22.たしかに見覚えがある。
その黄金の眸を殺意で火のように爛々と燃え立たせ、〈ハイ・グリフォン〉は騎士団のまえに立ちふさがった。
魔獣ならず幻獣であるこの高位のグリフォンは本来、その性、温和で平和を尊ぶ生きものであるという。
しかし、いま、かれはその話が信じられなくなるほど激しい敵意を昂らせ、禍々しいまでの凶気を纏って見えた。
騎士たちのだれもが体毛が逆立つほどにその圧力を感じたことであろう。オリアネが苦しそうに顔を顰める。メリサリアもまた、その場に倒れ込みそうになった。
ユリッサが、静かに彼女を守る位置に着く。
さすが選び抜かれた騎士たちはひとりとしてこの死の獣から目を逸らしもしなかった。全員が静かに剣と槍をかまえる。
やはり王家伝来の名剣を抜き放ったクオリンドが、囁くように呟いた。
「幻獣セヴェリンド、三つの村を襲い、四十名を超える人間を殺戮したと聴き及んでいる。なぜ、そう猛る? おまえはほんとうなら人を害さない穏やかな生き物であるはずだ。あるいは何者かに使嗾されているのか? だが、どのような事情があるにしろ、人の命を奪った以上、このまま捨ておくわけにはいかない。悪いが、その命、奪わせてもらおう――」
かれの剣先が、静かに、ゆっくりと〈ハイ・グリフォン〉のほうを向いた。
セヴェリンドは両腕を高く上げ、甲高く咆哮した。人の心をくじくほどの凄絶な鬼気に充ちた叫び声であった。
が、むろん、騎士たちのだれひとりとして怯えはしない。かれらはクオリンドとユリッサによって選び抜かれた人材たちであった。オリアネも、顔色を蒼白にしながらどうにか立っていた。
メリサリアは意思を集中し、結界を拡げた。〈ハイ・グリフォン〉の爪と牙をまえに、どれほどの効果があるものなのかわからないが、少しは役に立つのではないか。その少しが、生死を分けることもある。
「行くぞ!」
クオリンドの叫びとともに、死闘が始まった。
◆◇◆
〈ハイ・グリフォン〉セヴェリンドが禽の翼をはためかせ騎士たちに襲い掛かる。
騎士たちもまた、果敢にこの幻獣に立ち向かった。かれらのひとりひとりがひと廉の剣士であり、怖れを知らない勇者である。人の手に負えないとされる幻獣をまえに、まったく怯む様子を見せない。
あるいはもし敵が人間であったなら、その勇気と統率に感嘆したかもしれない。
だが、かれらが対しているものは人ではなく、獣、それも人知を超越した魔法の生きものであった。
セヴェリンドはまるで怖れることなく爪を振るった。それが空振りしたのは、半ばは偶然であったことだろう。
ユリッサの剣がその膚を切り裂いた。赤黒い血がどうっと吹き出る。それでも、セヴェリンドは苦痛の気配を見せなかった。高らかに叫びながら襲来するその猛威はまさに圧巻だった。
かれのからだに長槍を突き立てようとしたひとりの騎士が、セヴェリンドの爪にはじき飛ばされ、宙を舞った。
文字通り、空中を飛んだのだ。かれが地面に墜ちるところはなぜかむしろ緩慢にすら見えた。
メリサリアは悲鳴をこらえた。一面の枯れ葉のうえに倒れた騎士の頸は、ありえない方向に折れていた。即死であることはひと目でわかった。
それでも、彼女は一瞬の躊躇もなくかれに近寄っていった。間に合え。間に合え。間に合え!
意識を集中し、てのひらに力を込める。聖女の癒やしの力がそこからほとばしり、この勇敢な男を救うように。
しかし、やはり間に合わなかった。力がかれの肉体に伝わっていく感覚がない。それはただ虚しく空中に飛散するばかりであった。
思わず、涙が浮かんで来る。この騎士とは旅のさなか、わずかに言葉を交わす機会があった。可愛い恋人がいるのだといっていた。
だから、生きて帰らなければならない、よろしくお願いしますと朴訥に頭を下げていた。必ず助けようと思っていた。それなのに、助けられなかった。
メリサリアはセヴェリンドを睨んだ。かれは目の前で次々と騎士たちを吹き飛ばしていた。それぞれに一騎当千であるはずの勇者たちがまるで紙の人形のようだった。
そのあいだにも騎士の剣さきがかれのからだを斬り裂き、また槍が突き立つ。
尋常の獣であったなら、その場に斃れるか、少なくとも動きを鈍らせるところであっただろう。だが、この猛り狂った幻獣は、一切、苦痛を感じている様子を見せなかった。
ありえないことだ。たとえ幻獣であっても生きものは生きもの。傷つけれれば苦悶するのが当然である。それなのに、〈ハイ・グリフォン〉はまるで自分が傷を負っていることにすら気づいていないように思われた。
メリサリアは次々と負傷した騎士たちに駈け寄り、その傷を癒やしながら、何かがおかしい、と感じていた。あの獣は通常の状態ではない。痛みすら感じることがないほど狂っている。
そして、何より。
わたしはこの〈ハイ・グリフォン〉を知っている。
そう思った。たしかに見覚えがある。あるはずのない記憶が刺激され、異様なことにほとんど親しみすら感じた。
ひとつ、思い当たることがあった。もしかしたら――いや、そんな。まさか。そんなことがあるはずがない。あれから百年以上も経っているのだ。
まして、ほんとうにかれであるのなら、暴れて人を害したりするはずがない。かれは、並大抵の人よりもっと優しい、暖かな心のもち主だったのだから。
しかし、気づくと、メリサリアは思わずその名を叫んでいた。
「ゲルジェリウス!」




