、その言語の基礎の学習書を烏池小路が朗読して聞かせてくれた。3回読んでもらったあと、美代子は完璧に聞き取って意味がわかるようになった。近くの大国で使われているのと似ている言語。共通語彙が多い。とはいえ、語学の天才美代子だからできることだった。
タナさんは嗟嘆……感心と驚きのこもった表情になって、目をぱちくりして、饒舌に話しはじめた。
『あら……そうですね、やはりデルナクコチヤの木の響きで表さないと表現できない部分は多いです。何より、ハープには手紙がないから』
たどたどしい言葉が一転して、母国語の知的な話し方になったタナさん。でも。
『手紙?』
『あ、ごめんなさい、私の祖父が生まれた島の歌の歌詞なんですよ。石の手紙を小舟で運ばなければデルナクコチヤに魂はない、と。ハープも修練がいる楽器ですが、デルナクコチヤは私たちにとってもっと特別な存在です』
タナさんは低い美しい声で歌い出した。さすがにふたりとも知らないことばだ。デルナクコチヤ、という言葉だけ二回聞き取れた。
『遠い国へ小さな舟で漕ぎ出して、石の手紙を筏に乗せ、引いて帰ってくるんだ、そうしないと、手紙はデルナクコチヤに魂を与えない、そしてあの子を迎えよう、ふたりでデルナクコチヤを鳴らして、石の手紙を一緒に読んで、ずっと一緒にいるんだ。そんな歌です』
出来上がったデルナクコチヤをタナさんは優しく撫でる。
『覚悟、努力、愛、忍耐、自立。デルナクコチヤを弾くということは、そういう過去の困難と危険、試練の経験が書かれた手紙を人生の中で運んで書き続け、常に持つことだと祖父に教わりました』
凪見小路が眩しそうにタナさんを見た。
――たぶん自分も同じような表情をしているのだろう。
美代子は思った。
『私は小舟に乗る環境に育ちませんでしたが、その言葉と道具を祖父から受け継いで以来、自分の居場所でその志を保つことをずっと考えています』
タナさんは持参した石の道具たちを優しく手にして、鮮やかな見慣れぬ鳥や花が描かれた模様の布の入れ物にそっとしまった。
『祖父はミクロネシアから少し離れたところにある島の出身です。島は地震の津波と地殻変動で何もかも流され、もうありません。島自体沈みましたし、どこの国にも正式には属していなかった。だから何の記録も残っていない。今なら考えられないことですが、昔はそういうこともあったんです』
木屑をまとめながら、タナさんは続ける。
『たまたま津波の日、漁船に乗っていた曽祖父と祖父と幼馴染みの女の子……私の祖母だけが生き残りました。その後、救助してくれた船の船籍がある西の大陸に移住したそうです。いろいろ大変な目に遭ったけれど、それも石の手紙を持つために必要なことだった、と祖父は言っていました。ヨーロッパの木材で初めて納得がいくデルナクコチヤを製作できたとき、祖父は石の手紙に感謝を捧げたそうです。そして、作るたびそれを繰り返しました』
ことばの意味は聞き取れるけれど喋れない美代子はじっと立ち尽くして聞いていた。
◆───────────────◆
凪見小路が、書き起こしの紙を手にして話しはじめる。
『デルナクコチヤに関わる古文書が発見されたあと、タナさんがこの楽器の専門家であることが調査の結果わかって招聘させていただきました。その際はただ楽器の製作と演奏をお願いしただけで、そのような家族の物語があるとは思い至っておりませんでした』
『古文書の書き起こしを拝読させていただきました。デルナクコチヤは大航海から帰ってきた貴族と共に戻った者が作って弾いていた。私は音楽家はその睦まじいふたりの新しい人生を飾るための曲を書いたのだと思いました。優しいビウエラ、荒々しいデルナクコチヤ』
南国風の顔立ちをほころばせ、荷物をまとめ終わって、タナさんは微笑んで、英語で話しはじめた。
“ちゃんと、てがみはむかしもふたりかぞくでよんだ。はたなかさんの書き起こしよんで、それわかった。よかった。それでは、またあした。わたしのえんそうをきいてね”
“はい、ありがとうございました。楽しみにしています”
美代子が案内して、タナさんは研究所の前に時間通りに待っていた人力車に乗る。研究室に戻ると、凪見小路は美代子にふわりと微笑んだ。
「充実した報告……論文が書けそうだな。解読不能に思えた古文書を一次史料として活用できた成果と、他の史料と関連付け再現して立証した学術的な発見への評価は確実だと思う。通俗小説の題材にもできるんじゃないかな」
「嬉しそうね」
「そりゃね。ま、楽しむだけではなくしっかり成果を出すよ。今日の報告書は私が草案を書くので、あとでチェックして整えてくれ。他にも畑中さんに作ってもらいたい追加の書類がある。よろしく」
「はい」
美代子は思う。
強い日差しが照りつける中、小舟に乗った漕ぎ手が、筏に乗せた石を守りながら、故郷の島に向かって舟を濃く。その途中の海で小さな小舟に乗ったひとが待っている。漕ぎ手が持ってくるふたりの手紙を一緒に読むために、助けあって、ずっと一緒にいるために、一生を捧げるために、待っている。
弾いただけで壊れそうな脆い見かけの木の楽器は、そんなずっと続く手紙たちの物語を語るように、明日、再び響くのだろう。
(おわり)
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
いつか続きが書けたら良いなと思っています。
しばらくは下記長編に集中する予定です。明日の朝7時と夜7時更新し、以後朝7時毎日更新予定です。良かったら読んでみてください。
https://ncode.syosetu.com/n1100ih/
わきまえ女子大生戦士は同級生勇者とかぼちゃを食べる
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今日はまだ評価する気にならないとしても、また読みに来てくれるとうれしいです。よろしくお願いいたします。評価してもらえる物語を目指して書きたい。
また、他の小説も書いています。よろしければ、覗いてみてください。
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