12.人は裏切るよ。
「うん。〈ハイ・グリフォン〉は本来、賢明で温和な性格。いったいどうしてそんなことになったのかわからないけれど、人に害をあたえるなら討伐もしかたないんだろうね。哀しいことだけれど、人と幻獣はいつも共存できるとはかぎらない」
「ええ」
クオリンドはその場に立ち上がり、かってに部屋の棚を探って紅茶の葉と清潔な陶器のティーポットを取り出した。それを卓上に置き、無言のまま茶を淹れる準備を始める。
メリサリアもべつだん、止めようとはしない。そもそも、この茶とポットはかれが自分のために持ってきたものなのだ。
かれは竈でお湯を沸かす準備をしながら、背後のメリサリアに声をかけた。
「レモンを持って来たんですよ。レモンティーはいかがです?」
「良いね。でも、紅茶を奢ってくれたくらいであなたの仕事に協力すると思わないでね」
「もちろん」
クオリンドは簡単な魔術をもちいて火を用意し、母ゆずりのていねいな所作で紅茶を淹れた。シークラーンの王族には、いにしえの偉大な魔法使いの血がながれているといわれているのだ。この程度の魔術は何でもない。
そのなかにひと切れのレモンを入れ、ティーカップをメリサリアに差し出すと、彼女はありがとうといって受け取った。
二、三度、ふうふうと呼気で冷ましてから、ゆっくりと口をつける。そのしぐさがひどくつややかに見えて、クオリンドは思わずどきりとした。
「美味しい~。クオリンド、あなた、お茶を淹れる天才だよ」
「それこそ大げさですよ、メリサリア。このくらいはきちんと習えばだれでもできます」
「わたしにはできないけれどね!」
「自慢してどうするんです。それはあなたが極度に不器用だからです。ほんとうに、料理ひとつまともにできないようでは、遠征の多い騎士団では通用しませんよ」
「わたし、女の子だから騎士になんてならないもの」
「女性の騎士もいますよ。わたしの部下の副団長ユリッサは女性です。優秀な人材ですね。ときにはわたしではなく彼女こそが実質的に騎士団を束ねているんじゃないかと思うこともあります」
「へえ、格好いい。すごいなあ」
メリサリアは無邪気にひとみを煌めかせた。クオリンドにとってはそのような悪意のなさが好もしい。
この国では、女性騎士を高く評価する者ばかりではないのだ。むしろ嫌悪し、その地位からひきずり降ろそうとする者すら少なくない。男性にも、そして女性にも。
ユリッサはそのような者たちのいくつものワナをかいくぐっていまの地位までのぼり詰めた。騎士団長を代々、王族が務める慣習がなければ、いま、その地位に就いていたのは彼女だったかもしれない。それほどの異才である。
「まあ、あなたに騎士団に入れとはいいませんが、じつは〈ハイ・グリフォン〉を狩る騎士団の遠征に随行していただきたいのです。聖女であるあなたがいれば、傷つく者を減らすことができる。あなたの身柄は必ず守り抜きますから、どうかわたしといっしょに来てくれませんか」
「いや」
言下に断わられて、クオリンドはわずかに苦笑した。
「そういうと思いましたよ」
メリサリアはまたひと口紅茶を吞んでから、ちいさなため息を吐き出した。
「わたしだって、傷ついたり、亡くなったりする人を減らしたい思いはあるよ。聖女の力はそのために女神さまからあたえられたものだと思っているし。でも、いつもいっているように、わたしが聖女であることを知られたくないの。いままでみたいにちょっと力を貸すだけならまだしも、騎士団に従軍なんてしたら隠し通すことは無理じゃない? 行きたくても行けないよ」
「うーん、いったいなぜ、そんなに聖女であることを知られたくないのです?」
「えっと、それは――」
メリサリアはかるくうつむいて口ごもった。いつもこの話題になると彼女は口を濁してしまう。
何か事情があることはわかる。しかし、少しは話してくれても良さそうなものだとクオリンドは思うのだ。それもいかにも僭越な話なのかもしれなかったが。
「騎士団には、箝口令を敷きます。あなたが聖女であることはだれにも伝わらないようにしますから。それでもダメですか?」
「ダメだよ。いくら口外しないよういっていても、話してしまう者が出るかもしれない」
「騎士団は王家に忠誠を誓っています。王子であり騎士団長であるわたしが命じたなら、逆らう者がいるとは思えません」
「いいえ」
そのとき、メリサリアの瑠璃のひとみは、なぜなのかひどく深い闇をたたえてまわりの光を吸い込んでしまうように見えた。
「人は裏切るよ、クオリンド」
お人好しの彼女らしくもない言葉だった。いったいこの純粋で無邪気にしか見えない娘に、どのような事情があるというのだろう。
クオリンドはメリサリアの湖のように澄み、沼のように暗いものをひそめた双眸を正面からじっと見つめた。




