第肆捌(72)章:後継者はどっちだ 02
文明十七年五月、本来の嫡男である山名常豊は病魔に冒されていた。とはいえ、それ自体は残念ながら日常風景であり、彼自身そこまで元手自体の心身が健康とは言い難かった。否、心はある程度健康を保てているが、身体はかなり虚弱であった。虚弱を治すために贅を尽くした料理を振る舞われても、体が受け付けないのだ。曰く、食べることもまた才能。武士は文武両道が理想であり、つまりそれは頭脳明晰なアスリートという矛盾を成し遂げる必要が存在するわけで、元々が健児という超エリート戦士・重装弓騎兵が祖であることから、独りでなんでもできる必要性が存在していた。あるいは、公家の上澄み「共」が血を厭わず、兵役などを拒絶しなかったら武士は生まれなかった可能性もあるが、それは今は措こう。つまりは、筋肉莫迦ならまだ良い方で、たとえ知恵が優れ精神が清らかであっても、虚弱であれば武士というものは務まらないのだ。何せ、この時代の彼達は江戸時代の名ばかり武士とは違い、文字通りに「武士」であったのだから。
故に、常豊は長幼の順では嫡男であったものの、現状は俊豊が嫡男然とした格好であったのだ。俊豊が嫡男の座を降りてまで常豊を助けようとしたのは、別に本当に嫡男の座を降りる決意をしたわけではない、いかに病魔を退けたとしても、虚弱な常豊では嫡男は務まらないだろう、そう考え、外聞を重視して兄を助けるふりをしていたのだ。考えてみればわかるとおり、俊豊の傅役は太田垣氏であり、それはつまり但馬国衆の総意とも言える家柄であった。たとえ垣屋孫四郎続成が常豊を治して彼の信頼を勝ち得たとしても、彼には限界があろう。さらには垣屋家は元々譜代ではあれどよそ者であり(まあそもそも山名家自体が但馬国の者からすれば本来「よそ者」なのだが)、つまりは但馬国衆からすればたとえ垣屋家が守護代という権威を以て長い間の歴史をかけて但馬を支配してきたとしても、但馬国衆からすれば異物であった。さらに言えば、垣屋家は元々土屋党の末流であり、本来山名家が誇る主力部隊、土屋党の本流であろう人物が存在する、はずであった。つまり垣屋家は、本来ならば土屋党のモブAに過ぎない存在、のはずであったのだ。あるいは、垣屋という名前も土屋党がいなくなったことの象徴として「屋」のみを元のままに、上の字だけ何かに変更する必要があったからそうした可能性も存在する。と、いうのも、文献によっては「柿屋」とも書かれており(まあこの当時誤字誤表記は珍しいものでは無いのだが)さらには近隣の国にも垣屋という地名が存在する(ちなみにそこは丹波である)ことから、山名家が丹波守護を任命されていた時代にそこを領地として、ついでに苗字を土屋から垣屋に変えたのかもしれない。家名を変えるというのは普通に考えれば、かなりの理由が無いと行わないものであるが、実は本筋に延慮して庶流末流が苗字を変える、というのはこの当時よくあった現象なのである。なぜか。お家騒動を避けるためであり、さらには苗字は所詮苗字であり、本姓ではない。そもそも苗字自体、どこの苗を食んでいるかという区別のため、増えすぎた同じ本姓の人間を区別するため、そしてお家騒動防止のために、発明された仮の名字であり、本来の運用方法としては諱を呼ばないために発明された通称や仮名、支那でいうところの字と同一であるのだ。と、いうのも、足利将軍家が源氏の嫡流である、というライアープロパガンダの出所は扨措き、一応足利家も源氏であることには違いないので、本姓は源朝臣であるのだが、それを言い出すと新田も山名も細川もその他まだ登場していない足利一門他有象無象も全員「源朝臣」なのである。それではややこしくてしょうが無いし、本来の嫡流(ちなみに、源頼朝も実は嫡流ではない)に対して同じ姓を名乗ることが憚られるので、どうしてもという場合(例えば、朝廷と対峙することなど)でなければ、苗字を名乗ろう、ということで足利なり新田なり山名なり細川なりを名乗ることになっており、つまりは垣屋も土屋一門の中の傍流として、敢えて「垣屋」を土屋家嫡流と区別するために「垣屋」とした可能性があるのだ。ひょっとしたらその頃はまだ山名家が丹波を治めていたから、丹波のその地名である頃の垣屋を領有乃至は代官としていた関係上、ちょうど良いから拝借した、という可能性も、勿論存在する。
話が億千光年までどっかいってしまったので、むりやり戻そう。(ちなみにこれが所謂閑話休題の本義である。が、それはどうでもよいし、またこれを契機に講釈をたれて閑話に成りかねないため一度略する)山名常豊、つまりは山名政豊の本来の嫡男であり、山名宗全を起点とするならば嫡流である人物(まあ、山名政豊は長男ではない可能性もあるが、私の支持する説は山名宗全持豊の嫡孫であるので、嫡流(そもそも字義を考えれば正室腹の人物はすべて嫡流といえる)とさせていただく)といえるわけで、本来ならば家督を継ぐべき立場ではある。しかし、先ほどのまでの説明の通り、武士の理想はいわば心身健康で文武両道の完璧超人である、山名常豊は心は健康で知恵も働く人物であったが、肝腎の資本である肉体は、健康ではなかった。故に、次男である俊豊に家督の目星がつけられ、彼は部屋住みになってしまっているのだが、いよいよ危ないとあって、俊豊は外聞を気にするあまり、家督欲しさに兄を見殺しにしたとささやかれることを嫌って常豊の見舞い、本心を言えば看取りに、医者の側面を持ち始めた垣屋続成に診させたわけであるが、その目論見はすべてを以て外れることとなる……。




