序ノ六:将星集いて 06
「それでは、行ってくる。北山、斉藤、そして大塚、留守中は任せる。政忠は既に元服しており同行もするゆえ心配しておらぬが、平次郎に亮三郎、そして特に孫四郎には目を離さぬようにな。あれは平次郎や亮三郎と違い、一見思慮深そうに見えて一番の粗忽者ゆえな」
宗続はそう言い残し、既に鞍上に座っていた政忠を確認するや自身も手慣れた動きで鞍上に座り、馬を発進させた。目指す現場は、言う必要もあるまい。
「ははっ」
「畏まりましてござります」
「それでは、いってらっしゃいませ」
答えるは孫四郎の傅役である北山次郎右衛門に、段銭奉行である斉藤又三郎、そして同じく垣屋家の奉行衆である大塚右京亮。以後、後に九州戦線において外様であるにもかかわらずなぜか孫四郎に懐かれた衛藤の合計四家が通称「垣屋四天王」と称される帝国の黎明期を支えた家臣団である。
他にも、播磨方面から山城、近江方面にかけて孫四郎がこれはと抜擢した、山本や伊東、清水、長谷川、森下|(道誉で有名な但因伯の国衆である森下とは一応、別系であると記述しておく)、坂本|(阪本あるいは坂元とも言われているが、この時代は表記ゆれはよくあることである)などの、通称「垣屋六部衆」がそれに続き、垣屋家一門衆の有力分家である「越中守家」と「駿河守家」以外では以上の十家が概ね幹部としての地位を後に固めることとなる。とはいえ、それはまだまだ未来の話。何せ、後に帝国を打ち立てる孫四郎は未だ乳飲み子なのである、それは本当に未来の話と言えた。
「さて……、斉藤は平次郎様へ、大塚は亮三郎様へ当たれ。儂は傅役ゆえ、孫四郎様を見てまいる」
平次郎こと後に号して「善仲」、そして亮三郎こと号して同様に「光叔」。共に続成から見れば庶兄乍ら、当時としてはかなり年の離れた兄弟であり、そもそも兄政忠が嫡男である関係上、元々続成に家督が回ってくる可能性は低かった。あるいは、ゆえの無謀に見える行動の数々を成し遂げたのかもしれないが、それは定かでは無い。
「ああ、わかった。しかし、いいのか?」
大塚が問うた「いいのか」とは、言うまでも無く嫡子とはいえ第二男子に過ぎず、さらに言えば奇矯な振る舞いの目立つ孫四郎を世話していては出世争いに影響するのではないか、という心配であった。無論、北山もただ善意で孫四郎の世話をするのではない、宗続から傅役として指名されたこともそうだが、北山は元々譜代の出の中でも垣屋家に仕えて20年は経過しており、充分な地固めを出来ている関係上、あとはいかに敵を作らずに隠居し、家督相続を円滑にするかということに重点を置くべき立場であった。とはいえ、彼も当時は未だ孫四郎を「足手まとい」と考えており、後に戦果を上げるまではその力量についてもいぶかしんでいたという。
「殿から直々に指名されたのでな、仕方なかろう。……幸いにして、孫四郎様は先程殿が仰ったように一見は聡い。あとは一足飛に解決しようとするのでは無く、着実に地固めをする癖さえ付けさせておけば、一廉の将にはなろうて」
孫四郎が「聡い」というのは、ある種当たり前の評価であったのだが、彼は後々まで続く悪癖も存在した。それは問題を素早くつかんで解決を急く、という行動であり、一見すれば長所に見えるそれも孫四郎ほどの素早さとなれば早計となりかねないほどであり、ある種戦車兵に通じる気の疾さといえよう。あるいは、秀才・天才の類いのゆえのであろうか? それもまた、史料から読み解く術は未だ存在しない。
「違いない。この前も、何やら妙なからくりを作っていらっしゃったが、どうやら玩具ではなさそうだ」
「あの歳で玩具で遊ばずに文を書き、剣術にも精を出されておる。技量こそ拙いが、心意気としては見事と言えましょうな」
孫四郎の作っていた「玩具」とは、未来知識による発明品の再現であり、一見して子供がガラクタを弄って遊んでいるようにも見えたが、その実態は恐るべき兵器の発明過程であった。そもそも、孫四郎は文明十四年、南蛮紅毛暦に直して1482年の生まれであり、まだ数えで二、三に過ぎず、ゆえに普通ならば玩具で遊ぶどころか思考すら覚束ないであろうに、それが発明品を作り、さらには武家の本分にも精を出す。彼等からすれば、手の掛からない上にやるべきことすらやってくれる、非常に有益な子供であった。
「ただまあ、偶に突拍子も無いことを為さるのは、確かに粗忽かもしれませぬな」
孫四郎の「突拍子も無いこと」というのは、まあ言う必要も薄いが、逆浦転生者特有の行動であり、それが現地の住民にとっては奇矯に映るのは、仕方の無い事ではあった。
「これ、言うでない。……然らば、参るとしようか」
「「おう」」