第二話 帝都のミルクホールから~学生時代のふたり
「まともではないんだよ、あやしい。で、そのあやしい研究所で助手として働いてほしい」
1年前のその日、古めかしいミルクホールで最近供されるようになったコーヒーの入った茶碗の向こうで、凪見小路は一重瞼の目を細めて笑った。新大陸の茶店の内装を真似て、明治時代に開店したこのミルクホール。木張りの壁の店内には、最近増えたモダンな喫茶店の台頭に取り残されたような風情があった。そのぶん、客は少なくて話しやすい。
ホットミルクの茶碗を両手で抱えた美代子は、最近断髪した前髪の下から困惑した思いを込めた眼差しで学生時代の友人を見た。凪見小路が留学したあと会っていないから、5年ぶりだろうか。
凪見小路と比べ、美代子は薄めの顔立ちだが、二重瞼の目は彼より少し大きい。日本人形のような顔立ちとよく言われる。癖のない艶やかな黒髪は洋風に切り揃えた肩ギリギリのモガ風おかっぱにしているが、未だ和装のままだ。紺の袴に同系色の地味な着物を着た。麻の葉模様の絹織物で、いちおう一張羅である。学校の式典の教員感が溢れているが、その通りの用途にしか使っていないが、一張羅である。
向かいに座った濃い顔でまつ毛が長い男がスーツの下に着ている白いシャツ。海老茶色系統の絹の地に白っぽい細かな模様の入ったネクタイ。そのシャツの木綿生地は驚くほど張りがある。職人が糊付けしてコテを丁寧に当てたのだろう。西の大陸で流行りと先日新大陸土産にもらった雑誌で読んだまさにその形のスーツ。灰色の毛織り生地に細やかな綾織りが珍しく美しい。テイラーが凪見小路の長身の体型にぴったりに仕立てて、ひょろっと細い身体にもそれなりに貫禄を感じさせる巧みなデザインだ。
しかし、相変わらず研究に我を忘れているのだろう。随所に残念なシミがついている。
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凪見小路の優秀さは桁違いだった。そのことは大学に入学した頃から噂に聞いていた。
凪見小路は代々学問所の重鎮として務めた公家華族の姓だ。凪見小路通麿はその家の次男に生まれ、飛び級で帝国大学に入学し、医学と法学の学士号を取得したあと、美代子と同じ文学部比較文化学科音楽学専攻に編入してきた。そのとき、同い年の美代子は学部三年だった。
飄々として、物腰はヘラヘラと柔らか。しかし尊大でガサツ。しかし圧倒的な能力で許される。実際に会うと、噂以上に怪物だった。
しかし、美代子にはそんな彼になつかれ、礼儀正しくではあったが、付きまとわれた。平凡な商家に生まれ、成績優秀とはいえ、特に際立った実績を上げていない庶民の同級生に怪物が興味を持つ。ありえない。
でも、あったのだ。
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小学校尋常科の頃から常に成績最上位だった美代子は、語学の天才と言われていた。尋常科時代の綴り方、手習いのとき手解きを受けた漢文、女学校の外国語、大学に入ってからは現代から中世の多くの言語を習得しており、劣化してボロボロになった古文書を読み解く技術とセンスは誰よりも優れていた。また、教授に翻訳の手伝いを依頼されたことがきっかけで音楽史に興味を持って、三年生からの専攻に選んでいた。
しばらく近くで美代子の研究状況を観察していた怪物だった。やがて自分の研究の一部について簡潔に完璧な説明をしたうえで、美代子に読み解きについていくつか助言を求めてきた。非常に興味深い内容で、美代子は自分の時間をやりくりして、時間を作って、じっくり凪見小路と議論した。
最初、「凪見小路さま」と呼びかけ、やめてくれと言われ、「凪見小路さん」と呼んだ。凪見小路は美代子を「畑中さん」と呼んだ。
やがてふたりはいつも一緒にいるようになった。公的な研究の時間のみ限定であったが。私的なことはお互い何も知らない。
食べ物はいつも学食の昼A定食(ごはん大盛り)だった。年中無休で費用対効果が良いのだ。朝晩は食べない。研究作業の合間に肩を並べて飲むお茶は寮で水筒に詰めてくる。そこも気が合った。
「この分野の研究に一生を捧げたい」
そう言い切る彼はふだんのヘラヘラした振る舞いの怪物姿が嘘のようだった。
天上人のような鼻持ちならない嫌な奴。
しかし、専門分野に向ける熱い気持ちと、お互い足りないところを補い合い研究するときの相性の良さはそんな気持ちを忘れさせた。
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修士・博士課程を修了後、二人の道は分かれた。
次は、第三話 帝都のミルクホールから~働くふたり
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