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8.ずっと、このお菓子を食べたかったんだ。

「……ちょっと待って。お菓子?」


 メリサリアの耳がぴくぴくと二度ほど動いた。


「え、もしかして、王室御用達? すごくすごく美味しいやつ?」


「う、うん。そうだけれど、もしかして興味がある?」


「ま、まあ、ないわけじゃないけれど」


 そういいながら、メリサリアは興味深そうにそのクッキーをじっと凝視した。


 ほとんど、エサのまえで「おあずけ」を喰わされた犬のように、よだれを垂らさんばかりの顔つきである。つい最善までの、子供ながら、神聖な気配をただよわせていた彼女と同じ人物とは思われない。


 クオリンドはひょっとしたら、と思った。このエサで釣れるんじゃないだろうか。


「ね、あげようか?」


 かれがその菓子を差し出すと、間髪を入れず、メリサリアは食いついた。


「いいのっ?」


「い、いいよ。どうか食べて」


「ありがとう! ああ、これが、夢にまで見た王室御用達。まさかあの頃ですら食べたことがないものを、いまになって食べられるなんて――ああ、でも、ここじゃ場所が良くないわ。ちょっと離れましょう。そう、いっしょに森の奥に来て――はい、いただきます!」


「うん。どうぞ」


 メリサリアは白い袋に包まれた菓子にそうっと手をのばすと、そのなかのひとかけらを手に取り、ゆっくりと口のなかに放り込んだ。


 もぐもぐと噛みしめ、感動を味わうように目を閉じる。次に目をひらいたとき、それはほとんど潤んでいた。


「美味しい……。これ、美味しいよ、クオリンド!」


「そ、そう。それは良かった。もし良かったら、のこりもあげるけれど?」


「ほんと!? もらうもらう。ありがとう!」


 メリサリアはあたかもだれかに奪われでもするかのようにクオリンドからその袋をひったくって、一枚一枚、音楽家が新曲に耳を澄ませるかのような真摯さで食べていった。


 この時代、たしかにこのような高価な菓子はなかなか庶民の口に入るものではないが、それにしても、ここまで真剣に食べる者もやはりまれなのではないかと思われるほどだった。


 すべて食べ終えると、彼女はこぶしを固く握りしめ突きだした。


「ああ、美味しかった。さすがロイヤルブランド! いままでずっと食べてみたかったんだあ。こんな美味しいものをただでくれるなんて、あなた、いい子だねえ、クオリンド。わたしに何かお礼ができれば良いんだけれど――」


「うん。それなんだけれど」


「あ」


 メリサリアはこのとき、ようやくクオリンドの意図に気づいたように、苦々しい顔になった。


「だ、ダメだよ! クオリンド、あなたのお母さんのことはお気の毒だけれど、聖女の力を使って病気を治したりしたら、わたしの存在をふれまわるようなものだ。わたしが聖女だってみんなにバレちゃう。もしそうなったら――」


「そうなったら?」


「うーん。いや、まあ、良いんだけれど、でも――」


「頼むよ、メリサリア!」


 クオリンドはメリサリアのちいさなてのひらをぎゅっと握ると、その顔を思い切り至近距離でのぞき込んだ。


「お母さまは不治といわれる病でもう何年も臥せっているんだ。幾人も医師や神官や祈祷師がやって来て秘術を尽くしたけれど、どうしても治らない。もう、これ以上は聖女の力に頼るしかないっていわれているんだ。でも、きみも知っての通り、いま、この国には聖女がいない。いや、いなかったんだ。だからぼくはあきらめるつもりだった。でも、きみならお母さまを助けられるはずだ! お願いだ。きみの正体を隠すことには協力すると誓うよ。王室のお菓子だって、いくらでもあげる。だから、どうか、どうかお母さまを――」


「ち、近いって!」


 メリサリアは両手でクオリンドのからだを押し返した。何やら頬を紅潮させ、視線を下げて、ぶつぶつと小声でひとりごとを呟く。


「ちょっと美形は自分の顔の威力を自覚してほしいなあ。いくら子供だからって、こっちも女の子なんだよ? 前世のケイリンネは美女だったけれど、まるで男っ気がないうちに死んじゃったし――」


「え、何?」


「何でもないよ!」


 メリサリアは大きくひとつ咳払いした。


「わかったよ、しかたない。あなたのお母さんの病気を治せるかどうかはわからないけれど、できるだけの協力はするよ。でも、わたしの正体が発覚しないよう協力してもらう件は忘れないでね?」


「もちろんだよ!」


 クオリンドはあいてが痛そうな顔をしたのにも気づかず、力を込めてメリサリアの手を握り締めた。


「ええっと、それから、王室御用達のお菓子! これも、クッキーだけじゃなくて、ケーキとか、シュークリームとか、いっぱいもらうから。絶対に約束だよ? もし忘れたら呪っちゃうからね? あなたには聖女に呪われて死亡した歴史上初の人間になってもらうんだからね?」


「わかった。絶対に忘れないから、大丈夫」


「はあ、しかたないなあ。あんなにひどく裏切られたっていうのに、わたしのお人好しは治らないんだなあ。ほんと、わたしって、どうしようもないバカ。そう、たかがお菓子なんかで――いや、でもお菓子は大切だよね。そう、わたし、きっと、ずっとこのお菓子を食べたかったんだと思う」


 そう呟いたメリサリアの横顔はほほ笑んでいるのになぜかひどく切なげで、クオリンドはわけもわからず胸がいっぱいになった。


「わ、待って、クオリンド、抱きつかないで!」


 だから、かれはメリサリアの言葉を無視して彼女に抱きつき、そのちいさな肢体をぐるぐると振りまわした。その横で、レオリックが楽しそうに大きく吠える。


 そして、また、どこからか、王子を探す騎士たちの声が聴こえてきた。おそらく、護衛の騎士のうちのだれかが連絡を届けたのかもしれなかった。


 それが、おおよそ十数年まえのことである。

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