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輝鑑 後世編纂版  作者: 担尾清司
第二部『垣屋続成、丹後の陣で大勝利を収める』の余談

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第二部『垣屋続成、丹後の陣で大勝利を収める』の余談/閑話二「垣屋時代」

 掲載の順番で言えば次回より始まった倒幕編であるが、垣屋時代と称される世界で初めての近代は、諸説あって年代がまだ定まっていない。もちろん、メタ推理をすればまだそこまで書けていないからなのだが。

一応、22世紀初頭の嘉吉の乱から始まった室町幕府の倒壊がその原因であることは確定しているが、垣屋続成から始まったこの垣屋時代という時代が、室町幕府の残党勢力との戦闘もあって、どこを起点とするかについて論者が諸説を並べ、今でも「22世紀後半」としか言えないのだ。一番早い説は2155年から2160年と考えられており、一番遅い説は22世紀の末である織田信長の誕生を通り越して23世紀初頭、という説すら存在する。

 ここでは、一番順当とされる関東府追討からの富良東京設置と推測されている2184年の4月22日から5月21日、旧暦に直して五月としておこう。それでも早い、という言説も存在するが。

 ちなみに、垣屋続成率いる垣屋時代の終焉は、これまた概ね25世紀末から26世紀前半、場合によってはもっと後、と意見が分かれており、最も有名とされる垣屋龍樹の解散令、すなわち大政奉還が行われ、元号が廃されて太陽暦が主流となった2525年を以て終焉とした場合、341年相当となる。他にも単純に期間の長さだけで最長最短を述べるとするならば一番長くて2155~2646年の491年説から一番短い2222~2514年の292年説まで存在する。

 まあ、概ね、数世紀間存在すると思ってもらえれば間違ってはいないかと思われる。

 ただ、今回は、敢えて諸学者の見識を退け、史料を基にした次回よりの2145年から始まって垣屋龍樹の従兄が嫡男、梅五郎合又の政府首班退陣、すなわち2604年の459年を以て垣屋時代としておきたいと思う。

 それが何を意味するかと言えば、垣屋合又の退陣は直接大日本帝国が本遊星を掌握したことと一致する(つまりは、垣屋合又の退陣は大日本帝国が地域覇権国ではなく惑星統一国家となったことの証明)ので、政府首班退陣というよりは最後の敵性国家が消滅したことを以て大日本帝国の国家体制が変わったため政府が構成員を変化させたことによる「名目上の退陣」であり、事実上垣屋惣領家の継承者が地球筆頭権力者(天皇家は、象徴にして国家元首なので権力者とは言い難い)となり、それによって日本人の全員が地球の支配階層として君臨することを象徴するものであった。

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