20.わたしの娘!
メリサリアはユリッサたちと別れたあと、クオリンドに誘われてかれの母と逢うこととなった。
本来なら、市井の一庶民が簡単に逢ったりできる身分の人ではない。王子であるクオリンドの母といえば、即ち王妃である。ふつうであれば、たとえ彼女本人が望んだとしても、厄介なしきたりがいくつも立ちはだかることとなるところだろう。
しかし、メリサリアは特別だった。彼女は王妃がからだを壊し、離宮に暮らしていた頃から幾たびとなく逢っており、正式に「王妃の友人」として認められていたのである。
王妃の周囲の人間も彼女のことをよく知っている。ましてクオリンドがいっしょなら、謁見に何の問題もなかった。
「メリサリア! わたしの娘!」
メリサリアが深々と一礼して入室すると、クィジニー・シークラーン王妃は、右の礼法と左の常識の双方を軽々と無視して、力強く彼女を抱き締めた。
豊かな銀髪と赤いくちびるが印象的で、いまはからだの線が浮き出る蒼いドレスを纏った壮絶な美女である。いつものことだが、三人の子供の母とも思えないほど若く見える。
「なぜ一年も顔を見せてくれなかったの。寂しかったんだから」
そういって愛しげに頬ずりしつづける。
あっさりと無視されたことに気づいた礼法が「もしもし、ちょっと大胆すぎませんか?」と訊ね、常識が「あなたは王妃なんですよ。しかもその子はあなたの娘ではありません」と忠告したようにも思えたが、まったく取りあう様子はなかった。
礼法も常識も、奔放なクィジニーにとってはたいして重要なものではなかったのである。
しかし、彼女に比べるとずっと常識的な小市民であるに過ぎないメリサリアはからだをひねって抱擁から逃れようとした。
「王妃さま、お許しください」
「だめ。許さない。なるべくひんぱんに王宮を訪れるよういってあるのに、まるで顔を見せに来ないんだから。何て親不孝な娘なのかしら」
「い、いえ、娘ではありません」
「そうね。でも、同じことよ。あなたがクオリンドと結婚すれば娘になるんだから。何のために三人も図体の大きい息子を産んだと思っているの。可愛い女の子と結婚してもらうためなのよ」
「母上!」
クオリンドが大声で割って入った。
「あら、照れなくても良いじゃない。わたしはね、娘が欲しかったの。まあ、後継ぎとして男の子は必要だったけれど、まさか三人も男の子が続くなんてね。でも、最後の子がメリサリアを連れて来てくれたからまったく問題なし! でかした、息子よ。苦労して一人前に育てた甲斐があったわ」
「母上……」
クオリンドはがっくりとうな垂れた。
クィジニーは息子のその様子を気にすることなく、その隙にそっと逃げようとしたメリサリアの肌をたっぷり堪能してから、ようやくからだを離した。
「さて、と。今日は時間があるんでしょう? いっしょに食事でもどう?」
「いえ、あしたの出立の準備がありまして、あまり余裕は――」
「何よ、つまらない。この世に実のお母さんより大切なものがあるとでも思っているの!?」
メリサリアは吹き出した。
「王妃さま、そのくらいにしてあげてください。クオリンドが萎れちゃいます」
「そう?」
王妃は二、三度、息子と同じ色合いをした目をまたたいた。
「まあ、しかたない。忙しいのに顔を見せてくれただけで許してやることにするか。せめてお茶でも飲んで行きなさい。それくらいは良いでしょう?」
「もちろんです」
メリサリアは、この王妃に逢うたびに、圧倒されるものを感じる。クオリンドから病弱な母と聴いていたのに、じっさいに逢った彼女はこの通り、力強く、延々と喋りつづける魅力的な女性だった。
長い時をかけてこの人の病を癒やし、いのちを救えたことを、メリサリアはいまでも誇りに思っている。あのとき、クオリンドの願いを叶えたことは正しかった。
もっとも、クオリンドと自分を過度に結びつけようとして来ることには困ってしまうけれど。クオリンドはこう見えて大国の王子なのだ。自分のような一般市民の娘をあいてにしてくれるはずがない。
べつだん、差別ではない。社会の仕組みであるに過ぎない。あるいは、クィジニーもそのことがわかった上でからかっているだけなのかもしれないが……。
いずれにしろ、彼女が自分をほんとうの娘のように可愛がってくれていることは事実だ。〈ハイ・グリフォン〉のセヴェリンドを始末したあとは必ずまた逢いに来よう。
そう思った。
この後、クオリンドとメリサリアのふたりは散々、クィジニーにからかわれて遊ばれた。幼い頃に母を亡くしているメリサリアは、こんな人がほんとうにお母さんだったら良かったな、と内心で考えた。
クィジニーが「わたしの娘」というたび、クオリンドがちらちらと彼女のほうを見て、反応をたしかめているらしいことには、まったく気づくことはなかった。




