第肆玖(73)章:後継者はどっちだ 03
「左衛門佐様、垣屋殿の若が参りました由にございます」
常豊さん附の小姓に案内されて、向かった先は離れだった。離れといっても、幽閉とかではなく、単に隔離病棟的に位置するだけの、名ばかりの離れではあったのだが。
「すまぬ、弾正右衛門。今日は日が悪い。明日にすることは出来ぬか」
弾正右衛門ってのは、おそらくこの小姓の通称だろう。一応、憶えておくべき名だ。
「恐れながら、殿。垣屋殿の若君は医学を志している身。弾正少弼様のご推挙らしく、会うだけでも会ってもらえませぬか」
「……俊豊か? ……なれば、なおさらに会えんな」
……ああ、毒殺を警戒しているか。まあ、無理も無い。心身が共に弱っているのだろう。なれば……。
「恐れながら、御曹司。次男の若の手を警戒しているのであれば、無用な心配でございますぞ」
「垣屋殿!?」
「……大丈夫だ、少し強気にでても問題は無かろう。それにな、小姓殿。某は武士である前に医師だ。第一、いくら手違いといえども山名様の若を殺したとあっては、良くて追放、悪くて斬首だろう。それくらいはきちんと心得ておる」
弾正右衛門と呼ばれた小姓さんに小声で話す。本当に、害する気はないし、前世ならいざ知らず、この時代となると医師の振りも出来る程度には、知嚢は積み重ねてあるしな。
「……そういうことであれば、お願い致します」
「おう」
小声で話しているうちに、中でごそごそと音がする。大方伏せっていたな。
「…………少し待て。準備ができたら呼ぶ」
「ははっ」
よし、入室許可もらった。
若干の時間が経過し、なんと常豊さん自らふすまを開けてくれた。
「入れ」
「ははっ」
そそくさと常豊の寝室に入る続成。それに続くように、あるいは続成の監視が目的なのか、小姓が常豊の身を案じながら愚痴ではない愚痴をこぼした。
「若、合図を下されば私めが開けましたのに……」
それはまあ、要するに、常豊附の小姓であるお役目といっても良かったが、それが何を意味するかは、まあ措こう。
そして、常豊が続成の痛くもかゆくもない腹を探りかね、入って来て座ろうとしている続成に対して、病人とは思えぬほどの眼光の鋭さを以てにらみつけた。並みの武者であれば、それだけで企みを吐きかねないほどであった。
「よい、ちょうど床から這い出たのでな。……さて、垣屋よ。面倒なので単刀直入に聞こう。何を企んでおる?」
「また単刀直入にございますな。……質問に質問で返す無礼をお許し頂きたい。某が何を企んでいようと、病が治れば別に宜しいのでは?」
「治せるのか」
台詞だけ書けば嬉しげな、しかし口調は明らかに嘲笑といっても良い、ある種の諦観を持っている者のみが醸し出せる感情を以て、続成を追い出そうとする常豊。だが、続成はひょうひょうとした態度を維持しつつ、さらにこう告げた。
「ええ、某の所持している薬品が適合すれば、恐らく病らしき症状は退散するでしょう。……とはいえ、体力を付ける必要もございますが」
「ほう」
なおも、続成を嘲笑する常豊。だが、続成はその嘲笑を歯牙にもかけず、詰めの一手を放った。
「この「抗菌丹」なる薬品は、あらゆる細菌性の病を駆逐致す。ある意味、茶器などとは比べものにならぬほど、価値の高い薬品にございますれば」
「……何だ、一丁前に茶器でもほしがるのか?」
「いえ、某は茶の湯を今ひとつ知らぬ身、茶器など欲してもどうせ持て余すがオチ。茶器よりも価値が高いとは、あくまで比喩にございますれば」
「……………………」
「……………………」
続く沈黙、続成の所有する「抗菌丹」とは、言ってしまえば胃酸で効能が失われないように工夫されたペニシリン丸薬のことである。さしもの続成も、ストレプトマイシンの発明は現在見送っているのか、或いは耐性菌を苦慮しての上か、それとも他の理由があるのか、何かしらの理由を以て薬品発明をペニシリンにとどめていた。とはいえ、この時代にペニシリンが存在するだけでそれはオーパーツといっても過言ではないほどの先進的薬品である。後に続成を「軍神」と崇める者の他に、「薬師如来の化身」と崇める人間もいるのは、それなりに訳が存在していた。
ちなみに、後に続成がその双方の尊崇を聞いた際には、「そいつはいい、素敵だ。さしずめ俺様は、生死双方を司る大権現とでもしておこうか」と高笑いしたという。
「……効かねば元々だ、万一死したら毒を盛ったことにするからな」
「はて、この薬品で死人が出るのは二度目の投与以降、確率的に存在するのみですが」
「たいそうな自信よのう。……まあよいわ、貸せ」
「ははっ」
かくて、歴史は遂に動く。