第肆伍(69)章:朝倉宗滴という少年 04
朝倉教景が一乗谷に帰還した一報を聞いて、諸将は安堵したのだが……その安堵は束の間のものに過ぎなかった。と、いうのも……。
「小太郎、それは本当なのか」
「ははっ、書状はもらいませなんだが、本人の口から直接」
「むむむ、しからば事実上は加賀を得る代わりに……」
「さまざまな厄介ごとを引き受ける羽目になりますな」
……垣屋続成が出した条件は以下の通りである。
一。以下の条件が整った場合、垣屋続成は朝倉家当主を加賀守護新任並びに正式な越前守護として幕閣ないしは朝廷へ推挙する
一。加賀能登越中三国における一向一揆の撲滅、一揆を鎮圧し続ける限りは立場を保証する
一。白山権現をはじめとする白山諸社を保護し、社寺領を返還し警備すること
一。このたびの行軍を含め、垣屋軍の行軍を扶助すること
一。七代当主朝倉英林孝景が末子朝倉教景を人質として預かる
一。もし破約が確認された場合、速やかに斯波氏へ越前を、富樫氏へ加賀を預け直す
それは、事実上の脅迫状であった。圧倒的な武力を背景としたものではあったが、いかにもあからさますぎた。
とはいえ、朝倉家には選択肢はもはや存在し得なかった。と、いうのも……。
「小太郎、おぬしこれを受ける気か」
「恐れながら兄上、他に選択肢はおありでしょうか」
「むむむ」
……朝倉家にとって、越前守護職は至上命題であると同時に、この条約を締結すれば加賀も手に入る。代わりに一向一揆を撲滅する必要があったが、あくまで垣屋軍の援兵としての参戦である以上、そこまで努力をする必要は無かった。そして、白山権現の守護であるが、それは同時に白山連峰圏への合法的な軍権統治の道が開けていることとなる。では、引き受けなければならない「厄介ごと」とはなんであるか。それは……。
「……すまぬな、小太郎。本来ならば家督はおぬしの手にあるというのに」
「何を謝られますか、兄上。長幼の順を崩さないのは家中政治の基本でございます」
「……それは、そうなのだが……」
「それに、いかな神童麒麟児と申しましても年中警戒していることはございますまい。隙あらば首級を取ることも叶いましょう」
「おい、まさか……」
「まあ、さすがにそれは冗談ですがな。とはいえ、某を人質として抱え込むということは、それなりの覚悟をしておいでなのでしょう」
……占領統治とは、進軍撃破よりも難しい行動である。ましてや、彼らはようやく越前支配を端緒につけたばかりなのだ。人材が足りていないような巫山戯た事態ではなかったが、急に加賀まで広がってしまっては可惜兵員濃度が散ってしまうこともあったし、何より一向一揆を撲滅できねば画餅と帰すという条件である。彼らは、一向一揆が疫病のごとき感染力を発揮しうることをよく理解していた。一度撲滅しても再発してしまっては、破約につながるし、垣屋軍に味方するということは同時に山名や大内などといった諸大名にも越前通行権を認可する必要があったからだ。さらに言えば。
「とはいえ、怪しまれるなよ?」
「ご案じ召されるな、某が怪しい挙動をしては朝倉家は族滅対象となり得ましょう。それに……」
「それに?」
「斯様な最新技術の産物は、某の手には余りますでな」
……垣屋軍の鉄砲部隊は、すでに評判になっていたが、彼らもそれが垣屋続成にとっては児戯同然であることにも気づかず、鉄砲という脅威には戦々恐々としており、つまりは圧倒的技術力の差もあって反抗は死を意味した。つまりはそれがどういうことかと言えば、垣屋続成は経済的にも軍事的にも、そして権威的にも完全に周辺諸大名を圧倒していたのだ。その垣屋軍相手に、戦わず和を約せるとあっては、乗りかからざるを得ないわけである。
「なんともやれやれ……。しからば、頼んだぞ」
「ははっ」
……かくて、垣屋続成初期の軍事態勢を支える両輪の片方がついに装備された。後に長尾為景が参上して両輪体制が整う訳だが、両者に共通することは本来ならば敵であると同時に、それを続成が押さえつけるだけの力量が存在していたということである。後に読者世界の上杉謙信をして「毘沙門天は彼の者を差し置いて名乗れん」と震える程度には畏れる軍神富良東大権現の始点が、越前進軍であることを知る者は少ないだろう。




