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10.大丈夫ですか?

 クオリンドは、愛馬に乗ってひとり、爽涼な風が吹く森のなかを進んでいた。


 幼い頃は刺客に襲われ、多数の犠牲を出したこともあったが、いまとなってはただひとり森のなかを走行していてもほとんど不安はない。かれの剣の腕は、それほどまでに研ぎ澄まされている。


 それに、森の、そこまで深いところまで向かうわけでもないのだ。かれの目的地はわずかに森の入り口から半刻ほども進んだところにあるちいさな庵だった。


 その庵の主は、かつては父親といっしょにそこに住んでいたが、いまではひとり暮らしである。


 いったい彼女が何を考えてこのような不便なところに暮らしているのか、かれはいまでも知らない。知らないままにしばしばひとりここを訪れて、その人物と逢っている。


 我ながら酔狂なまねだと思う。一国の王子の身の上で、〈森の魔女〉の庵を訪れるなど、ふつうに考えれば正気の沙汰ではないだろう。


 もちろん、その人は魔女などではなく、むしろその正反対の身の上なのだが、まわりの者にそう説明したとして、理解してもらえるとはとても思われない。


 それに、彼女は自分の正体を知られたくないらしいのだ。だから、かれは彼女と初めて逢ってから十五年にわたって、その正体隠匿に協力している。


 すくなくともそのつもりである。彼女のほうがどう思っているかはわからないけれど。好意は伝わっているものと信じたいところだが……。


 木立のあいだをかけ抜けてしばらく奔ると、やがてその庵へたどり着いた。丸太を組み合わせて作られた、可愛らしいといいたくなるようなちいさな建物である。


挿絵(By みてみん)


 ここに〈彼女〉は棲んでいる。当人は信じないかもしれないが、この扉を叩くときは、いつも少し緊張する。歓迎されていないかもしれないと思うからだ。


 自分が利益をもたらしていないかもしれないという自覚があるからでもあるだろう。傍から見れば、ほんのわずかな贈り物だけで利用していると受け取られてもしかたない。


 それ以外のものを受け取ってもらえないのもほんとうだが、それもいいわけに過ぎないともいえる。


「失礼します。クオリンドです」


 なるべくあかるく快活な声を出して戸を叩く。内側から返事はなかった。


「いないんですか? まさか寝ているわけじゃないでしょうね」


 扉を押してみると、自然と内側へひらいた。かんぬきは外されているようだ。女性のひとり暮らしで不用心なことこの上ない。


 どうしたものかと迷っていると、内側からきゃあっという大きな悲鳴が聞こえてきた。


「メリサリア! 大丈夫ですか?」


 クオリンドはとっさに扉をひらいてなかへ入り込んでいた。通常の手段では彼女に危害を加えられないことはわかっているが、それにしても心配だった。


 その気になれば人を害する手段はいくらでもあるはずなのだから、彼女はあまりにも危機意識が低すぎる。何者かがそこにつけ込んだのだろうか。


 そして、そこに、メリサリアが佇んでいた――わずかに下着一枚のみを身につけた半裸。


「え?」


「え?」


 ふたりはしばらくのあいだ、呆然と見つめ合った。じっさいにはわずかな時間だったのだろうが、クオリンドにとっては、おそらくメリサリアにとっても、ひどく長く感じられた。


「ご、ごめんなさい!」


 先に正気に戻ったのはクオリンドのほうだった。かれはくるりときびすを返して部屋から出た。部屋のなかからいまさらに悲鳴が聴こえてくる。


「ク、クオリンド、どうしているの!?」


「申し訳ありません。部屋のなかから悲鳴が聴こえたから――」


「ちょっとお湯をこぼしただけだよ! ああもう、あなたという人は――」


 クオリンドは高鳴る心臓を抑えるように胸に手をあてた。たったいま垣間見た白い裸身が脳裡に焼きついている。


 ほんのりと湯気を立ち昇らせて、かれを見つめるその姿は、やわらかな女性美を結晶させたように美しかった。


 クオリンドはむろん、いままで宮廷や舞踏会で幾人もの佳人と知りあってきた。そのなかには、かれに好意をもっていたとおぼしい人もいる。


 だが、メリサリアの容貌は彼女たちとはまったく異質のものであるように思われる。彼女の顔はただ彫刻のように、人形のようにととのっているわけではなく、どこか妖精めいて神秘な、この世のものならぬ、と形容したい誘惑にかられるようなありえざる美貌なのだった。


 その豪奢な黄金の髪はいまでは肩にかかるほど長くなり、卵のような形をした秀麗な顔を美々しくかざっている。


 幼い頃から印象的であった瑠璃いろのひとみは、いまやあたりまえの淑女の顔かたちにはいくらか大きすぎ、そのために彼女の印象はいっそう非実在の存在めいた不可思議なものとなっている。


 そして、また、このような森のなかに棲んでなおほとんど日に焼けていないように見える白皙の肌は、彼女をあたかも人ならざる別世界の生きもののように見せていた。


 その可憐なかたちの耳には、かれ自身が贈った数々の品物のなかでたったひとつ受け取ってもらえた黄金と土耳古石の装飾品が煌めく。


 しかし、それでいて、たしかに生身の女性である証拠には、彼女は両手でふんわりと盛り上がった乳房をかくそうとしていた。それはただ手でかくすにはあまりにも大きく、決してかくし切れてはいなかったけれど。


 クオリンドは自分が赤面していることを自覚した。からだじゅうが茹でたようになっていたかもしれない。それほどの衝撃だった。

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