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6.あなたも忘れなさい。

「は、はあ」


 子供はクオリンドから視線を逸らし、そっぽを向いた。


「何のことかなあ。まったくわからないなあ」


「――きみ、力はすごいけれど、とぼけるのはヘタだね」


 クオリンドはちょっと呆れて、その場に立ち上がった。


「まあ、とりあえず、名前を教えてよ。それから、ぼくといっしょについて来て。いや、そのまえにぼくのほうが名乗らないといけないね。ぼくはクオリンド。シークラーンの第三王子。ぼくのいのちを助けたと知ったらぼくの家臣たちは喜ぶだろう。だから、きみが望むものなら何だってあげられるよ」


「クオリンド」


 ちいさなあごに指さきをあてて何やら考え込むようだった。


「この国の第三王子。なるほど、それで……いや、でも……そうはいってもわたしは……」


「何をごちゃごちゃいっているの? ぼくは名乗ったよ。きみの名前を教えてよ、おちびさん」


「おちび」


 子供はカチンと来た様子で片目を釣り上げた。


「あのね、たしかにいまのからだはちいさいけれど、すぐに大きくなるし、それに元々はそれはそれはすらりとした美女だったんだからね。人呼んで傾国の美貌のケイ――」


 そこまでいって、子供はなぜか急に黙り込んだ。クオリンドはちょっと吹きだした。


「何それ。その歳で昔は美人だったなんて、苦しいいいわけにも程がある。良いから、名前を教えてよ。ケイ何とかなのかな?」


「メリサリア」


 子供は早口で答えた。


「メリサリア・ロンドよ。ケイどうこうなんて人、知らない。あなたも忘れなさい」


「はいはい、メリサリアね。じゃ、そのメリサリアはどうしてこんな森のなかにいるの?」


「この子が血のにおいを嗅ぎ取ったのよ」


 と、メリサリアは傍らの〈猟犬〉の頭を撫ぜた。しかし、その生き物は見れば見るほど犬とはかけ離れて見えた。


 たとえば馬とユニコーンがまったくべつの生き物であるように、言葉では表現し切れない気品と風格とが、おのずから異なっているのだった。


 そのつぶらな美しいひとみには、あきらかに歳を経た賢者めいた知性がそなわっている。そして、その体毛のつやは、ほとんど木漏れ日をまぶしいほどにはじくようだった。


「まさか、幻獣――?」


 クオリンドが呟くと、メリサリアはあっさりとうなずいた。


「フェンリルの子供よ。まだいまはちいさいから問題ないけれど、そのうち牛や馬より大きくなるんだって。そうなったら、ちょっと人前には連れて行けないかもね。ほら、人間って自分たちより強いものを過剰に恐れたりするものでしょう?」


「フェンリル」


 クオリンドは硬直した。


 フェンリルといえば、犬とも狼とも似ても似つかない伝説の幻獣だ。その力は並大抵の人間の及ぶところではなく、ときに吹雪を巻き起こし、一匹で騎士団すら壊滅させることがあるともいう。


 もちろん、ふつうの人間が飼い馴らせるような生き物ではない。そのフェンリルが、こんな小柄な子供に馴れているなんて――。


「大丈夫」


 メリサリアはくすりと笑った。


「レオリックはわたしのお友達だから。生まれたときから知っているの。言葉こそ話せないけれど、わたしのいうことはみんなわかっているし、決して嚙みついたりしないわ。安心して」


「レオリック、か」


 クオリンドがそうっと手をのばすと、〈レオリック〉はその指さきをぺろりと舐めた。思わず指をひっ込めてしまったが、かれはまったく気にしない様子で、愛想よくクオリンドの胸に顔をこすりつけてきた。そうすると、もともと気品あふれる容姿だけに、とても可愛い。


「よ、よろしく、レオリック。そうか、聖女さまは高位の幻獣や魔獣とも仲良くなる力があるって聞いたことがある。こういうことなんだね。ねえ、メリサリア。きみはやっぱり聖女なんだろ? ぼくといっしょに来て、ぼくのお母さまの病気を治してよ。もちろん、一回ですぐに直すのはいくら聖女でも無理かもしれないけれど、きみの力ならお母さまの不治の難病だってどうにかできると思うんだ」


 メリサリアは露骨に視線を逸らした。


「さ、さあ、何のことやら。聖女ってだれのこと? わたしはどこにでもいるふつうの女の子メリサリアだけれど?」


「どこのふつうの女の子がフェンリルを連れて森を歩いているのさ。だいたい――いや、そ、そうだ! それより、ぼくの護衛の騎士たちが戦っているんだ。助けに戻らないと!」


 クオリンドが叫んで振り返ろうとすると、メリサリアは哀しげな目つきでかれの衣服のすそをつかみ、止めた。


「残念だけれど、そちらは、もう――」


「え?」


「この子がいっている。生きている人間の気配がしないって」


「そんな」


 クオリンドはその場に力なくくずおれた。その澄んだ空の色をしたひとみから幾つぶも涙をこぼし、何度も思い切り拳を地面に叩きつける。


「ぼくのせいだ! ぼくがお母さまに逢いたいなんていったから、こんなことに!」


「あなたのせいじゃない」


 メリサリアは、そのちいさなからだで自分より年上のクオリンドを包み込むように抱き締めた。

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