18.人と獣と。
「それはともかく」
ユリッサが話を換えた。
「〈ハイ・グリフォン〉について話をしなければなりません。メリサリアさま、幻獣についてどのくらいご存知ですか」
「――さほどは」
嘘だ。
メリサリアは聖女として教育を受けたケイリンネの記憶を継いでいる。また、じっさいに生きた幻獣であるフェンリルを飼ってすらいる。その知識は学者でもない市井の人間にしては抜きん出ているといって良いだろう。
しかし、そのことを話せば、自分の身の上についてよりくわしいことも話さなければならなくなる。だから、嘘を吐くしかなかった。
あるいは、ユリッサは見抜いたかもしれない。しかし、何かを察したものか、それ以上は問い質さなかった。
ひとつうなずき、説明を始める。
「幻獣や魔獣とは、この世のものではない性質をもつ生きもののことです。ほんとうは幻獣も魔獣も同じものなのかもしれませんが、人に害を為すものを魔獣と呼び、為さないものを幻獣と呼びます。人間の都合ですね。幻獣にしろ魔獣にしろ、じつに不思議な――一切の摂理が通用しない魔法の存在です。わたしは生きものといいましたが、通常の野獣や家畜とはまったく違う。かれらは炎を吐き、空を翔け、ときに大嵐をも巻き起こします。この世界の物理には従わない、といって良いでしょう。人間にも団長のようにある程度の魔術を使う者はいますが、幻獣や魔獣の力はそれを大きく凌ぎます。人の手でこれを討つことは至難といって良いでしょう」
ちいさく吐息した。
じっさい、そうなのだ。幻獣であれ魔獣であれ、本来なら人の手に負える存在ではないのかもしれない。
ときにこれらの生きものが討たれ、あるいは捕らえられると、学者たちが解剖して調べることになるのだが、その肉体のどこにも炎を吐いたり、天空を飛翔するような器官は見つからないという。
すべては、ありとあらゆる地上の摂理を無視した神秘の、魔法の領域に属することなのだ。
まして、そのなかでも災厄級といわれるこの世界で最強の生きものたちを討つことはかぎりなくむずかしい。
しかし、それは同時に、不可能ではないことをも意味する。人には人の知恵があり、武器がある。
ひとりでは敵わなくても、騎士団は組織だって戦うことができる。また、人の中には魔術をもちい、秘法を操る者も、少なくはあるが、いないわけではない。
だから、魔獣や幻獣の討伐は可能だし、現実に行われてもきた――多くの犠牲を払いながら。
ときに、最も危険な幻獣や魔獣に対し冠せられる〈災厄級〉との称号は、決して大袈裟ではない。じっさいに、かれらは天災としか表現しようのない惨禍を人里にもたらす。
古代には、一匹のドラゴンの飛来によって繁栄の絶頂から滅亡へ直下した王朝すらあったという。
人が営々と築き上げたものなど、かれら神秘の生きものたちにはとくだん価値をもつはずもないのだ。
そして、〈ハイ・グリフォン〉と呼ばれる翼をもつ獅子に似た生きものもまた、そのような災厄級の幻獣のひとつに数えられている。
「しかし、それならおかしいですね」
メリサリアは首をかしげた。
「人に害を為す魔法の生きものを魔獣と呼び、害を為さないものを幻獣と呼ぶ。それなら、幻獣である〈ハイ・グリフォン〉は人に害を為さないはず。なぜ、討伐しなければならないという話になったのですか」
「そこです」
クオリンドが話をひき取った。
「ここ一か月で〈ハイ・グリフォン〉は三度目撃され、それぞれ、膨大な惨禍を出しています。まちがいなく同じ個体でしょう。しかし、〈ハイ・グリフォン〉はときとして人里にあらわれることはあっても、人に害を為すことはないはずなのです。ところが、それが、じっさいに人を殺め、作物を荒らしている。何かがおかしい」
「何か。何でしょう」
ユリッサは顎に指をあて考え込む様子だった。
「幻獣といい、魔獣という。あいまいな区分ではあります。歴史上、それまで高貴な幻獣と見られていた生きものが何らかの意図で人里を滅ぼした例もないではない。しかし、今回はやはり何かがおかしい。わたしには何か、としかいいようがありませんが、どこか異常を感じます」
何か、温厚な〈ハイ・グリフォン〉を狂わせているものがあるのだ。
それが、人の意思なのか、自然の現象なのか、あるいは他のことなのか、それはわからない。いずれにしても、その〈ハイ・グリフォン〉が幾多のシークラーンの民を傷つけ、殺め、里を荒らしたことは事実だ。したがって、これを排除しなければならない。
「凶猛な魔獣とは異なり、ほとんどの幻獣は聡明で温和だといいます。しかし、人と幻獣はいつも共存できるわけではない。ときにいのちをかけ、争わなければならないこともある。その〈ハイ・グリフォン〉にどのような事情があるにせよ、いまがそのときなのでしょう」
メリサリアはうなずいた。
人と獣と。
もし相容れぬ宿命があるのだとすれば、彼女は人に味方せざるを得ない。そこに正義があるからではない。彼女もまた人の身に過ぎないからだ。
聖女といわれる資格をもっていても、あくまで自分はひとりの、あたりまえの人間に過ぎない。彼女はそのことをよく知っていた。