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14.ごめんね。

 いつのまにか、森に蕭々(しょうしょう)と雨が降りはじめたようだ。


挿絵(By みてみん)


 その不思議に静けさを強調する音色を亡羊(ぼうよう)と聴きながら、メリサリアはひとり、庵のなかで物憂げに想いに耽っていた。


 下着を一枚だけ纏っていたとはいえ、クオリンドに乳房や尻まで見られてしまったことは彼女につよい羞恥心を感じさせた。


 クオリンドは騎士道をわきまえた誠実な若者で、決して破廉恥な思いで覗きを働いたわけではないことはわかっている。しかし、まさにそうだからこそ恥ずかしくてたまらなかった。


 かれのまえでは懸命に平然を装っていたが、ほんとうはからだじゅうが沸騰する錯覚を覚えるほど狼狽していたのだ。


「ああ――」


 メリサリアは卓上に突っ伏してひとり呻いた。


「クオリンドのばか! どうしてかってに入って来ちゃうの。いくら扉を開けていたからってさあ、女の子がひとり暮らしをしている家に入っちゃだめでしょう。いつもの騎士道はどうしたんだよ。それからわたしもばか。とっさに服を拾ってかくせば良かったのに、どうして知恵が湧かなかったんだよ。クオリンドは絶対に呆れていたよ! わたしのこと、はしたない女だって思ったかなあ。思ったよね。でも、わたしが悪いわけじゃないんだけれど――」


 メリサリアは瑠璃の色の眸を涙でぬらして、深く、重いため息を吐きだした。


 すでに齢二十歳になり、この国の常識では男性に嫁いでいる歳であるにもかかわらず、彼女にはそのような少女じみたところがあり余るほどに残っていた。


 あるいは、それこそが、彼女の可憐な顔にどこか浮世離れした雰囲気をただよわせる、その秘密の正体であったのかもしれない。


 彼女はしばらくひとりでそうやってめそめそと無意味な自己憐憫にひたっていたが、やがて、何者かが扉のそとで唸っていることに気づいた。


 ぐるるるるという森の猛獣の鳴き声――しかし、その声音には聞きおぼえがあった。魔狼レオリックだ。


「あ、ごめんね」


 急いで立ち上がり、扉をひらく。外から驟雨にぬれたレオリックが入ってきた。


 かれはクオリンドとメリサリアが出逢ったあのときから十余年の歳月を経て、世にも高貴な、危険なほどに美しい生きものへと成長していた。


 フェンリルの寿命は長いため、まだ成年には達していない。とはいえ、もう、ひと目見ただけでも、かれを犬やあたりまえの狼と見紛う者はいはしないことだろう。


 その肉体はいまでは駿馬のように巨きく、また、その双の眸は燃え立つほむらを宿したように赤々と煌めいていたのだ。


 しかし、レオリックはくぅんとまだちいさい子供であるかのような鳴き声を出してメリサリアに甘え、しな垂れかかった。


 むろん、かれがほんとうに全ての体重をかけて圧し掛かれば、小柄なメリサリアは潰されてしまう。かれはただ、いつまでも母離れができない甘ったれの子供のように甘えてみせただけのことだった。


「もう、レオリックったら、甘えん坊なんだから」


 そう文句をいいつつ、悪い気持ちはしない。


 この幻想と魔性の銀狼は彼女にとってかけがえのない友人であり、いまとなっては唯一の家族でもあった。


 この森の奥でレオリックを見つけたのは、もうずっとまえ、まだ亡き父が生きていた頃のことだ。


 やはり、いまと同じようにしとしとと銀の雨が降っていたように思う。


 狩人である父に連れられ、森に出かけた幼い彼女は、怪奇で不思議な呼び声とも思える気配に曳かれて母の巨大な亡骸に抱かれたかれを発見したのだった。


 いったいなぜ、無敵のフェンリルが森に斃れることになったのかはわからない。あるいは同格の生きものと殺し合って敗れたのかもしれない。


 ともかく、レオリックは冷たくなった母のからだに必死にぬくもりを求めるようにしてうずくまっていた。


 もし、見つけたのが他の者だったなら、誇り高いかれは決して馴れようとはしなかったことだろう。


 だが、まだ言葉も拙いその頃のメリサリアには、生まれながらにしてあらゆる生きものを馴致してしまう不可思議な魔法めいた能力があった。


 あるいはそれは能力というより、たましいの共鳴といったほうが正しいかもしれないが、ともかく、メリサリアはこの銀いろの獣を母の遺骸からひき離し、育てることにしたのである。


 はたして彼女のなかに眠っていた聖女の力と記憶が呼んだものなのか、どうか。いずれにしろ、レオリックと名づけたこの獣は彼女にとって無二の親友となった。


 野の獣でありながら人を圧倒する超常の魔力を有し、野性の本能を凌ぐ知性をも備えた生きものを、人は総称し幻獣と呼ぶ。


 半ばこの世の摂理から外に出た、神秘と魔法の生物たちだ。


 レオリックはその一匹であり、人里に暮らすことはできない。


 メリサリアが父の死後もこの森の庵で暮らしているのは、ひとつには、かれの存在があるからであった。


 いまひとつはむろん、彼女のなかにひそむもうひとりの人格、記憶――ひと世紀前に処刑され花と散った〈悲運の聖女〉ケイリンネの存在があるためである。

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