第悟肆(84)章:平安京炎上(前)
文明十七年六月二十日、石山を出立したかと思われた垣屋軍は、どのような妖術を使ったのか既に山崎を抜け上京に迫らんとしていた。当然、妖術などではなく歴とした理学の粋たる先進技術を駆使した強行軍であったのだが、当然ながら幕府軍は既に天王山を抜けたという一報を聞き、誰に喧嘩を売ったのか今になってようやく思い知った。いわゆる「文明の御所崩し」である。
当時、まだ公方は割れておらず、故に垣屋軍が例え代理の足利氏を立てたとしても一致団結すれば敵うかとも勘違いした者も存在したが、彼我の力量差は明らかであった。
だが、事態は最早そんなことで収まるものではなかった……。
「お、お、おのれ垣屋! 我は公方ぞ、公方に刃向かうというのか、あやつはっ!!!」
今にも憤死せんが如く憤る足利義政。同じく弟である義視やその嫡男義材、そのほか細川政元から伊勢貞宗など、せめて一戦構えんとばかりに幕府は不利である事を承知の上で平安京に立てこもった。だが、垣屋軍の総大将、垣屋続成の布告は(少なくとも彼等にとっては)意外なものであった。
「……おい、奴儕はなんて言って来た」
「……ええと……読み上げます。
「天皇陛下並びに皇族を全員当方に引き渡せ、今回はそれで勘弁してやる。
それとも屍を犬に喰らわせるがご希望か?」
……との、ことにございます。……上様? ……上様っ!!」
そして、足利義政は憤死した。正確には憤死と称される血圧の急上昇というわけではなかったのだが、周囲から見ればどう見てもそれは憤死であった。
「……なんたること……」
垣屋続成は、天衣無縫の人間であった。幾重にも重なる身分差を一切歯牙にもかけず、今回の布告のように一応は天朝様こそ重んじる素振りを見せていたものの、公家はもちろんのこと摂関家すらも軽んじ、公方も当然のように半ば無視し、唯我独尊のていを常としていた。
当然、公方側は徹底抗戦をすることにした。だが、平安京はあまりにも防戦に不向きである。故に彼等は、遅滞防御を行いつつ垣屋続成の要望を背くために――すなわち、皇室関係者全員を同行させ――幕府御敵と、朝敵、そして比叡山にも働きかけ仏敵の称号を浴びせることを決断した。だが、それは「本朝開闢以来の大事件」を引き起こすこととなる……。
まず、天皇陛下並びに皇族、すなわち皇統を辿るための人材がいないことを確認した垣屋続成は、速やかに平安京から退いた。
一見、幕府の威光に屈したかと思われたが、勿論そうではなかった。彼が、何を以て一度平安京から退いたのか、それは……。
「ははは、さしもの悪童も上様の威光に屈したようですな。かの三畳石紋、退いていきますぞ」
すでに、上様たる人物は存在しないのだが、それは一見して征夷大将軍の威光に屈したかに見えた。もちろん、そんなことはなく、垣屋続成はあくまで戦術的な、つまりは鉄《武力》属性の理論で退いただけであった。当然ながら、彼の脳裏に端から紙《権威》属性の理論は存在しなかった。果たして、金《経済》属性の理論もあったかどうか(後代に楽市楽座を行う彼であったが、仏法僧を徹底的に叩き潰したから達成できただけで、副産物にすぎない)……。
「そうか。……なれば、我らも退くぞ」
そして、垣屋続成が退いたことを確認した細川政元は、自分たちも平安京から退くことを決断した。もちろん、皇族の拉致を継続し、公方の遺骸を担いでの撤退であったので速度は遅いものの、敵《続成》が自分たちを追尾しないのであれば、可能かと思われた。だが……。
「右京様?」
「あの悪童めがタダで退くわけではあるまい。今のうちに退き陣の準備をし、先の公方様の御遺骸を連れて近江へ退くべき絶好の機ぞ」
「しかし……」
ためらう奉公衆。もちろんそれは、敵が退き陣をしているから追撃できる好機と見たこともあったのだが、最大の動機は一介の守護代ごときになぜそこまで延慮をするのか、といったところであった。
「急ぐぞ、何かあってからでは遅い」
「は……ははっ」
そして、細川政元らが退くさなかのこと……。




