第三話 帝都のミルクホールから~働くふたり
誤字を見つけたので、直しました。ついでに少し文章も。2023-07-04
美代子は女学校の教員になった。私立の女学校で、美代子の音楽教師としての才能と、外国語力が教師として活かされ、かなり良い給料。非常にありがたかった。
勤勉で可愛い教え子に恵まれた幸せは仕事の喜びだった。一方で、心に灯ったままの研究への情熱に水と泥をかぶせ押しつぶし消すような、雑務としがらみの重圧は美代子を疲弊させた。喜びと重圧、ふたつが日々せめぎ合ううち、いつのまにか美代子は30歳に近づいていた。
せめぎ合いの中でも、研究とそのための訓練は続けていた。捧げると決めたのだから、続ける。
◆───────────────◆
凪見小路は出身大学の講師となり、西の大陸に所在する大学に留学し、この分野で世界的権威の研究者の助手を務めたあと、今は帝都の考古学研究所に出向している。その研究所の所員たちは国内外の著名な賞を多く受賞しており、多くの業績を上げている。
◆───────────────◆
その考古学研究所に「北の大帝国由来のぐしゃぐしゃっと入っていた朽ちかけの紙の束」が持ち込まれた。古文書の保存状態は非常に悪く、解読は難航していた。
専門外の分野のこの古文書を凪見小路が精査する機会があったのは、この研究所ではよくある、破天荒な判断がきっかけだった。
――虫食いやシミだらけの紙ゴミを若手の天才にじっくり見せれば、奇跡が起きるかもしれない。彼の専門は北の大帝国とは全く関係ない分野らしいけれど、まあいいや。
こんなことを考える学者は、まともではない。あやしい。
そして、奇跡は起きた。
デルナクコチヤという単語が記された合奏曲の譜面が、西の大陸の音楽史資料館に保管されていた。いろいろな楽器で奏でてみても、大して面白味のない曲。
鬼神のような速さでいろいろなデータを漁り記憶に叩き込む凪見小路は、留学中たまたまその楽譜の記録に目を通したことがあり、この単語を覚えていた。
「デルナクコチヤという単語が読み取れます。私の留学報告書S4498ファイル172-4楽譜に関連している可能性があり、私の研究分野です」
凪見小路はこの古文書研究の主任となることを希望した。
◆───────────────◆
他の研究所であれば、このような場合、大量の稟議書が作成され差し戻され修正され、ドロドロしたパワーゲームと嫉妬からの足の引っ張りあいが続く。その果てに出る決定までに長い時間が費やされただろう。しかし、たまたま帝国考古学研究所はそんな無駄なことはしない奇跡の「まともではない」組織だった。笑顔の現担当者が素早く自分の上司に掛け合い、凪見小路の上司に協力を快く了解させた。彼も「まともではない」優れた上司だった。
調整は、凪見小路を考古学研究所に出向させ、音楽史研究室を創設することだけではなかった。新たに古文書解読の助手を雇用することも含まれた。
◆───────────────◆
ミルクホールの卓は傷だらけだった。そのうえに凪見小路はコーヒーの入った茶碗を置いた。
「奨学金は返せた?」
「あと十年」
「今回の助手のオファーには、支度金もつけてもらうことになっている。全額返済できるはずだ」
◆───────────────◆
凪見小路から美代子は施しを受けるつもりはない。それを美代子も凪見小路もよくわかっていた。修了時、共同研究を続けるためには、大学に残る者が施しをするような申し出をして、大学を去るがそれを受けるしか方法がなかった。
どちらも、そのことを口に出さず、新たな生活を始めた。
教師の安定した収入は美代子がどうしても必要としている、不可欠な拠り所だった。美代子は誇りを捨てず自立できた。弟が夜学で電気関係の仕事を学ぶ援助ができた。平凡な商家である生家に迷惑をかけず自立して生きられた。どうしても必要な支えだった。
それを理解したうえで、凪見小路はさまざまなことを整えてくれた。
「畑中さん、私と一緒に解読の仕事をやってくれ。私も他の誰にも負けないくらい古文書を読み解く自信があるが、畑中さんはその私より遥かに解読に長けている」
凪見小路は真剣な目を畑中に向けた。卓の上に置いた手の指がぐっと組み合わされ、見るだけで痛い。
「調整や交渉も私の意を汲んでくれて、必要なら効率向上を提案できる。今回の古文書の件は私たちにとって、とても大切な案件になる。お願いだ、名目は助手として、しかし実際は対等な同僚として研究に参加してほしい」
◆───────────────◆
その後、美代子は研究所の試験と健康検査を受けた。試験問題は難易度が高かった。美代子の優秀な教え子が研究所の事務職入所試験に落ちた報告を以前もらったが、この内容に近い試験であれば無理もないと思った。
数日後、合格通知が届いた。美代子の人生を研究だけに捧げる毎日が再び始まった。
◆───────────────◆
初日、一張羅を着て出勤した美代子に上司が渡した「備品」があった。白衣とワンピースだ。色とりどりの六枚のワンピース。幾何学模様、花柄、ストライプ、水玉模様。
「最初の業務命令をいたします。良い仕事をしてください。対外的にも、所内でも、私のアシスタントとしても、ひとりの自立した研究者としても。そのための鎧をまとってください」
――本当は、お恵みはイヤと断りたかった。でも、他の所員に混ざって立ち働いて違和感がない服装は、まさにこういう鎧だ。
所内を少し歩いただけで、美代子はそのことに気づいていた。我は通し続けるべきではないときがある。今はそのときだ。
「はい」
美代子は上司にうなずいた。ふたりの共同作業の始まりだった。
西大陸風デザインのワンピースは、どれも美代子によく似合っていた。
次、第四話 手紙の歌。第一章最終話で、いちど完結します。
評価をいただいたり、作品や作者をブックマークいただいたりすると、励みになります。
今日はまだ評価する気にならないとしても、また読みに来てくれるとうれしいです。よろしくお願いいたします。評価してもらえる物語を目指して書きたい。
また、他の小説も書いています。よろしければ、覗いてみてください。
https://ncode.syosetu.com/n1100ih/
わきまえ女子大生戦士は同級生勇者とかぼちゃを食べる
短編
https://ncode.syosetu.com/n3625ih/
溺愛体質女子大生は、親友の恋を応援しつつ、ダーリンを褒め続け、22世紀まで添い遂げる
絵で気持ちを伝えるサービスWaveboxを使っています。よかったらどうぞ。下のバナーからリンクしています。
https://wavebox.me/wave/dxq30tmmmaq4bnxc/